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もっと早く教えてくれよって思った内容を書いていきたいと思います。

「100万回生きたねこ」との出逢い。

プレゼントされた1冊の絵本

随分、昔に知人に1冊の絵本をプレゼントされました。

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僕に読んで欲しいということでした。

その絵本は「百万回生きたねこ」です。

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

  • 作者:佐野 洋子
  • 発売日: 1977/10/19
  • メディア: 単行本
 

プレゼントされた時は、この絵本が子供より大人に読まれている絵本で、そしてベストセラーだということは知りませんでした。

何より20代の僕になぜ、絵本?って感じでした。

読んでみると10分位で読めました。

この絵本ですが、今でも何となく、気が抜けてしまった時に読み返しています。
読む都度、こんな話だった?って感じになります。

プレゼントされた時に読んだのと、それから何年も経って読んだのと、そして今、読んだのでは全く違った話に感じられます。

当然、本の内容は変わっていませんので、読んだ時の自分自身の状態で話が違って感じられる不思議な本です。

同じような本として、サン=テグジュペリの「星の王子様」があります。

この本も読み返す都度、話が違って見えるので不思議です。

星の王子さま (新潮文庫)

星の王子さま (新潮文庫)

 

絵本の作者は?

プレゼントされて、最初に読んだ時は誰が書いたのか?ということは気にせずに読んでいました。

しかし、読み終わって作者の名前を見ると・・・

佐野洋子とあります。

聞いたことがある名前です。

暫く考えると、一冊の本の名前が出てきました。

「私はそうは思わない」

私はそうは思わない (ちくま文庫)

私はそうは思わない (ちくま文庫)

  • 作者:佐野 洋子
  • 発売日: 1996/02/01
  • メディア: 文庫
 

これ僕が好きなエッセイを書いている人?

本棚を探すと、ありました。

しかしエッセイの内容や文章と絵本のストーリーが僕には結びつかず、どうしても同一人物には思えませんでした。

本のタイトルが「私はそうは思わない」とあり、これが僕の気持ちを鷲掴みしたのです。当時の僕には、言えなかった反抗的な言葉です。

そしてエッセイの文体は、どちらかというとざっくばらんで、フレンドリーな感じです。言いたいことをズケズケ言うってタイプで、そういうところが気軽に読めるということで読んでいたわけです。しかし、100万回生きたねこは、淡々とした暗い感じしかありません。とても同じ人が書いたとは思えません。

しかし、「わたしはそうは思わない」の作者紹介の箇所を見ると、確かに代表作の中に、「100万回生きたねこ」と書かれてありました!

こんな偶然があるんだと正直、驚いたと共に、妙な縁を感じました。

佐野洋子さんというと、仲が良かった兄が10歳の時に亡くなったということを

「兄はわたしが10歳の時死んだのね」みたいな感じで書いてしまう人なんです。

100万回生きたねこのことを既に知っていた

そして、「わたしはそうは思わない」はそのお兄さんとのエッセイから始まります。

佐野洋子さんには二歳違いのお兄さんがいて、成長して離れて一人ずつの人間になる前に、兄は死んだと書かれています。

兄の死で、かけがえのないものが奪われ失われることがあるということを教わったそうです。

その後、愛する人にめぐり逢い子供を産んだことで、与えるだけの喜びが存在することを知らされました。
そしてまた、愛した人を失ない、失われたものをまじまじと見つめる地獄を知ったそうです。

そんな地獄の中で創られたのが「100万回生きたねこ」だと書かれてあります。

これって、「100万回生きたねこ」の誕生エピソードですよね。

僕はプレゼントされる前から実は、100万回生きたねこのことを知っていたってことです。

佐野洋子さんにとっての、100万回生きたねこ

100万回生きた猫を作者の佐野洋子さんは、以下のような物語だと書いています。

  • 一匹の猫が一匹のめす猫にめぐり逢い、子を産みやがて死ぬという、ただそれだけの物語

これって多くの人の人生そのものです。

そして佐野さんは以下のようにも言っています。

  • 100万回生きたねこという物語が、わたしの絵本の中で、めずらしくよく売れたことは、人間がただそれだけのことを素朴に望んでいるのかと思わされ、何より私がただそれだけのことを願っている表れだったような気がする。

誰が書いた絵本なのか知らずに読んで良かったかもしれません。

もしも、佐野さんが書かれた本だと知っていたら、違った受け取り方をしていたかもしれません。

100万回生きたねこを読んで感じたこと

ここからは、僕が「100万回生きたねこ」を読んで感じたことを書いていきたいと思います。

あくまで、現在の僕の印象であり、本の内容とは異なる部分もあると思います。そして、読む人、その時の状況などで感じ方も違ってくると思うので、人それぞれ、感じたこと、思ったことは違って当然だと思います。また、本というのは、作家さんが書いたことを元に色んなことを考えて自分だけの本にしていくというものだと思うんですよね。

だから作者が何を伝えたかったかよりも、読んだ人が何を感じ、何を考え、何を得たのか?そちらが重要だと僕は考えています。

小学校や中学校の頃、よく作者はこの文で何を言いたかったと思いますか?という問題がよく出てきました。

そんなこと、わかるはずないというのが、いつも僕の答えでした。

愛する人を亡くした地獄の状態、酒を飲んでほろ酔いで気持ち良い状態で書いていたのかもしれません。どんな状態なのかわからないのに、何を言いたかった?伝えたかった?と問われても、特に何も言いたいことも、伝えたいことがなかったかもしれません。

で、絵本の話に戻します。

主人公の猫は「誰よりも自分が好き」でした。

猫は色んな飼い主に愛されて育てられますが、いつも飼い主のことが嫌いでした。

王様が嫌いな時は戦争の矢に当たり死にました。

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海が嫌いな時は海から落ちて死にました。

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サーカスが嫌いな時は切断される手品で死にました。

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泥棒が嫌いな時は泥棒に入った家の犬に噛まれて死にました。

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子供が嫌いな時は子供におんぶされた時の紐が首に巻き付き死にました。

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何故か、おばあさんが嫌いな時だけは、事故ではなく年老いるまで生きました。

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100万回も飼い主に愛されたのに、なぜ1人も飼い主を好きになれなかったのでしょうか?なぜ、100万回も飼い主が悲しんでいるのに猫は泣かなかったのでしょうか?

それは何回生まれ変わっても、好きなのは自分だけだったからです。

僕が絵本を読んでいて気になった言葉が以下の2つあります。

  • 「ねこは1回も泣きませんでした」
  • 「ねこは死ぬのなんか平気だったのです」

1回も泣かないというのは、イジメられたとか、辛い思いをしたというのであれば、わかるのですが、愛されていれば、普通は絆のようなものが生まれると思うんですね。

だから、猫は飼い主が嫌いだったからというのが理解できません。

犬は3日餌をあげれば恩を感じるけど、猫は恩を感じないということを子供の頃に教えられた記憶があります。

それは、猫は犬と違って人を信用しないからだというんですね。

また、ここでも自分と重ねてしまったのですが、僕も人を信用していない部分があるのか?この点に関しては、何となくモヤっとした感じですが、そうかもしれない・・・と嫌な感じになりました。

嫌いな人でも尽くしてくれているのに恩を感じないってことがあるのだろうか?と僕は思うんですね。僕がこんなにも嫌っているのに何故、そこまでできるの?って僕なら考えます。

もう一つが、死ぬのが平気という点です。

これは飼い主とは関係のないことで、死に対して不安がないということになるんですね。自分が一番好きだから死ぬのが怖くない?そんなことはないはずです。

死ぬのが怖いというのは、苦しむとか痛いとかいう物理的な不安だと思うんですね。あとは今に未練があるかということです。子供がいて自分が死んだらどうなるんだ?という心理的な不安です。猫には、物理的にも心理的にも不安がなかったということになります。

ここでも、僕はどうなんだろう?lって考えてしまいます。

そんな猫が、はじめて誰にも飼われない野良猫になりました。

絵本では以下のように書かれています。

  • 「ねこは初めて自分の猫になりました」

「自分の猫」という部分が凄い上手な表現だと思います。

野良猫の時、どんなメス猫もお嫁さんになりたがりましたが猫はそんな猫たちに

「俺は100万回も死んだんだぜ、今さらおっかしくて」って自慢げに言っていました。

しかし、たった1匹、猫に見向きもしない白い美しい猫がいました。

「俺は100万回も死んだんだぜ」と言ったのに、白い猫は「そう」としか言わなかったことに猫は腹を立てました。(自分が大好きだったから)

猫は白い猫のところに毎日通い、「君はまだ一回も生き終わっていないんだろ?」

それでも、白い猫は「そう」としか言ってくれません。サーカースの猫だった頃に覚えた空中で3回転する特技を見せても白い猫は「そう」としか言ってくれません。

そこで猫は何かを察したのか「そばにいてもいいかい?」と白い猫に聞きました。

すると、白い猫は「ええ」と答えてくれました。

猫はなぜ、「そう」としか答えなかった猫に対して、そばにいたいと思ったのでしょうか?

今までは自分から何もしなくても、愛されてきた猫が初めて、そっけなくされたのですから、最初は腹がたったのが、何とか気を惹こうとしている内に白い猫に愛されたいという気持ちに変わっていったのかもしれません。

そして、白い猫のそばに、いつまでもいました。白い猫は、かわいい子猫をたくさん産み、その子猫が自分よりも愛おしくなりました。
その後、子猫も独り立ちしてまた、二匹だけになりました。

しかし、白い猫は静かに動かなくなりました。

猫は100万回も泣きました。そして泣き止んだ時、猫はうごかなくなっていました。

ここで物語は終わります。

人の人生って、まず生まれて、色んな人に出会い、泣いたり、笑ったり、怒ったりして、誰もが最後を迎えます。

ざっくりまとめれば、みんな同じ人生ってことなんですよね。

 佐野洋子さんのエッセイ漫画

そんな、佐野さんのエッセイが漫画になり更にそれが番組になっているので紹介しておきます。

「ヨーコさんの言葉」というタイトルで、NHK Eテレで放送されました。

5分×50話の番組でした。
中部7県では現在、放送中です。(5月18日現在で14話まで終わっています)

 

2019年度は中部7県(愛知・金沢・静岡・福井・富山・三重・岐阜)では
下記の日時で放送予定

●総合 毎週土曜 午前11時20分
●総合 毎週木曜 午前0時15分(水曜深夜)

www4.nhk.or.jp

www4.nhk.or.jp

視聴できない場合には同じ内容が書籍になっています。

全部で5冊出版されていますが、ほぼ品切れ中ですね。

以下の本は2冊目ですが、最初に書いた、絵本100万回生きたねこの誕生エピソードが書かれています。

ヨーコさんの“言葉” それが何ぼのことだ

ヨーコさんの“言葉” それが何ぼのことだ

 

金沢の書店で、探してみたところ置いてありましたので、1冊買って読んでみたのですが、エッセイの内容がそのまま漫画になっているので、読みやすいです。

飼っている猫がいて、掃除機使い始めると猫が嫌がって外に出ていきます。掃除が終わると猫が戻ってくるのですが、そうしたら、わざと掃除機を使ったり、歩いて10分の郵便局に車で行ってしまう自分自身嫌だ嫌だ、意思がないほど怠惰と言ったり、モノの名前やヒトの名前が直ぐに出てこなかったり、飼っていた猫が癌で余命1週間だと言われて、一番高い猫の缶詰なら癌に勝てるのでは?と買ってしまう人間らしさ満載な人なんだということが絵と文から伝わってきます。
しかし、ただの普通のおばちゃんとは違うんですね。そういうところも、しっかり感じられる本になっています。文庫本よりもかなり高いのですが漫画が描かれている文、エピソードの一つ一つが身近に感じられます。あと文庫本は文字が小さいので読むことに気を取られてしまいエピソードに集中しにくいです。

一番、考えさせられたのは、癌で元気のなくなった飼い猫に対しての佐野さんの観察力です。人だと癌だ死ぬと泣いたり叫んだりするのに、猫はじっと静かにしているだけで偉いという佐野さんの文が何とも言えない感じにさせられます。

5冊出ていますが、僕は第二集が一番好きですね。

佐野さんファンの方で、ご存じない方は、書店や図書館に行けるようになったタイミングで是非、読んでみてください。