今回は、とりとめのない話ということで、おそらく内容がグダグダになると思うので、最初にお断りさせていただきます。
パラドックス
「パラドックス」は、通常、矛盾した状況や論理的に理解しにくい状況を指す。
これはしばしば直感や一般的な理解と矛盾するような状況や事実を指す場合に使われる。
例えば「わたしは嘘つきである」という文はパラドックスになる。
文の内容が真実であれば嘘にあり、嘘であれば真実になってしまう。
わたしは嘘つき?
「わたしは嘘つきだ」と言われた場合、どう受け取ればいいだろうか?
わたし=うそをつく → わたしは嘘をつかないことになる。
そうすると「わたしは嘘つきだ」と発言したことと矛盾が生じる。
本当に嘘つきであれば、「わたしは正直者だ」と言うはず。
では、「わたしは正直者だ」と言われた場合、どう受け取ればいいだろうか?
言葉通りに受け取れば「正直者」になる。
言葉通りに受け取った場合に更に「論理」で検証すると「わたしは嘘つきだ」と言った場合には論理的に矛盾するが、「わたしは正直者だ」という場合には矛盾がないことになる。
わたしは、わたしではない
じゃあ、「わたしは、わたしではない」と言われた場合はどうだろうか?
言葉通りに受け取れば、そう言った人は「わたし」ではないことになる。
しかし、論理的には「わたしはわたし」になる。
言っていることが論理的には矛盾する。
たとえば、仕事をしている時の私と、仕事から離れてプライベートの時の私では同じとは言えない。
仕事をしている時の私は、社員として振る舞うし、仕事を終えれば、プライベートの自分に戻る。
同じ私ではあるが、仕事中とそれ以外では内面的には切り替わっているので、私は私ではないというのは嘘ではないと言える。
言葉通りと論理、そしてパラドックス
先の例は、言葉通り受け取ると論理的には間違っていて、あとの例は、論理的には明らかに間違っているのに、実際は言葉通り受け取らないといけない場合。
そしてパラドックスというのは、矛盾を抱えていることになる。
先の例では「わたしは嘘つき」というのはパラドックスであり、あとの例の「わたしはわたしではない」というのはパラドックスのように見えるが実はパラドックスではない場合もある。
予想通り、グダグダになってしまった・・・