起きてから寝るまで
人生は、起きてから寝るまで選択と決断の連続。
ケンブリッジ大学のBarbara Sahakian教授の研究によると、人は1日に最大35,000回の決断をしているという。
コーネル大学の研究者によると、人は食べ物だけでも毎日 226.7 回の意思決定を行っているとか。
【出典】35,000 Decisions: The Great Choices of Strategic Leaders
自分は、1日に何回くらい選択と決断をしているのだろうか?
朝の選択と決断で思いつくのは・・・
- 起きたらまず何をするか?
- 新聞の、どの記事を読むか?
- 朝、何を食べるか?
- 今日は何を着ようか?
しかし、選択と決断の作業が「自動化」されていることもある。
- 朝、起きたら飲むモノ
- 歯を磨いて顔を洗う
- 毎朝、見ている情報番組
- 通勤コース
仮に1分に1回、1日16時間起きているとして、
- 1×60×16=960回/日
この数字なら、そんな感じかな?と思うが、35,000回って多すぎないだろうか?
- 35000÷16÷60=約36.5回/分
1分に36.5回も選択や決断をする人って?
1分間に36.5回、つまり約2秒に1回選択や決断をする人って、どんな人?
総理大臣なら、それくらいの選択や決断は日々しているのかもしれない。
スティーブ・ジョブズが決断することを減らすことで、重要な決断に使うエネルギーを節約していたということなので、大企業の社長も決断することが多いのだろう。
あっ、プログラムを作ってる時は、選択と決断の連続なので、仕事中は確かに1分間に60回位は選択と決断を行っているかもしれない。
そう考えると、世の中の「作家」さんと呼ばれるような人達は更に選択と決断の数は多いはず。
迷う
選択と決断で迷う時もあるだろう。
昼食を決めるとき、何を食べようか?
カレーライスにしようか?ラーメンにしようか?
カレーライスが食べたいが、家に帰れば、夕飯もカレーライスの予感がする・・・
やっぱり、ラーメンだろうか?
昼に何を食べるか?で人生が左右される可能性は少ないかもしれないが、家を買う、転職、起業といった選択をする際、決断に至るまでは、色んなことを考えてしまう。
例えば、家を買いたいと考えた時。
しかし、全国、世界に支社や支店があるような大きな会社だと、家を買った瞬間に転勤の辞令が出たりする。
そんなのは都市伝説だと言われるかもしれないが、家を買うということは、普通は、そこに永住すると決めたからで、自分は、もうこの場所からは一歩も出るつもりはないと宣言したようなもの。
少なくとも家を買った場所から別の場所に移動しようなんて気持ちが少しでもあれば家は買えない。
企業によっては、社員が家を買ったという情報を入手すると転勤の辞令が出しやすくなる。
なぜか?
家を買ったということは多くの会社員の場合、ローンを組むことになる。
そのため、年末調整で住宅ローン控除で申請をすれば会社には自然と知られてしまう。
これで転勤候補リストに名前が追加されて、会社の都合に応じて転勤の辞令が出されることになる。
転勤が意に、そぐわない内容だった場合でも会社を辞めるという決断は住宅ローンを組んでいると簡単にはできなくなる。
住宅ローンとは言っても、実質、借金。
家は買っても、お金を生むことはまずないので負の借金。
退職金までローン返済のプランに入っていたとしたら・・・退職を決断するのは容易ではない。
仮に転職したとしても、転職後の収入が今よりも多くなる保証がないし、継続して務められる保証もない。
引き抜きなどの理由で転職したのであれば現在より好条件になっているだろうが、今の会社と同じように活躍できるとも限らない。
普通に転職した場合だと最初ということもあって今までと同じ条件とは行かない場合も多い。
そんなことから、転勤の可能性がある会社の社員は、家を買うという選択と決断が人生を変えてしまうかもしれない。
欧米の決断に左右される日本
日本という国は、選択も決断も欧米に左右される傾向が強い。
よく言えば柔軟、悪く言えば優柔不断。
欧米が、今後、ガソリン車は販売しないと言えば日本も右へ倣え。
これからは多様性の時代だと言われたら、その通りだと左にも倣ってしまう。
自主性の欠片も感じられない。
国の先人達が作り上げてきた日本の文化を何の躊躇いもなく捨てられるなんてなかなか、できることではない。
自分達で選択や決断をすることを放棄しているようなもの。
それでいて、日本が中心になって発信していくとか言ってるが、そんなことできるはずがない。
なぜなら、世界で唯一の被曝国である日本は、核兵器に関しては、1番、説得力を持った発言ができる国であるが、核兵器廃絶に関する取り組みは、何も行われていないといっても良いのではないだろうか?
それどころか、米国の顔色を伺って核兵器禁止条約にも否定的。
理由は核兵器を保有している国が1国も賛同していないという理由。
核保有国が賛同していないなら、それこそ唯一の被曝国である日本が中心となって、核兵器の怖さを伝え、賛同するように訴えていくべきなのではないか?
本来、日本が中心になって行うべきことでさえ、行えていない国が、何を中心になって発信できるというのだ?
日本は、欧米の言いなりになっている状態だと言える。
このため、日本には自分というものがない。
このため、自国では選択も決断も行なえない無責任な国だと言ってもよいと思う。
今の日本に必要なのは、欧米の意見が全て正しいとは考えないこと。
いや、むしろ、欧米の言っていることは全て間違っていると考えるべき。
欧米は綺麗事を言うだけで、やってることと矛盾する自分勝手な国集まりだと言える。
欧米が言ってることは、綺麗ごとを並べてはいるが、根本的には自分達の利益が最優先。そして自分達さえよければ良いという思想。
そして自分達の思想に反対する者は全て敵。
見た目で人を差別するようなことを今でも行なっていて、偉そうに人種差別について語っているが、所詮は自分達が行ってきたことを禁止だと騒いでいるだけ。
そんなことは、言われるまでもない。
自分達によく言い聞かせてくれと言いたい。
そして、間違っていると判断したことに対しては、毅然とした態度で論理的に間違っていると発信していくことが大切なのではないだろうか?
そんな欧米に対して日本は、カーボンニュートラルを日本に圧しつけて来る前に、自分達がまず、脱核兵器を実践するべきだと指摘することが大切。
核兵器保有国が参加していないなどという、苦しい言い訳をしていないで、日本が先頭に立って、核兵器禁止条約を実現させるべき、動く必要があると思う。