青空の元旦だった
2024年の元旦は穏やかな天気で青空が広がっていた。
金沢でこんな青空が広がる元旦というのは高い確率でない。
朝、お節料理といつも通りのお雑煮を食べて満足し、今年は、いいお正月だなぁと喜んでいた・・・
今日は一日、何も考えずにボーっとしていようと思いつつ夕方5時からの「芸能人格付けチェック」楽しみにしていた。
早めに見ていようと2階の部屋で「北陸朝日放送」を何気に見ていた。
豹変した元旦
すると、突然、「緊急地震速報」の表示と共にスマホも「緊急地震速報です」という音声と共にサイレンが鳴り響いた。
最初、ガタガタと揺れただけだったので、大したことがなくてよかったと思っていると、また、「緊急地震速報」の表示が出た・・・
2回続けて?何となく嫌な感じがした。
1回目とは異なりこれまでに経験したことがないような凄い揺れだ。
これは、やばいと思って、直ぐに1階に降りて外に出ようとしたが、玄関の額縁が落ちて下駄箱の上に置いてあった花瓶が落ちて床にガラスが散乱していた。
30秒くらい揺れは続いたのだろうか?
これは、ただ事ではないと思いながら、外に出ると近所の人も不安そうに外に出てきた。
凄かったですねぇなどと言いながら家に異常がないかを確認したが異常はなかった。
次にスマホを確認するとなんと「津波警報」が発令されていた・・・
震源地は能登で震度5強となっていたが、今回の揺れは2007年3月25日の能登半島地震の時よりも明らかに強かった。
金沢が震度5強の間違いではないか?と思っていた。
暫くすると、震源は石川県能登地方でマグニチュード7.6、最大震度7に変わっていた。
そして金沢市はやはり、震度5強だった。
2024年1月2日の新聞を見て、あとからわかったが、1回目が震度5強で2回目が震度7ということだったので発表に間違いはなかった。
家の中に戻りテレビをつけると、「逃げてください」という表示とアナウンサーの方が大声で「海沿いの方は少しでも高い場所に逃げてください」と叫んでいる。
海沿いではないが、数キロ先には海がある。
この場合は、逃げた方が良いのか?判断がつかなかったので、金沢市のLINEやホームページを確認したが昨年29日のままで何も更新されていない。
元旦だから仕方ないと言えば、それまでだが、問い合わせ先くらいは掲載しておいて欲しいと一瞬、思った。
しかし同じように考える人は多いので電話番号が掲載されていても繋がらないだろうから意味がないかと諦めた。
そんなことを考えていると、テレビに金沢市の津波の予想高さは3mだと表示されている。
3mだと1階は完全に水没する・・・
さぁどうする?
石川県のホームページも同じで何も更新されていなかった。
慌てて避難するべきなのか?慌てないで情報を待つべきなのか?
しかし、避難しなくても良い人間が避難すれば混乱の元なので、もう少し待つことにした。
家の中を確認すると、食器は棚から落ちていて、色んなものが散乱していた。
正確には家の中に入った瞬間に状況は見えていたが、津波警報に驚き、そっちを優先してしまっていた。
2階を確認するとテレビは倒れ、クローゼットの扉は閉めてあったのに、中に入っていたもので押し出されて全開状態だった。
スタンドハンガーは真っ二つに折れていて、書棚も扉が開いていて、中の本が床に散乱していた・・・
1時間待ったが、石川県も金沢市も情報の更新はずっとない。
大きめの余震はずっと続いていた。
また、あの凄い揺れがくるのではないか?と不安しかなかった。
テレビでは、直ぐに高台に逃げてくださいと連呼している。
逃げる時は車ではなく歩いて逃げてください。
暗いので足元に気をつけてくださいと言っている。
結局、こういう時に頼りになるのは県でも市でもなくテレビ局なんだと強く感じた。
金沢市に津波は既に到着しており、90㎝を観測しているという。
19時になっても、県や市からの情報はまだない。
情報がないまま待っていると、金沢市の満潮が19時40分なので、満潮になると水位が更に上がるので気をつけて欲しいと言っている。
この時点で19時30分だったが、石川県も金沢市も情報は何も提供していない。
結局、海沿いではないということで逃げない判断をした。
ようやく県と市から情報提供
20時頃に石川県のホームページを見てみると、災害に関する最新の情報は「石川県防災ポータル」から確認くださいという内容が記載されていたので、「石川県防災ポータル」のリンクをクリックした。
しかし、欲しいと思っている情報は掲載されておらず、気象庁やテレビで公開されているような情報しかない・・・
こういう時、欲しい情報は、どの地域の人、どういう状態の人が避難をしないといけないのか?ということだと思った。
20時30過ぎに金沢市の方を確認してみると、
避難所が設置されたという案内があった。
金沢市では18時に対策本部が設置されていて、17時30分現在で、避難所は46か所、避難者数は1300人と記載されている。
18時に対策本部が設置されたのであれば、もっと早く、避難所の場所や避難指示について詳しく説明してくれても良いのではないだろうか?
1300人の方は、どうやって避難所に到達したのだろうか?
考えることはみな同じ
テレビを見ていると、石川県庁に避難している人が大勢いた。
自分と同じでどこに避難してよいのかわからなかったので、こういう時は、県庁に行けば19階建ての建物で駐車場も広く、何より情報が得られやすいのでは?という気持ちは正直あったので、考えることは同じなんだろうなと思う。
津波警報が出されて4時間以上
津波警報が出されて4時間以上経過して避難所の案内が出されるというのは、いくら元旦だといっても、のんびりしすぎではないだろうか?
今回、金沢に関しては、偶々、道路に流れ出てくるという事態にはなっていなかったので結果的には避難してもしなくても良かったことになる。
何と、地震があったとき、馳知事は石川県にさえおらず、東京に帰省されていたようだ。
馳知事は自宅は東京だということで単身赴任の状態のようだ。
新幹線も飛行機も安全のため運休状態だったので、石川県に戻ることができず、急遽、自衛隊のヘリコプターで向かうという報道がされていた。
記憶が定かではないが、馳知事は21時に市ヶ谷の防衛省を出て、23時30分頃に金沢駐屯地に到着したといった報道がテレビから聞こえていたと記憶している。
ネットでは、やはり県知事は地元に家を持っている人にするべきだという意見を述べている人もいた。
元旦の昼ご飯を食べてから、水を飲んだくらいで何も食べていない。
正確には、食欲が全くなく、何かを口に入れたいという気持ちになれなかった。
不安しかない年明け
この記事を書いている間も余震がずっと続いている。
徐々に大きな揺れは無くなってきているが、小さな揺れは1月3日になっても、ずっと続いている。
能登の方は今もまだ、震度5強の揺れが時々起きている。
そして能登の方は金沢とは比較にならないほど、酷い状態なので心が痛む。
午前中の穏やかなお正月が一転して、不安しかない年明けを迎えることになった。
※今回、自分自身も思い出したくないことではあるので、今後、何かの役に立てばと思って書かせてもらいました。しかしながらイラストを作成するのは精神的にかなり辛いので省略させて頂きます。