新聞を見ていると、日に日に新聞の記事の量が減って、広告が増えていったかと思うと、最近は広告さえ少なくなり、新聞が凄く薄くなっている時がある。
明らかに質は落ちて、記事も少なくなっているのに、購読料は値上げした時には、新聞社としての誇りはなくなり、プライドには埃がかぶっているのではないか?と悲しくなってしまう。
朝日新聞の「天声人語」も、今はタイトルを見ても惹きつけられようなものは、見られなくなり、文章からも記者の強い気持ちなどは感じられなくなった。
これでは、文章の書き方の見本として「天声人語」を使うといったことはできなくなりそうだ。
内容も美しい言葉より汚い言葉が目立つようになって、読んでいてホッとするような内容ではなく、殺伐とした気持ちになるようなものが多くなっている。
新聞記者が市長に言い負かされてしまう時代
先日、ブログでも書いたが広島県に本社のある中国新聞の記者と安芸高田市の市長が市の定例記者会見で行った、やり取りは酷いものだった。
中国新聞が書いた安芸高田市議会での新聞記事で主張されていることが、市長はわからないということで、中国新聞の編集局次長と支局長の2人を問い詰めた。
特に、編集局次長の受け答えは酷いもので、何を問われても、ふてくされた感じで以下のような回答を繰り返すばかりだった。
- お答えするつもりはありません、記事に書いてあることが全てです。
- 記事に書いてないことに答える必要はないと思います。
- お答えするつもりはありません。
- 全く理解できません。
とても、新聞社の局次長の受け答えとは思えない。
その辺の会社の新入社員の方がまだ、まともな言葉で返すのではないかと思った。
今までは新聞記者が問い詰める場面が多かったと思うが、今では立場が逆転してしまっている。
地方紙とはいえど、仮にも新聞社の局次長が、こんなレベルなので、その下で働いている人達のレベルも想像がついてしまう。
取材に行かなくなった記者
石川県の地元紙の記者も以前よりは取材を積極的に行っていない感じがする。
わざわざ、全国紙ではなく地方紙を購読している人の気持ちを理解しているのだろうか?
地方紙を購読するのは、テレビでは報道されないような地方のニュースが知りたいためで、別に地元で起きた犯罪事件や事故の報道が知りたいわけではない。
地元で行われた些細な行事やイベント、そういった内容が知りたいから地元紙を購読している。
以前だと、通勤の帰りに大渋滞に巻き込まれて酷い思いをした時に、何があったのだろうか?と翌日、新聞を見ると、こんな事故があったのか?としっかりと書かれていたものだったが、今は、それくらいでは、取材には行かないので記事にならない。
今の新聞記者は、地元の小さな出来事は取材に行かないので、新聞記事の内容は、全国紙と大差ない内容になってしまっている。
社内のエアコンが効いた快適な職場で、事務作業のようなことばかり行って、外に出かけないから生の情報が入ってこない。
冷凍食品のような情報ばかり集めて、レンジでチンして記事にしている、レンチン記者が大勢いるのが今の新聞社ではないだろうか?と思えるほど、記事の質が低下している。
新聞を購読する人が減っているのは「ネットニュース」のためではなく、自分達が足で記事を集めることが少なくなったからだということが認識できているのだろうか?
現場で取材することなく描き上げた「こたつ記事」のようなものなら自分でも書けると思う。
それこそ、AIが記事を作成する時代は遠くないと思う。
そうすると地方紙に書かかれてあることは全国紙と同じどころかネット記事に書かれてあることと同じになってしまう。
内容が乏しい新聞に未来はない
新聞社によるスクープ記事などというものは既にない。
新聞社のホームページからスクープ記事になりそうな情報を待つだけで自らは動かないでスクープに遭遇するはずがない。
仮にホームページからスクープになり得る情報が入ってきたとしても、情報に鈍感になっているので気がつかずにスルーしてしまう可能性も高い気がする。
記事が少なく、内容も乏しいと、自然と、記事で紙面を埋めることができなくなり、広告が多くなってしまう。
新聞を開くと2ページ全てが広告だったり、どのページも半分程度は広告だったりすると、購読している者にすれば、なぜ、購読料を支払って広告を見せられないといけないのだろうか?と疑問を感じる。
こうなると、新聞を購読するのは「スーパーのちらし」と「おくやみ」の記事だけが目的になってしまう。
どちらも必要ないという人は、わざわざ高いお金を払って新聞を購読する必要を感じなくなり、新聞の購読者は減っていく。
今は、高齢者がネットを使えないために新聞を購読している人が多いと思うが、10年後20年後にはネットを利用していた人たちが高齢者に移行していくのでネットが使える高齢者が増えていく。
このままなら、更に新聞の質は低下していく。
そうすれば、質が悪い有料の新聞を誰が購入するだろうか?
新聞社は、この事実を真摯に受け止める必要がある。
新聞を一度、購読しなくなった人は、余程のことがなければ購読してはくれないだろう。
新聞離れの理由は記者を始めとした新聞社全体の質の低下にあることは間違いない。
新聞社は、一刻も早く、質の向上を目指さなければいけない。