seegeのまとめサイト

もっと早く教えてくれよって思った内容を書いていきたいと思います。

記者の仕事

衝撃の出来事

ネット記事を見ていると、「衝撃の出来事」というタイトルが目に入った。

通常、記事と一緒に表示されているサムネイル画像は記事とは関係がないと思われる「47NEWS」と表示されていた。

記事を読んでみると、山陰中央新報社に今年入社した4人の中の2人が新聞記者として何を感じたのかを書いたものだった。

以下の内容はその中の1人が2022年6月1日に起きた火事を取材に行った時のことを書いたもの。

建物火災の現場は初めてだ。不安な気持ちになりながら自宅から車を走らせた。現場に近づくと、木の燃える臭いが車の中からでも分かる。緊張からか鼓動が速くなった。現場に到着し、写真を撮った後、合流した先輩記者と近くに住む男性に話を聞いた。すると突然、男性の奥さんが「お前らは人の気持ちが考えられんのんか」と先輩記者をどついた。衝撃的な出来事に言葉が出なかった。隣で必死に頭を下げる先輩を見て、自分たちは仕事なのか、悪いことをしているのか分からなくなった

【出典】衝撃の出来事、不覚にも涙腺が… 新聞記者になって~本社新人記者、2022年を振り返る<上>(Sデジオリジナル記事) | 山陰中央新報デジタル

火元の人は、家族がいれば残っている人はいないか?これからどうしよう・・・、なぜ?近隣住民の人は早く消して欲しい・・・

火災時の当事者の気持ちは、色々な気持ちが錯綜していると思う。

そんな時に目の前で、自分の家が燃えている写真を撮影しているものがいたら、どんな気持ちになるだろうか?

正直、これまで考えたことがないことだったが、自分の不幸を記念撮影のように撮影されている姿を見れば「怒り」を感じるのは当然のことだと思う。

記者の気持ち

そして、そんなことは百も承知で、仕事として撮影している記者の気持ちも考えたことがなかった。

情に流されて、必要な写真を撮っていなかったり、取材不足だったりすれば、取り返しがつかない場合もあるだろう。

記事を書いた新人記者2人の顔写真が掲載されていたが、新聞記者の面構えではなく、まだ学生という感じが強いものだった。

これから記者らしい面構えに変わっていくのだろう。

現場が人を育てる

人というのは「現場」が育ててくれると思っている。

「現場」には色々な意味があると思うが、ここでは「物事が実際に行われている場所」という意味になる。

記者の場合だと取材地ということになるし、スポーツ選手であれば試合が行われる競技場、学校の先生なら教室、プログラマーであれば、実際に自分が作ったソフトウェアが使われる場所といった感じだ。

とにかく「現場」にいれば好むと好まざる関係なしに色々なことを体験することになる。

机の前に座って頭の中で色々考えていては想像できないことまで身を持って体験することになる。

体験したことをどう活かすのか?が大切で、単に体験しただけで何も学ばなければ意味がなくなってしまう。

体験したことをしっかり活かすことができれば、成長するが、そうでなければ、何も変わることはできない。

現場が育ててくれるとは、こういうことになる。

今回の新人記者は、火災現場での写真撮影や取材で非難されていた先輩の姿を見て何を学んだのか?が大切だと思う。

単に衝撃的な出来事だったというだけでは、映画館で映画を見たのと何ら変わりがない。

客観的に考えると、火事に関する報道が必要か?と言う問いが出て来る。

日本で1日に発生する出荷件数は100件以上。

火事に関する報道が必要だというのであれば、100件以上の出火に関する報道を全てしないといけなくなる。

この問いに自分が納得できるような答えが出せなければ、なぜ、この火事だけ取材をして写真まで撮影して報道しないといけないのだろうか?という疑問が自分自身に生じるはずだ。

そうなると、火事現場での取材や写真撮影ができなくなるのではないだろうか?

新人記者の答えは、以下のようだ。

  • たとえ批判されても事実に迫り、社会の出来事を正しく伝えるために、取材をしなければならない。

国民の知る権利を守る

報道の目的は、国民の知る権利を守ること。

これは憲法第二十一条の表現の自由を保障するために必要な権利になる。

どういうことか?

何かを表現するためには、情報を得る(知る)ことが必要になる。

表現の自由を保障するためには、知ることを妨げてはいけない。

こういうことになる。

そうすると、報道は国民の「知る」権利にこたえるためのものになる。

火事の報道は、多くの人にとっては必要がないものかもしれない。

しかし、あちこちで火事が起きていることを報道することで、火事が増えているという注意喚起になる。

必要がある報道かどうかは、報道する側が決めることではなく、報道を知る側が決めることになる。

つまり、記者が火事の報道が不要だと判断する権利はないということになる。

仮に新聞社が火事の記事が必要だというのであれば、記事になるかどうかは別として記事にできるように集めることが記者の仕事になる。

記者の仕事というのは、自分の意志とは関係なく、言われたことをしっかり行うことになるので、強い信念がないと出来ない仕事になる。