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もっと早く教えてくれよって思った内容を書いていきたいと思います。

案山子

案山子(かかし)といえば、農作物を害する鳥獣を追払う装置や設備で、以下のようなものをイメージすると思う。

案山子の種類

しかし、案山子にも種類があって、ヒト型のもの以外にも、音や光でおどしたり、悪臭で追い払おうとするものなどがある。

  • 音や光でおどすものには,水車や鳴子を使ったり,空缶をたたいたり,空砲を撃つなどして大きな音をたてたり,ひらひらする布や,きらきら光る金属片などで幻惑させたり,鳥の死骸をぶら下げておどすものなどがある。
  • 臭いによるものは,髪の毛,油をしみこませた布,魚の頭,獣肉などを焼き焦がし,その悪臭で鳥獣を近づけまいとする方法
  • 人の形に似せたものは,人と見まちがわせようとするものであるが,これは田の神の依座でもある。

【出典】案山子(かかし)とは? 意味や使い方 - コトバンク

案山子というのは、嫌な臭いをかがせる意味の「嗅がし」が語源だと言われている。

案山子の思い出

学生の頃、通学途中に畑や田んぼがあったので、案山子はよく見ていた。

ある時、畑に後ろ向きで麦わら帽子にTシャツを着せられた案山子が目についた。

これまで、見たことがないものだったので、新しく作ったのか?と見ていると、案山子が動いた!

何のことはない、畑の手入れをしている人だった。

人だと分かった瞬間、緊張感が一気に解放されて心臓がドキドキしていた。

本当に驚いた時は、心臓が止まるかと思ったとよく言うが、まさにその通りだった。

別の思い出で、畑の手入れをしている人が後ろ向きに身動き一つしないで立っていた。

何かを見ているのかと、同じ方向を見ても何もない。

あまりに気になったので、近づいてみると案山子だった。

鍬を持っていたり、足には長くつをはいていたりと小道具が人間感を出していた。

あまりにもリアルに作られていて人と間違えてしまうほどだった。

案山子との接点

改めて考えてみると、案山子との接点は、これくらいで他に思い出は全くない。

数メートル先から見たことはあっても間近でみたことがない。

どうやって作っているのかも、考えたことがない。

その程度しか、案山子と関わってないくせに、なぜプログの記事にしようと考えたのだろうか?

さだまさしの「案山子」

「案山子」という、さだまさしさんの曲が流れてきて、それを聴いていた。

この歌は、以下の詞で始まる。

  • 元気でいるか?街には慣れたか?友達出来たか?
  • 寂しかないか?お金はあるか?今度いつ帰る?

自分は、あまり唄を聴くときにメロディを聴いてしまうので、詞が頭に入ってこないが、この曲は不思議と詞が頭に残る。

それも「詞」だけではなく、「メロディ」も一緒に自然と入り込んでくる。

この歌、ずっと親が子に対しての気持ちを語っているものだと思っていた。

しかし、以下の記事を読んで間違っていることに気がついた。

「案山子」を作曲するキッカケになったのは、さだと実弟佐田繁理)が、大分から福岡へ列車移動しているときの一コマからだという。さだは、車窓から雪が積もった田んぼの案山子に気づき「かわいそうだな…」と、弟に語りかけたそうだ。ひとりポツンと田んぼに立つ寂しげな案山子の姿を、自身が経験した都会でのひとり暮らしや弟の台湾留学を心配した思い出と重ね合わせ、イメージを大きく膨らませたのだろう。

【出典】さだまさし「案山子」45年前にリリースされた “いま聴きたい歌” の歌詞を深読み

確かに、以下のような詞もあるので、詞の意味をしっかり理解していれば「兄」目線だということがわかるはず。

  • 手紙が無理なら電話でもいい、「金頼む」の一言でもいい
  • お前の笑顔を「待ちわびるおふくろ」に聴かせてやってくれ

タイトルは、「案山子」だが「案山子」はどこで登場するのか?

  • 銀色の毛布つけた田んぼにぽつり、置き去られて雪をかぶった「案山子」がひとり。
  • お前も都会の雪景色の中で、丁度、あの案山子のように寂しい思いをしていないか?身体を壊していないか?

さださん、この唄(案山子)が一番気に入っているそうだ。

さださんが、ずっと東京で生活していて、あるいは弟が外国に勉強に言っている時のそんな兄貴の気持ち、あるいはおやじ、おふくろの気持ちを詩(うた)にしたもの。

※ここでも、自分は弟ではなく、妹だと思っていた・・・

高級料亭の料理人ではない

更に以下のようなことも話されていた。

「案山子」を作った時に、知人に以下のようなことを言われた。

  • こんなもの「さだまさし」でなくったって書けるし、さだまさしでなくても書けるメロディで、お前でなくても誰が唄ってもいい歌だ。

さださんは、それを聞いて「違うな」と思ったそうで、そのことについて以下のように語っている。

自分の持ち場、誰にでも持ち場ありますよね?

漠然と歌を唄っているけど、オールマイティになんて絶対なれっこない。

必ず、自分の小さな持ち場ってものをみんなが持ち合わせていて・・・

自分の持ち場っていうのは、こういう・・

これが自分の持ち場じゃないか?って自分でそう思い込んだ時期がありまして、それが未だに間違っているとは思えなくて・・・

どこにでもあること、誰でも知っていることを歌にしていくことが、なんか自分の持ち場じゃないかなぁってそんな気がします。

天下のさだまさしさんの持ち場は、高級料亭の料理人というのではなく、一般家庭で料理を作る人ってことなのだろう。