愚痴が多くなった
最近、ブログを書いていて感じるのは愚痴のような内容が多いなぁ〜ってことです。
年初ということもあるので、愚痴のない内容を書きたいと思います。
禅語
日日是好日という禅語があります。
言葉の意味はインターネットで調べると以下のようなないようが見つかると思います。
「くる日もくる日も、楽しく平和な日が続くこと」
「人生には雨の日もあれば、風の日、晴れの日もあります。雨の日は雨の日を楽しみ、風の日には風の日を楽しみ、晴れの日には晴れの日を楽しむ。楽しめるときは、楽しみ、楽しみがない時もなきところを楽しむ」
前者と後者であれば、僕は後者の方が禅語らしい意味のように感じます。
でも、風の強い日に「楽しみなきことを楽しむ」と言われても楽しいはずはありません。
人は本来は楽しい時でも心配事などがあると楽しむことが、できないものです。
それなのに、楽しいことがない時に、楽しいなんて思えるはずが、ないと思うんですよね。
映画での日日是好日
原作は森下典子さんのエッセイで「日日是好日ーお茶が教えてくれた15のしあわせ」というタイトルで2018年10月に映画も公開されています。
映画の中では「日日是好日」の意味は以下のように説明されてます。
雨の日は雨を聞く。雪の日は雪を見て、夏には夏の暑さを、冬は身の切れるような寒さを、五感を使って、全身で、その瞬間を味わう。
少し柔らかい感じになっています。
難しい「日日是好日」
でも、身の切れるような寒さを味わうというのも、難しいのではないでしょうか?
だから、僕は次のように考えるようにしてます。
天気に雨、くもり、晴れがあるように、生きていれば良いことばかりではなく必ず変化はあります。
雨の日というのは嫌なものです。
しかし、夏の暑い日が続いて降って来た時の雨、もうダムの水が空になりそうだという時に降ってきた雨というのは、嫌だという気持ちは綺麗になくなり喜ばしい気持ちに変わっているはずです。
雨という部分だけを切り取ると「嫌」な気持ちになるかもしれませんが、「連日の猛暑」、「水不足」という繋がりがあると「嫌」も「嬉」に変わるわけです。
人って、日々自分の身に起きていることを「晴れ」、「雨」、「くもり」という部分だけを切り取ってしまって繋がりとして見ていないんですよね。
人との繋がりを重要にしなくなってきている風潮が「繋がり」を重要だと思わなくさせてしまい、それで余計、「部分」だけで切り取ってしまうのかもしれません。
繋がりと部分
例えば、昨年は良いことが一つもなかったと思う方がいたとします。
初詣に行った後に、田んぼに車を落としてしまった。
2月の節分には豆まきもして恵方巻きも食べたけど、階段から落ちて怪我をした。
8月の土用の丑の日には鰻を食べたけど、次の日に熱中症で倒れてしまった。
12月の冬至に、風邪をひかないようにと、ゆず湯に入ったけど、その日の晩から熱が出て「風邪」をひいてしまった。
こんなことが1年の間に起これば、多くの人は今年は年始から年末までろくなことがなかった、最悪の年だったと思うのではないでしょうか?
これは繋がりを見ないで、切り取った部分だけを見ているので、最悪に見えてしまうんです。
初詣の帰りに車を田んぼに落としてしまったけど、実はその先では「土砂崩れ」が起きていて車が田んぼに落ちていなかったら、土砂崩れに巻き込まれていた。
2月は階段から落ちて怪我をしましたが、そのため海外出張が延期になった。
出張に行っていれば、テロ事件に巻き込まれていた。
8月には熱中症で倒れましたが、もし倒れていなければ、乗るはずだった電車で無差別殺傷事件に出くわして重傷を負っていた。
12月は風邪を風邪をひいて熱が出ましたが、これは知らず知らずの内に疲労が溜まっていたので安静にして休養を取る必要があったということかもしれません。
田んぼに車を落とした、階段から落ちた、熱中症で倒れた、年末に風邪をひいた。どれも、そこだけを見れば、酷いことばかりかもしれません。
しかし、その先の更に酷い最悪とも言えるようなことが回避できていたとすれば、どうなのでしょうか?
酷いと嘆くのではなく、むしろ、嬉しいと喜び感謝すべきことではないでしょうか?
酷い出来事のあとに、何が起きていたかなんてわかりません。
でも、その日に起きたことは最善のことだったと考えれば、違った見方ができるのではないでしょうか?
僕には禅語でいうところの「楽しみなきことを楽しむ」ということは理解できても実践できる自信はありません。
それでも、実は、酷い出来事の後には最悪な出来事が起きていたかもしれないと考えることはできます。
本来の「日日是好日」という言葉の意味とは違うのかもしれません。
しかし、「楽しみなきことを楽しむ」という境地に少しは近づけるように思います。
千里の道も1歩からです。
前に進まないことには到達することはできません。
「楽しみなきことを楽しむ」という境地に早く到達したいものです。