大黒摩季さん
昨年の5月27日で、歌手デビュー30周年ということから大黒摩季さんの特集が組まれていた。
大黒さんといえば、「ら・ら・ら」
この曲は、番組MCの中居さんが、初主演のドラマ「味いちもんめ」の主題歌だった。
大黒さんは、地元の高校では力強い歌声が評判となりバンドのボーカルの掛け持ちをしたり、グランドキャバレーのステージに立ったりと、地元では知られた存在なっていた。
そして、1989年、高校卒業と共に地元北海道から歌手になるために上京した。
雑誌でビーイングのオーデションの募集を見つけてデモテープを送ってみた。
数日後、ビーイングから連絡があった。
いよいよ、歌手デビューだと思って事務所に行った。
しかし、全く想像していなかった事をビーイングのプロデューサに言われた。
- よかったら、うちでコーラスでもやりながら勉強したらどう?
- 今の君くらいの人は、いっぱいいるんだよ。
- 才能なんて全然ないと思うよ。
- ただ、可能性は感じているよ。
だから、バックコーラスとかしながら勉強してみたら?
大黒さんは、プロデューサからの屈辱的な言葉の数々に正直カチンときた。
複数の音楽事務所からオファーもあったので、歌手としてデビューするなら、そっちに行った方が早い。
しかし、東京に出てきて自分より凄い人は、いるかもしれないことに気付き始めていた。
このため、育ててもらいたいという思いもある。
そんな自分の気持ちを見透かされた思いがした。
そんなことから、このプロデューサにかけてみようかな?と思ってビーイングでお世話になることに決めた。
ビーイングは、リズム、音程、ピッチ(音の高さ)といった歌のクォリティに当時の音楽業界で要求されていた以上に細かいところまでこだわっていた。
このため、デビューさせようと思った人には、まずコーラスの仕事をさせるようにしていた。
コーラスではリズムだったり、音程をシビアに要求されるからだ。
また、コーラスの仕事をさせることで、デビュー前の経済的な援助もできる。
今の大黒さんがあるのは、間違いなくコーラス時代の下積みがあったからだと思う。
ZARDの坂井さん
コーラスの下積み時代に、ZARDのポーカル坂井泉水さんを紹介されて、デビュー曲(Good‐bye My Loneliness)のコーラスを担当した。
大黒さんは、ビーイングには先に入っているので先輩だが年齢は坂井さんの方が2歳年上になる。
年齢は上ではあるが、なぜ、あとから入った坂井さんが大黒さんより先にデビューできたのだろうか?
大黒さん目線で考えれば、面白いはずがない。
歌が売れる売れないは、歌の技術より声の質という考え方なのだろう。
大黒さんは、歌に力はあったと思うが声質では十人並み。
プロデューサーに才能がない、君くらいの人はいっぱいいると言われたのは声質のことだと思う。
坂井さんは歌の技術に関してはまだ、発展途上ではあったが声質に関しては人を惹きつけるズバ抜けた魅力があった。
声質は生まれ持ったものであり、努力ではどうにもならない。
ZARDのデビュー曲(Good‐bye My Loneliness)が完成した時、関係者全員が売れると思っていたし、実際、ドラマの主題歌として作られたこともあって発売から4週目でベスト10入りを果たした。
この曲をきっかけに、ZARDの名前が知られようになっていった。
そして大黒さんはZARDのコーラスを担当するようになった。
ライブよりレコーディング
ビーイングはライブよりレコーディング、歌手は顔出しをさせないという方針だった。
レコードだと最高の出来に仕上げたものを聞いてもらえるがライブだとそうはいかない。
また、顔出しすることで、音楽以外の仕事が増えてしまい音楽に集中できなくなる。
歌のクォリティにこだわっていたビーイングらしい方針だと思う。
しかし、歌が売れれば、どんな人が歌っているんだ?と気になるのが世の常。
マスコミは何とか坂井さんの姿を撮影しようとレコーディングスタジオ周辺で待ち構えていた。
この時に、大黒さんとのスタジオ脱走エピソードなどがあったという。
その後、大黒さんは1992年5月27日に念願の歌手デビューを果たしたが、デビュー曲は売れず、坂井さんからの強い要望もあってZARDのコーラスはデビューしてからも続けることになった。
ビーイングが変わった
ビーイングはB’z、ZARD、WANDSといったアーチストの曲が飛躍的に伸びて、一世を風靡するようになる。
しかし、1993年、ビーイングを代表するプロデューサーが耳の持病悪化を理由に一時的に引退する。
この頃から音楽事業での資金を元手に不動産投資事業で運用するようになっていった。
これが、ビーイングが悪い方向に変わっていく始まりだと思っている。
どう悪くなったのかは公表されていないので、わからないが、アーティストやスタッフが次々にビーイングから離れていったことから、音楽に対する方針が変わったことは、容易に想像できるのではないだろうか?
大黒さんも離れていった1人だった。
大黒さんは1999年12月31日にライブで充電のため活動を休止すると発表した。
実は、この時、既にビーイングを出ることを決めていたようだ。
坂井さんには事前に伝えていた。
それを知って坂井さんは、1999年6月8日にZARDのベストアルバムを発売した時の写真集に、以下のようなメッセージを書いて大黒さんに送っている。
摩季ちゃんへ
私のためにも!!これからもガンバって下さいね。
遠くから応援しています。
大黒さんが金スマの番組内で「私が出るのわかっていたからね。」と何度も話しているのが印象的だった。
2000年の時点では大黒さんは、まだビーイングに所属し充電期間中となる。
実際にビーイングを離脱したのは2001年なので1年間のタイムラグが生じる。
そのため事前に説明しておこうと考えて伝えたのだと思うが、MCの中居さんは、そんなことを一切、考えていなかったのか、見事、発言を全てスルーしていた(笑)
坂井さんと大黒さんの不仲説
大黒さんと坂井さんには不仲説が流れていた。
キッカケは、2007年5月27日に放送されていた、中山秀征さんがMCを務めるバラエティ番組、「ウチくる!?」で、中山さんから、レコーディングの時に、こいつ下手くそだなみたいなアイドルもいっぱいいたでしょ?という質問をされて、以下のように答えていた。
はい。
ぶっちゃけ・・・ぶっちゃけ
なんで、あんたの気持ち悪い音程に合わせて私が歌わなべば、ならないのだ。
可愛いっていうのは、こういうことか!
やっぱ、顔か!身体か!
なんで?っていう感じじゃないですか?
発言内容から察するに女性アイドルだと思われる。
そんなことから、坂井さんのことを言ってるのではないか?とネットで騒がれたことがあった。
まず、坂井さんはアイドルとして売り出していたわけではない。
今のビーイングなら別だが、当時のビーイングだとアイドルなんていない。
そして、大黒さんはビーイングに所属している歌手以外にも、いろんな方のコーラスに参加している。
大黒さんがコーラスに参加していたアイドルと言われていた方だと、中山美穂さん(WANDS)の「世界中の誰よりきっと」、酒井法子さんの「蒼いうさぎ」、Winkの「咲き誇れ愛しさよ」などの曲にも参加している。
どれも、1993年〜95年の曲になる。
大黒さんの発言は、この方達を指していたのかもしれないが、それはそれで問題になるので大黒さんも余計なことを言ったものだと思う。
大黒さんにすれば、坂井さんをアイドルだと思っていないので、問題になった時には、「えっ?」という感じだったかもしれない。
その後、必要以上に坂井さんのことを崇拝しているような発言が増えてしまったが、自分としては、そっちの方が逆に違和感を感じる。
ビーイングの社名変更
最後になるが、「ビーイング」は、2023年4月4日から、社名を「B ZONE」に変えている。
新社名は「存在すること」を意味する旧社名「Being」の「B」と、集中力が極限まで高まり感覚が研ぎ澄まされている状態を表す「ZONE」を一緒にしたもの。
ビーイングの先がビーゾーンだとか。
自らの限界を決めず慣習に囚われることなく 進化変革の時代に生きる音楽/エンターテインメントを創出するため弊社は“Being”から“B ZONE”(ビーゾーン)として生まれ変わります
しかし、社名だけが変わっても中身が同じなら何も変わらない。
猫が「タマ」という名前を「ポチ」に変えても犬にはなれないのと同じこと。
名前を変えるより以前のようにクォリティに拘った音楽を制作する方向に戻って欲しい。
お金儲け優先の、やり方ではファンは離れていくだけだと思う。