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「坂井泉水 モディリアーニの絵のように」を読んで(その2)

歌うことが最大の自己表現の場

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以下、前回、紹介した記事の一部です。

  • 私って小さい頃から、短い時間で自分を表現するのがすごく苦手だったんです。思ったように言葉を伝えられなかったり、それで誤解されたり・・・
    感情がオモテに出にくいタイプなんでしょうね。気持ちの中には伝えたいことが
    いーっぱいで、あふれているぐらいなのに、言葉になるときは、そのいっぱいが半分ぐらいになっちゃって、つい無口になったりして、まわりからは、おとなしい子だって思われてる反面、動きのあるもの、男性っぽいものにすごく惹かれてもいたんです。陸上部に入っていて、意外と活動的な面も持っていましたしね。スポーツもするし、詩や絵も描くし、静と動の両面が自分の中には存在していたような気がします。
    だから、バンドをやることになったんでしょうね。作詞を始めたのもね、詩を書くときには誰にも気を使う必要もないし、自分の思っていることを自分の言葉で表すことができるから。
    口から出る言葉で、うまく伝えられない分、詩で発散していたというか・・・
    うまく出せない思いを詞に託せることが、うれしかったからなんです。でも、アクティブなことにも、ものすごく惹かれていたので、ステージに立って自分で歌を歌うという行動に出たんだと思うんですね。
    ”陰“から”陽”におもいきり変わる瞬間って、私にとってはたまらなくワクワクすることだったんです。
    初めて人前で歌ったときは、すごく緊張したけど、一度ステージの上に立ってしまったら気持ちがよくて、”あっ、もうやめられないな”って思いましたね。それが今でもずーっと続いているんです。

坂井さんはどんな人?

坂井さんって、人見知りの性格なのでしょう。
でも一度、信頼関係ができてしまえば、表現できなくなるということもなくなり、思ったことをそのまま話してくれそうな感じがします。
でも、その信頼関係ができるまでが、一筋縄ではいかないのでしょうね(笑)

信頼関係が築けていない人だと、こんなことを言っても、つまらないかも?気分を悪くしないだろうか?と色々と考えすぎてしまって話せなくなるというのは僕も経験があります。この人と、何を話せば良いんだろう?っていう人が偶にいますが、共通の話題を見つけるまでに色々と考えてしまって結局、何も話せないという状態が続き、何か話さないといけないと思えば思うほど、何も話せなくなり、長ーい時間がゆっくりと過ぎていきます。

坂井さんは、短い時間で自分を表現するのが苦手だったと書かれてあるので、自分のことを短時間で伝えないといけないと更に気持ちが焦ってしまい、言葉にならなくて誤解されてしまう。そうすると、言葉ではなく、スポーツや趣味で自分を理解してもらおうと考える気持ちは僕もわかります。

僕は子供の頃から、おとなしい感じだと言われることが多かったのですが、それは本当の僕ではないと思っていました、体育などで短距離で誰よりも速く走ったり、バスケットボール、バレーボール、サッカーで活躍することで僕の違う面を知ってもらおうと頑張ったものです。そして坂井さんが男性的なものに惹かれたりという気持ちも、よくわかります。

僕の場合は男なので、女性っぽい面に惹かれてと言ってしまうと、それが誤解を受けるかもしれませんが、恋愛ドラマを女性目線で見てしまったり、考え方で影響されたのも女性が圧倒的に多かったように思います。

男性の有名人で影響されたのは、柴田恭平さん、ブルース・リーさんくらいしか思いつきませんが、女性有名人だと、色々と名前が出てきます(笑)

(名前を出すのは勘弁してください。)

誤解される

坂井さんは、「誤解されたり」という言葉を使われています。このため、本当の自分を知ってほしいという思いが強くなったのでしょう。だから、沢山の人に自分を知ってもらえる、歌でステージに立つという道に憧れたのだと思います。

半面、未知のことに対して、色々と考えてしまう性格の自分もいます。

たとえばテレビ番組は決められた時間で、更に自分に割り当てられる時間もキッチリと決められます。つまり限られた時間で自分の思っていること、伝えたいことをキッチリと表現しないといけません。そんな状態で、色々と考えていたのでは、伝えたいことの半分も伝わりません。

ZARDの初ライブ 

そんな坂井さんの初ライブは、1991年11月3日、東海大学沼津キャンパスの学園祭でした。

これは、翌年に行う計画だった、全国規模のコンサート・ライブを視野に入れてのものだったのではないかと僕は思っています。

大阪のテレビ番組に出演

その後、1992年2月6日の「おはよう朝日です」に出演して、コンサートとライブについて以下のように語っています。(この時の視界が宮根誠司さんでした)

  • コンサート・ライブを全然、やってなかったので、夏ぐらいから全国的にやりたいと思っています。

番組での坂井さんですが、緊張しているような感じではなく、むしろ夜中までレコーディングを行っていた疲労感が漂う感じでした。坂井さんの発言内容から、1992年の夏にコンサートを予定していたということになります。

歌番組への出演

実際には夏にライブ・コンサートは開催されず、1992年8月7日にミュージックステーションにテレビ出演し、1992年8月28日、1992年9月18日にもミュージックステーションに出演しています。

歌う前のタモリさんとのトークも初対面・緊張が合わさって見ている側にまで緊張感が伝わってきて、こちらまで胃が痛くなりそうな感じでした。

そして、1992年9月9日は、SOUND ARENAに出演していますが、司会の堺さんが坂井さんに嫌いな食べ物は?という質問した時に、「生きているものが・・・」と答えてしまって生ものがダメ?と堺さんにフォローされていたシーンは、まさに以下の言葉を示したものでした。

  • 短い時間で自分を表現するのがすごく苦手だったんです。思ったように言葉を伝えられなかったり

このような感じで、思ったように言葉を伝えられなかった・・・と悔やんでいたのでは、肝心の歌にも影響しまうので、ギコチなくなったり、音を外してしまったり、歌詞を忘れたりもするでしょう。これでは、発売されたCDとテレビでは別人のようになってしまうので、歌っているのは別人じゃないのか?という疑いを持たれることにもなります。そうすると、坂井さんにとってはテレビというのは、好ましい媒体ではなくなります。半年くらい間をあけて、1993年2月5日のミュージックステーションに出演しました。タモリさんとの会話は相変わらず、緊張感を感じさせるもので、何を話せばよいのかお互い困っている感じが伝わってきました。この時は、負けないでを歌ったのですが、ドラムのシンバルが倒れそうになっていたり、坂井さんは声が出ないようで散々でした。しかし、歌が終わってからですが、井上昌己さんの「恋が素敵な理由」の歌詞で「はじめての日 灰皿がなくて、間に合わせた貝殻」を使って、「はじめての日 xxx がなくて、間に合わせた xxx」を考えてみるということで、小泉今日子さん、千堂あきほさん、坂井さんが答えていました。

小泉さんは、以下のような回答でした。

  • はじめての日、自信 がなくて、間に合わせた 笑顔

千堂さんは、以下のような回答でした。

  • はじめての日、電気 がなくて、間に合わせた ローソク

そして坂井さんは・・・

  • はじめての日 パジャマ がなくて間に合わせた あなたの白いYシャツ

流石、坂井さん!という感じです。

坂井さんは自分が清楚なおとなしい感じの女性だと思われるのが抵抗あるのでしょう、タモリさんが腫れものに触る感じで坂井さんに対応していたので、坂井さんもそれに合わせてぎこちない感じになっていました。

タモリさんが泉水ちゃんは「やけ」になったことありますか?と坂井さんはやけになることがないかのように質問したのですが、坂井さんは「ありますよ」と答えます。意外な答えに周囲の人は笑ってしまい、「どんなことで?」と聞くと、坂井さんは、直ぐに思い浮かばないのか、「そうですね・・・やっぱり」と困った感じだったので、「音楽上の事や仕事の事で?」とタモリさんが助けてくれます。これに対して「あります!あんまり妥協できないみたいなところが・・・」と答えていました。「そういう時、どうするんですか?」という問いには、「口きかなくなりますね」とのことで、ここでも周囲で笑いが起きていました。

普通なら、笑えるシーンですが、緊張感が伝わってくるので、僕は笑うことができませんでした。結局、これが、坂井さんのテレビ出演、最後となりました。

ついに、ZARD初ライブが実現?

そしてこの年の秋に、「ZARD FIRST LIVE “HOLD ME」 というタイトルで、1992年10月5日に大阪CLUB QUATTRO、同年10月6日には名古屋CLUB QUATTRO、10月20日に東京日清パワーステーションで単独ライブが行われることになりました。

しかし、直前の10月3日になって全て中止となっています。

原因は坂井さんが体調を崩してステージに立てる状態ではないと判断されたからです。

2日前に中止を決定したことで会場に来てしまう人も多かったでしょう。

現在のようにメールやSNSもありませんので、中止を伝える手段は新聞やテレビになります。しかし広告料も安くはなかったでしょうから、会場でスタッフが謝罪するという選択になったのだと思います。遠方から楽しみにして来られた方は旅費や宿泊費が無駄になりダブルでショックだつたでしょうね。

夜中のレコーディングにより昼夜が逆転し自律神経は乱れ、初の単独ライブによるプレッシャーで体調を崩されたのでしょう。その後、何年もZARDのコンサート・ライブについて発表されることはありませんでした。

 

しかし、一つ気になったのが、1993年11月24日~25日に日本青年館で30曲のビデオ撮影を行っていることです。何に使うために撮影したのかは、わかりませんが、結果的に現在の貴重な映像になっています。

船上ライブ

そして、1999年8月31日に「ぱしふぃっくびいなす号」での船上ライブが開催されました。この時も体調が悪く、更に初めての本格ライブということで緊張が重なり、別人のような坂井さんでした。

実際、あまりの状態の悪さから厳選したテイク以外は使用しないでくださいと坂井さん自身がお願いしてきたということを長戸さんが言われています。このため船上ライブの映像は一部のみが公開され、一般販売も行われていませんし今後、公開されるとしてもハードルはかなり高いとも言われています。

ライブ・コンサートになる都度、色々な要因が重なり坂井さんの状態が悪くなるのですから、本人は当然のこと、スタッフや関係者の方も大変な苦労があったかと思います。

カメラを向けられただけで表情が硬くなってしまうので、自然な表情を撮影したいと隠し撮りのようなことをしていたことからも、坂井さんは凄くデリケートでガラスのような精神だったように感じられます。そこへ体調不良、緊張が加われば別人のようになってしまうのは当然でしょう。

病気との闘い

2000年以降は病気との闘いとなり、2003年位までは、シングル曲のリリースが1年に1曲程度のペースになっていました。

2003年になりようやく体調が戻ってきたのか、大阪のHillsパン工場で開催されていた、THURSDAY LIVEです。その2回目の公演(2003年3月27日)の「R&B NIGHT」にシークレットゲストとして出演者にも知らせないで坂井さん登場したのです。

この時の出演は滴草由実さんで、突然の坂井さんの登場で、観客だけではなく出演者も驚いていたということです。

13年目の初コンサート

その後も坂井さんの体調不良は続きますが、2004年に初めてのコンサート、「What a beautiful moment Tour」がついに行われます。

この時も、状態はかなり悪かったように思います。
それでも、坂井さんの何らかの想いが、背中を押したのでしょう。

昼夜逆転の生活で自律神経が乱れ、免疫力が下がってしまい体調を崩すようになってしまったのだと僕は思っています。

人は昼に起きて、夜に眠るようにできているのですから、その生活が変われば身体に影響が出るのは当然です。

それでも坂井さんが選んだ道なので、ベストな選択だったのでしょう。