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もっと早く教えてくれよって思った内容を書いていきたいと思います。

日本の失われた心、武士道

石は落ちても登っても変わらない

成田悠輔さんが、令和四年度 VANTAN卒業式にゲストとして招かれてスピーチを行った時の動画を見た。


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いきなり、第16代ローマ帝国皇帝 マルクス・アウレリウスの言葉を持ち出した。

  • 投げられた石にとって、昇っていくことが良いことでもないし、落ちていくことが悪いことでもない。

マルクス・アウレリウスの手記「自省録」に書かれている言葉だ。

投げられた石が、昇ろうが、落ちようが、「石」自体には何ら変わりはない。

人も同じで、何かで成功しても、失敗したとしても、「人」自体には何ら変わりはないという言葉になる。

この言葉を、卒業生の方に贈りたいというところから話を始めた。

成田氏は以下のような内容を語った。

ほとんどの人間にとって人生は、そんな大したものにはならない。

成功物語とは程遠い、グダグダな人生が待っていると思います。

そして成功者と言われていても、そんな大したことがない場合が多いと思うんですよ。

偶々、良い人とか良い組織、偶々、凄く伸びている業界に巡り合えたといった、いきなり爆発する領域に巡り合えたといった運が良かっただけ、あるいは生まれながらに凄く特殊な身体・スタイル・頭脳を持っていただけ、そんな人ばかりです。

そんな人達の成功体験というのは偏った経験や教訓によるものなので、偏っていて歪んでいると思うんですね。

とても、データとかエビデンスとは呼べないような場合が多い。

そんなところから無理やり教訓とかを引き出して本当に未来に向かって役に立つのでしょうか?

そうすると、本当に大切なのは成功者のメッセージを聞くことではないのではないかと思うんです。

最も重要なことは、うまくいくかどうか、全くわからない、むしろ、多分失敗する中でも、とりあえず足を踏み出してしまう、意味不明な勇気をどう持つか?ということじゃないかと思うんです。

これまで、人類が試してきた中で成功してきたことは、ごく一部で、裏側にはまだ試されていない領域とか、忘れ去られたこと、踏み入れても意味がない、踏み入れてはいけない領域が広がっています。

その領域に一歩踏み出す勇気を、どうやって持つのかが大事だと思うんです。

勇気を持つ3つの方法

では、どうすれば、その勇気が持てるようになるのか?

成田さんは、人間は、これまでに以下の3つの方法を作り出してきたと話した。

  • 幼児性
  • 異国性
  • 武士性

幼児性については、子供になることを利用する方法で、まだ幼いために常識も知識もない子供は自分が発することで何が起きるのかが想像できないので、思ったことを、そのまま口にしてしまう。

異国性は、外国人、アウトサイダーといった外に属しているから好き勝手なことを言えてしまうというもの。

この二つは、どちらかと言えば、野次馬的に外側から社会に対してヤジを飛ばしているだけのようなものになる。

しかし、本当に大切なのは、内側から社会を変えようとする方法になる。

これが、3つ目の武士性になる。

成田さんは、第二次世界大戦で日本が負けた時にGHQは日本の財閥の解体を実施していったときの渋沢家の話をしていた。

しかし、話されていた内容が実際と異なっていたので、訂正した内容で以下に記載する。

渋沢家は財閥に属していることになっていたがGHQが調査をしていくと財閥には属さないことがわかったので、渋沢家の当時の当主、渋沢栄一の孫にあたる、敬三に対して大蔵大臣に財閥解体の対象から外すよう申請するように勧められた。

当時の大蔵大臣は、渋沢敬三自身だったので、何の問題もなかったが、自分宛の申請を嫌った。

また、多くの日本人が戦死していった中で自身は巨額の富を持っていることを潔しとせず申請を行わずに解体を受け入れてしまった。

このことを敬三は「ニコ没(ニコニコしながら没落)」と称していた。

今の日本の政治家で、このような潔いことができる人がいるだろうか?

本当に国のためを考えたからこそ、できた決断だったと思う。

成田さんは、これに武士の心を感じたことまでは話を聞いて理解できたが、これが、なぜ3つ目の方法になるのかは理解できなかった。

このため、以下は自分なりの見解になる。

これは、未知の領域に一歩足を踏み入れたら地雷を踏んで爆発するかもしれないといったことより遥かに凄いことで、日本のためを考えて自らを解体してしまうことになる。

自身のためではなく、誰かのために何かを成し遂げようという気持ちになることが第3の方法、武士性だと理解した。

失われていく武士道

日本の政治家だけでなく、日本の国民の多くが、失ってしまった精神だと思う。

日本代表として世界大会で戦う時には、チーム名を野球では、侍ジャパン、サッカーでは侍ブルーとしているが、武士の精神で戦うという気持ちからだと思っている。

日本には宗教というものが存在しない。

キリストの誕生日であるクリスマスを祝って、仏教の開祖であるブッダの誕生日には触れることさえない。

それでいて葬式は仏教式で行なう場合が多い。

宗教がないと思えるような日本でも共通する道徳心が存在する。

これは、学校教育で身についたものではなく、日本での日常生活で自然と身についていったものだと思う。

そしてベースになっているのが、「武士道」、つまり武士が守るべき掟と言えるのではないだろうか?

武士道には神道や仏教の教えも入っていることだろう。

フェアプレイの精神、困っている人がいたら助けてあげる、ゴミは拾う、お金が落ちていたら交番に届ける。

このような日常生活に直結した精神が日本では当たり前のように浸透している。

今の日本は、そういう昔からの武士道的な日本の心が少しずつ、失われているように感じる。