NHKの朝ドラ「らんまん」の主人公のモデルになったのは、1500種もの植物に学名をつけ、日本の植物分類学の父と言われた牧野富太郎氏
- 雑草という草はない。
という言葉が有名だとか。
どんな草や木にでも名前がつけられている、しかし、多くの人が雑草だとか雑木林と無神経な呼び方をする。
自分のことを雑兵と呼ばれたらどう思う?人を呼ぶ場合は名前で呼ぶのが礼儀ではないか?という気持ちから出てきた言葉になる。
だから、名前のついていない植物を見つけて、たくさんの学名を、つけていたのかもしれない。
牧野氏は、ほぼ独学で植物の知識を身につけたそうだ。
小学校には2年程度しか通っていないが、それは学習内容が物足りなかったからだという。
このため、小学校ではなく「自然」という学校を選んだ。
牧野氏は22歳の時に高知県から上京している。
これが不思議だった。
植物が好きであれば、東京より高知県の方が自然も豊かな環境のはず。
実は、牧野氏は17歳の時に小野蘭山という江戸時代の本草学者が書かれた「本草網目啓蒙」という日本の本草学研究の集大成とも言える植物学の本に出会っている。
本草学とは、中国の薬物学で、薬用とする植物、動物、鉱物につき、その形態、産地、効能などを研究するもの。
牧野氏は、この本を借りて筆写まで行っている。
筆写を行っている時に「本草網目啓蒙」には植物の名称や形状については詳しく解説されているが、効能や処方についてはほとんど取り上げられていないことに気付いた。
そして自分が「本草網目啓蒙」に足りない部分を補ったものを作る必要があると感じた。
そのためには、日本にあるすべての植物の標本が必要だと感じ、日本中を旅しないといけないと思った。
そして、膨大な量の文献を読まないといけない。
高知県にいては、できないと考えて上京を決意した。
馬鈴薯はジャガイモでない
牧野氏の著書「植物一日一題」の最初に馬鈴薯はジャガイモではないということが力説されている。
あの、小野蘭山氏が馬鈴薯をジャガイモと言ってるのだから誰も否定する人がいなかった。
そんなことから、今でも馬鈴薯はジャガイモの別名と書かれている。
元来、馬鈴薯は中国の福建省の一地方に産する植物の一つだと言われている。
しかし、どんな植物なのかが、はっきりしていない。
日本のジャガイモはアンデスが原産地のもので、欧州を経由して日本に入ってきたものになる。
同様にアンデスのジャガイモが欧州から中国にも入っている。
中国では欧州から入ってきたものを荷蘭薯と呼び、中国の植物である馬鈴薯とは区別している。
馬鈴薯について書かれてある数少ない中国の書物の「松溪県志」によれば、馬鈴薯とは以下のようなものになる。
- 馬鈴薯ハ葉ハ樹ニ依テ生ズ、之レヲ掘リ取レバ形チニ小大アリテ略ボ鈴子ノ如シ、色ハ黒クシテ円ク、味ハ苦甘シ(漢文)
ジャガイモの茎は樹木に攀(よ)じのぼるような蔓(つる)ではないし、その薯(いも)は黒色でもない。
また味も苦甘くもない。
このことから、ジャガイモと馬鈴薯が同じだというのは間違っているというのが牧野氏が否定している理由になる。
牧野氏は、馬鈴薯は、ホドイモではないかと言っている。
アメリカ大陸では、アピオスと呼ばれていて「松溪県志」に書かれていた馬鈴薯の表現とも一致する。
牧野氏は植物の日本名すなわち和名は、いっさい仮名で書くのが便利かつ合理的であり、わさわざ、めんどくさい漢字で書く必要もないとも言っている。
1957年に亡くなられているので、80年以上も前にカタカナの方が合理的だと言ってしまう考え方は今の若い人に近いように感じた。
大都会で無人島生活
牧野氏の生き方は、学歴も、お金も関係なく、植物が好きだから植物のことを、とにかく知りたいという気持ちが最優先になっている。
人生を好きなことだけに使うというのは、とても羨ましく思える。
羨ましいと思えるのは自分には、できないことを牧野氏が実現したからだ。
今の日本では好きなことをだけを行なって生きていくなんてことは、大変というか、ほぼ不可能だと思う。
例えるなら、大都会で、無人島生活をしてみたいと思うのと同じだと思う。
それを実現した、牧野氏は凄い人だと思った。
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