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もっと早く教えてくれよって思った内容を書いていきたいと思います。

【今週のお題】手作りの連鎖

今週のお題「手づくり」

全ては誰かの手作り

普段食べている物の多くは、自分で作ったものではなく、誰かが作ったもの。

着ている服、靴、乗っている車、住んでいる家と何から何まで誰かが作ったもの。

唯一、自分で作っているものと言えば、仕事の成果物。

しかし、それも、誰かが作った何かを使って作ったもの。

パソコンは勿論のこと、文字を入力するキーボード、パソコン操作を支援してくれるマウス、入力したデータ、出力したデータを表示してくれるモニター、パソコンで動作するOSやソフトウェア、パソコンを動作させるための電気。

身の回りにあるものは全て誰かが作ったものであり、手作りだと言える。

相互共存

そう考えると、改めてティック・ナット・ハン師の「相互共存」という言葉を実感する。

師は、「微笑みに生きる」という著書の中で、紙を見れば、その上には雲が浮かんでいる見えると書かれている。

どういうことか?雲がなければ雨が降らない、雨が降らなければ、木が育たない。

そして、木がなければ紙が作れない。

しかし、これだと「相互共存」を説明する場合に内容が複雑になってしまう。

相互共存という意味では、雲と木で説明するのがわかりやすいのではないだろうか?

雲により降って来た雨が土に落ちると、木の根が土に吸収された水分を吸収する。

そして、吸収した水分は葉を通して蒸発される(蒸散)と水蒸気となり空気中を上昇していく、上空の空気は冷たいので冷やされる。

冷やされた水蒸気は空気の中を漂う小さな埃の粒の周りに集まって雫になる。

これが集まると雲になる。

一見関係のなさそうな雲と木が、実はお互いが存在するために欠かせない存在になっている。

これが相互共存ということになる。

世の中には人だけではなく、色んなものが相互共存の関係にある。

人間はつい「自分」という括りで考えてしまう。

このため、自分さえ良ければと考えて行ってしまう。

手作りの連鎖

小さい頃から、お年寄りには席を譲りましょうと教えられてきた。

しかし、最近は席を譲ろうとしたら「年寄りじゃないバカにするんじゃない!」と逆に怒鳴られることもあるとか。

親切心から起こした行動に対して怒鳴られたら、どんな気持ちになるだろうか?

もしかすると、これがトラウマになって二度と席を譲ることができなくなってしまうかもしれない。

また、怒鳴られた人が別の人に話して、それが広まっていけば、年寄りに席を譲ったら怒鳴られるかもしれないと考えて席を譲ることを躊躇する人も増えていくだろう。

更に月日が経ち、怒鳴った人も年を更に重ねて、立っているのが辛くなったとしても、その頃には老人に席を譲らないのが当たり前となっていて席を譲ってはくれない。

自分のことしか考えなかった結果が、時間を経て自分に跳ね返ってくることになる。

席を譲ってくれないだけなら良いが、道端で突然倒れた時でも誰も声を掛けてくれずに放置されてしまう時代になってしまう可能性だってある。

席を譲ってあげるということで、立っている人に楽をさせてあげることになる。

席を譲ってもらったら方は、形を変えてゴミステーションを掃除したり、見守り活動に参加したり自分ができることをして誰かの役に立つことをする。

席を譲ることは楽を作ること、ゴミステーションを掃除するのは、気持ちよくゴミを捨てたり回収できるように気持ち良さを作ること、見守り活動に参加するのは、子供達が安全に家に帰れるように安心を作ること。

これらは全て、誰かの手を借りずに何かを作るという行為になるので「手作り」と言えるのではないだろうか?

今は何かといえば、お金やモノで気持ちを示そうとするが、これでは連鎖の輪は小さいものになる。

施された方に直接、返すのではなく、別の人に施してあげることで連鎖の輪は広がっていき、いつか全く別の形で戻ってくるというのはステキな事ではないだろうか?

無理をしないとできないことをするのではなく、些細なことでもよいので、誰かに何かをしてあげることが日本を良くしていく第一歩になると信じている。