武芸より鮎釣りを奨励していた加賀藩
江戸時代、加賀藩はアユ釣りを奨励していた。
加賀百万石と言われていた大きな勢力を持つ加賀藩は徳川幕府に恭順の意を示す意味で武芸ではなく、鮎釣りを武士の特権として奨励していた。
しかし、それは表向きの理由だった。
釣りは集中力、足腰の鍛錬、バランスなどを養えるということで、実は武芸の鍛錬にもなっていた。
釣りで使われたのが「加賀竿」
そんなことから「加賀竿」は石川県の伝統工芸品にも指定されている。
しかし、近年はカーボンを代表とする軽くて安価な竿が主流となり加賀竿の作り手がいなくなっていった。
今では、「加賀竿工房 白峯」の中村滋(なかむらしげる)さん(64歳)だけになってしまった。
中村さんは石川県内の高校・養護学校の教員として勤務していた。
アマチュアとして和竿を作り始めたが、教師を辞めて、目細忠吉氏に弟子入りし加賀竿の伝統的な制作手法を学んだ。
加賀竿は製造工程が多いので時間と手間がかかる。
竿作りは竹を取るところから始まる。
竹は人間と同じで、1本1本性格がすべて違う。
真っすぐな竹もあれば、曲がっている竹もある。
身が太いものや薄い竹もある。
そして、太くても弱いものもあれば、見た目には薄いけれど非常に強いものもある。
竿作りで一番難しいのは、素材選びだと中村氏は話していた。
乾燥、切り組み、火入れ、漆塗り等と、完成するまでに120工程がある。
補強や装飾のための漆塗りだけでも20回以上行わないといけない。
このため、1本の竿ができるまでに半年から1年かかる。
半年かけても、途中で失敗すれば全てが水の泡。
それでも、加賀竿は通常、1本3万円から10万円、高い竿でも50万円。
半年から1年かけて作っても1本10万円程度。
これでは、確かに食べていけない仕事だと思う。
中村さんの師匠は、伝統工芸と言われるとカッコいいが、経済的には成り立たないので大変だと話している。
時間ばかりかかって、本当に効率も悪く、今の時代と反対の逆行するような仕事なので、本気で作り手になろうという人がいなかった。
これまでも、何人も弟子入りを希望してきた。
しかし、電話だけで終わったり、1日~3日で辞める人が多かった。
そんな中、石田栄治さん(41歳)が弟子入りを希望してきた。
石田さんは釣りの専門チャンネルに中村さんが出演していて、金沢にも和竿があることを知った。
これがきっかけで、和竿作りに興味を持ち中村さんに弟子入りを希望した。
しかし、これまでのことが、あり中村さんは素直には喜べなかったようだ。
ところが、今回は違った。
自営業を営みながら1週間に2回、中村さんのところへ通い続けて2年経った。
金沢市から伝統文化対象の補助金をもらいながら、独り立ちを目指している。
鮎釣の思い出
祖父が釣りが好きで鮎釣りにも一度だけ一緒に行ったことがある。
祖父は自動車免許を持っていなかったので、普段は自転車で移動していた。
しかし、鮎釣の時は金沢から数十キロ離れた手取川に行くことになる。
このため、電車で移動した。
手取川というのは白山から白山市を通り日本海に注ぐ一級河川になる。
その時の竿が竹製の和竿だった。
加賀竿かどうかは、わからないが、小さな鮎を釣るのに長くて太く竿をなぜ使わないといけないのか?と疑問を感じた。
しかも、その竿は、とにかく重かった。
川の中には入らず、陸から釣っていた。
手作りの毛ばり
餌は祖父の手作りの毛針。
祖父が家で毛針を作っていたのを時々見かけたので、鮎を釣る時のものだと、この時に初めて知った。
川の上流に向かって毛針を投げ込み、川の流れに合わせて毛針が流れていく。
これを鮎が虫と勘違いして食いついて来た時に合わせる。
鮎は石がゴロゴロしているような場所を好む。
そんな場所に毛針を投げ込み川底まで沈めると石に引っかかって糸が切れてしまう。
今考えると、毛針が川底に付かないように竿をコントロールしてあげないといけなかったのだろう。
祖父は、寡黙な人で最低限のことしか教えてくれなかった。
そんなことを考えないで毛針を投げ込み、川底をズルズルと流していたので、何回も糸を切ってしまい、毛針を無駄にしてしまった。
祖父が手間暇かけて作った毛針を短時間で無駄にしてしまうのは、流石に心苦しかった。
それでも、祖父は何も言わずに毛針をつけてくれていた。
毛針をこれ以上無くすのは申し訳ないので、竿が重くて疲れたから、あとは見ていると言って途中でやめた。
その後は、祖父が釣った鮎を見せてもらったり、川辺を歩いたりして過ごしていた。
鮎は、それまで焼かれた姿しか見ていなかったが釣れた鮎は太陽の光が反射してとても綺麗だった。
友釣り
その後、別の人が釣っているのを見ていると、鮎が同時に二匹釣れていた。
それを見て驚いたので、祖父に伝えにいくと、それは「友釣り」だと教えてくれた。
鮎には縄張りがあって、鮎をオトリにして別の鮎の縄張りに投げ込むと侵入者だと攻撃してくるので、オトリ鮎に仕掛けた針が引っかかり釣れるというのが友釣りになる。
しかし、その時は友釣りという言葉から鮎は共食いする怖い魚くらいにしか理解していなかった。
鮎釣は、毛針のことがあったので、その時一回だけて、以後は遠いから嫌だとか理由を作って断わるようになった。
このため、鮎釣と聞くと自分は鮎釣の竹竿ではなく、祖父が作っていた毛針を思い出す。