犀川のほとりで「零余子」
金沢では、庭に実のなる木を植える家が多いらしい。祖母の実家にも、無花果(いちじく)や柿の木があったと聞いたことがある。きっと、零余子もあったのだろう。
零余子?って何だろうか?
無花果や柿の木は確かに子供の頃に見かけた記憶があるが、零余子ってそもそも、何て読むんだろう?
読み方は「むかご」
山芋やオニユリの葉の付け根にできる芽が栄養分を貯めて球状となったもので「実」というよりは「芽」と言った方が良さそうだ。
自分は金沢に住んでいるが、零余子という言葉を始めて知ったし、当然、食べたこともない。
秋の味覚で、ご飯と一緒の炊いたり、塩ゆでにすると酒のつまみにもなるとか。
しかし、鬼滅の刃に登場する人物だということなので、鬼滅の刃を見ていた人は、読み方は知っているのだろう。
松尾芭蕉の句
芭蕉の句でも、「菊の露落ちて拾へば零余子かな」というものがある。
菊の露かと思って拾ったら零余子だったという意味のようだ。
実に状況がイメージしやすい。
さすが、芭蕉というのが自分にもわかる。
しかし、菊の露と零余子を間違えるだろうか?
下図のようなイメージ図を作ってみた。(左側は露と零余子、右側は菊と零余子)
百歩譲って形は似ているので、 間違えるかもしれないが、一番気になったのは、露を拾おうと思うのか?という点。
しかし、そんなことが凄く小さなことに思えてしまう程、芭蕉の句は素晴らしかったので、どうでもよくなった。
知らないことに加えて、情報もあまりない、「零余子」
内容的には物足りないが、初めて聞いた「零余子」のことを少しでも良いので書いておきたいと思ったので、今回は、短い内容になってしまうことをご容赦願いたい。