フッ素ジェルがない!
朝、歯磨き後の「フッ素ジェル」が入ったの容器を取ろうとするがない。
昨日、使い切ったので買い置きしているものを取り出して封を開けたとこまでは覚えている、
考えてみれば開けただけで洗面所には持っていかずに置いたままにしていたことを思い出した。
取りに戻って探してみたが見つからない。
どうやら使い終わったものと一緒に捨ててしまったようだ。
こんなこと、これまでに一度もなかった。
他にもキーケースの金具が外れてしまって自転車の鍵を紛失してしまったり、卵を割ったら、器に入らず、床に落ちてしまった。それ以来、卵を割るのが怖くなってしまった。
昨年までと何が変わったんだろうか?と悩んでしまう。
自分的には昨年までとなんら変わりなく手を抜いてるわけでも、注意しなくなったわけでもない。
運が悪いとは?
ここで、ふと思った。
「運が悪い」というのは、こういうことなのではないか?
順番に考えてみると、新品のフッ素ジェルを捨ててしまったのは、翌日がゴミの収集日だった。
使い終わったものを捨てないといけないと思って使い終わったものをすぐに捨てていた。
そして、翌日、再度、夜から朝にかけて出てきた捨てるゴミがないかを確認していた時に封を開けたフッ素ジェルがあったので使い終わったものだと勘違いして捨ててしまった。
これまでは、封を開けた新品のフッ素はすぐに洗面所に持っていったが、今回はそのままにして、使い終わったものを持って翌日捨てるゴミを集めに行ってしまった。
これまでは、使い終わったものを捨てて直ぐ新しいものは洗面所に持って行ってたのが、今回は他のゴミを集めなければという気持ちの方が強くなり、洗面所に持っていくのを忘れてしまった。
さらに翌日、使い終わったものを捨て忘れたという気持ちが強く、中身を確認することもしないで捨ててしまった。
キーケースの金具が外れていたのに、気がつかずに自転車の鍵を落としてしまったのは、自転車の鍵を取り付けていた金具だけロック部分がゆるくなっていて以前からロックが外れていたことがあった。
それでも、鍵を落とせば音がして気がつくだろうと考えて何も対策をしていなかった。
自転車の鍵を無くしたことに気づいたのは今年に入ってからだが、昨年末に雪が2回ほど積もっていた。
雪の上に自転車の鍵が落ちても気がつかないし、落としたままだと雪が積もっていて鍵が見えなくなる。
そして除雪されてしまえば鍵は雪と共に水に流されていく。
このため、普段なら翌日に気がつく場合でも雪の日だと気がつかないことになる。
最後の卵を割って床に落としてしまったのは、最近、冬になると指先がツルツルになってモノを掴んでも指先で滑って落としてしまうことが多くなっていた。
毎日のように色んなとこでアルコール消毒をしているのが1番、大きいが冬になると指紋がなくなっているのではないか?と思うほどツルツルになっている。
このため指紋認証のシステムが指紋を認識してくれなくてパスワードを入力することになり手間がかかる。
普通に卵を取り出す時でも落としそうな感じがしていたので、卵を割るために勢いよく器の淵にぶつけると、その衝撃で指先が滑り卵が落ちてしまうのは、当然の結果だと思う。
こうやって振り返ってみると、運が悪いと思っていたことは実は起きて当然のことだったように思う。
フッ素ジェルは、捨てる前に中身を確認するという作業を怠っていた。
自転車の鍵はキーケースに問題があることを周知していたのだから落としてしまうのは当然の結果。
卵を割って床に落としてしまったのも、指が滑るのを周知していたのだから、落ちて当然。
これまで、起きなかったことの方が運が良くて、運が悪いと思っていたことの方は当然の結果と言える。
野球の監督で有名だった、野村克也さんの著書で「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」といった内容を読んだことがある。
元々は、肥前国第9代平戸藩主、松浦清の言葉で、松浦清が、松浦静山の名で執筆した随筆集『甲子夜話』の中の一節。
勝負は時の運ではあるが、だけはっきり言えることが一つだけある。
偶然に勝つことはあっても、偶然に負けることはない。
負ける要因は山のようにある。
勝つためには全ての負ける要素を排除しないといけない。
これが必勝法ということになるのだろう。
負ける要素がいくつも残っているのに勝てたなら、それは運が良かったということ。
しかし、たった一つ負ける要素が残っていたために負けた場合、それは運が悪かったのではなく、当然の結果だということ。
そう考えると、運が悪いと思えることが起きないように努力することが結果的に運が良くなる方法と言えるのではないだろうか?