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また宮崎県を「どげんかせんと」いかんの?

「どげんかせんといかん」

宮崎県を「どげんかせんといかん」とタレントをやめて宮崎県知事立候補したのが2007年1月のこと。

売名行為だと言われてバッシングされていたが、26万7千票を獲得して見事当選。

タレントの経験を生かしてメディアを活用し宮崎県のセールスマンとして、メディアに出演して知名度を向上させ県産品の販売促進につなげた。

宮崎県のマンゴーや、地鶏は今では有名ブランドになっているが、これは東国原元県知事の功績だ。

国政進出のため宮崎を捨てた

そして4年目の2010年9月30日の新聞には、来年の1月20日で任期満了となる東国原元宮崎県知事は、9月定例議会本会議で「知事選には出馬をしないという結論に至った」という発言を行った。

結論に至った理由は以下の通り

  • 4年弱、真摯に取り組んできたが、県知事としての限界を感じてきた。この国の統治システムを変えないと、閉塞感は是正できないとずっと考えていた。県知事として霞が関と対立することは県のためにならない。5年、10年、20年後を考えた時に、国のシステムを変えることが、中長期的にみれば、宮崎のためになると思い、今回の結論に達した

しかし国政ではなく、2011年4月の東京都知事選に立候補したのだ。

なぜ、宮崎県を捨てて、東京都をどげんかせんといかんと思ったのだろうか?

しかし、石原慎太郎に大差で敗れて落選。

翌年12月の衆議院選挙に日本維新の会から出馬して当選したものの、1年後には「たちあがれ日本との合流で維新の政策がぶれた。国家観や歴史認識のズレが大きくなった」という理由で離党、「比例でいただいた議席は党に返すのが筋だ」と議員も辞職している。

そして国政も捨てた

そして、コメンテーターとしてテレビに復帰し芸能活動を再開した。

しかし、彼のコメントは日に日に単なる批判だけの内容になっていった。

正直、聞いていても「なるほど」という感想は出てこないで「またか」という呆れが半分の言葉しか出てこなかった。

そのため、顔つきも人を惹きつけないどころか、嫌悪感を感じるような顔つきに変わっていった。

シン・どげんかせんといかん

2020年8月15日、テレビのレギュラー番組を一身上の理由ということで休んで宮崎にいた。

そして、朝日新聞デジタルが「東国原英夫氏が宮崎知事選出馬へ」と報じた記事に対して以下のように自身のツイッターでつぶやいた。

  • 現時点で「我こそは!」と言う勇者がいない。宮崎は「現状のままで良いのか」。県民の選択肢は無くて良いのか。無謀な戦いは百も承知。故郷宮崎の為に対案・選択肢をお示ししたい。

【出典】https://twitter.com/higashi_kokuba/status/1558802356061761537

宮崎県知事選への立候補を表明した会見では、立候補した理由を以下のように述べている。

コロナとかウクライナ問題、物価高騰の問題等々で、疲弊した地方の経済をですね、回復させなきゃいけないということを強く思いました。

一番やりたいことは宮崎のプレゼンス(存在感)をあげる。宮崎の存在感をあげる。知名度を上げる。

国のシステムを変えることが宮崎県のためだと言って辞めたのに、国会議員を辞めた後はコメンテーターとして出演しているだけで国のシステムを変えようとしていたようには思えなかった。

自身を「どげんかせんといかん!」

そんな状態で仮に宮崎県知事に戻っても辞める前に戻るだけ。

いや、一度、宮崎を捨てた人だという事実があるので、何かあれば持ち出されるはず。

そうなると状況は辞める前より厳しくなっているように思う。

前回の時とは異なり、自分は、知事在任中の支持率94%だったんだという自負が強く残っていると思うが、そういったものは全て捨てて、気持ちをリセットして初当選した時の状態に戻れないと、宮崎を一度捨てた人だということで反感も買いやすくなるだろう。

宮崎県の前に自分自身を「どげんかせんといかん」のではないだろうか?