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石川県庁は失言と忖度の「裸のムラ」

28年続いた政権が変わった

7期28年間続いた、石川県の谷本知事政権。

それが2022年3月13日に終止符を打ち、馳政権に変わった。

これを記念して・・・いや、境にして石川テレビ放送が制作したドキュメンタリー番組が、「日本国男村」と「裸のムラ」

共に80分番組。

「日本国男村」では、権力者と女性にスポットを当てた番組構成になっている。

象徴的なのは、県議会の知事席で女性職員が飲み物の容器の水滴を入念に拭いて準備する場面や、インドネシアから来日して二十年以上の妻(ムスリム)が今の日本国籍を取得していないのは、「国籍を変えても外国人でしょ。日本では顔で判断されるから」と答える場面。

「裸のムラ」は、これにバン・ライファ―(家を持たず、バン(貨物車)に住んで移動して暮らす)の家族の映像が追加されている。

共に監督は、富山県チューリップテレビでアナウンサーをしていた、五百旗頭幸男(いおきべゆきお)さん

五百旗頭さんは、富山市議会の政務活動費問題を追った映画「はりぼて 腐敗議会と記者たちの攻防」で監督デビューしており、この映画も富山市議でのシリアスな内容をドタバタ劇風にコミカルに仕上げていて面白かった。

その後、石川テレビに移籍して、ドキュメンタリー番組の「日本国男村」と「裸のムラ」を制作し、この2つのドキュメンタリーを2時間にまとめた映画「裸のムラ」の監督も務めている。

タイトルの意味は、石川県政を「ムラ社会」、県知事を「裸の王様」に例えたものだと思っていた。

村社会というのは、有力者を中心に厳しい秩序を保ち、しきたりを守りながら、よそ者を受け入れようとしない排他的な社会をいう。 しきたりに背くと村八分などの制裁がある。

裸の王様というのは、高い地位にあって周囲からの批判や反対を受け入れないために、真実が見えなくなっている人のことを指す。

しかし、「裸のムラ」は、石川県全体を指しているようだ。

2020年に未知のウイルスが日本にもやってきて、社会が混乱して、その中で色んなものが見えてきた社会の断面を切り取ったものであり、見えていなかったものが裸になって見えてくる作品だという。

色んなものということで、以下の関係性のなさそうな3つの題材を一つの映画にまとめている。

しかし、この3つの題材は「ムラ」という地下水脈で一つに繋がっているので、どこで繋がっているのか?ということを感じたり、見たあとに、色々と考えて欲しいということだ。

そんなことから、この映画はノーナレーションで作られている。

なぜ、3つの題材を選んだのか?

ムスリムは、これまで世間から厳しい目を向けられて阻害されてきた人達であり、コロナ禍で世間はムスリムに関心をもたないから困っていることが、あるだろうという思いで取材を行ったが、コロナ禍で逆に厳しい目で見られることが減った。そんなことから、コロナが終わった時に厳しい目で見られるようになるのが怖いと言われた。

それが監督にとっては想定外の答えだったので、この人たちを取材していけば今の社会の断面が撮れるのではないか?と思った。

その頃、県政では谷本知事がコロナ禍に失言を続けて迷走気味だったので、ここも被写体としてはウォッチしていくと何か見えて来ると考えた。

ムスリムの家族と県政は金沢市内で起きていることだったので、金沢以外の地域も取材したいと思っていた。

偶然、バンライファ―の拠点が穴水(能登地方)にあるということを知って、取材に行くと、長女の子供の天真爛漫ぶりに魅了された。

直感的に、この人たちのことも取材していると何かあるんじゃないかと感じた。

そして、直感的に、この3つの関係ない題材で何か一つのものが撮れると思った。

直感なので、この時点で明確なゴールが見えていたわけではない。

この3つの題材をストーリーテリング(物語で伝えること)に、はめ込むことによって何か見せられるんじゃないかな?という程度のものだった。

この映画では、男性中心の村社会の象徴である石川県政がメインになる。

そして、村社会から、はじき出されたムスリム、村社会の目から逃れようとするバンライファ―。

こういった、対比から村社会の矛盾が見えてくる。

石川県知事はこれまでに3人だけ

石川県の県知事は現知事を含めてこれまでに3人しかいない。

60年の石川県政で県知事が3人。

ザックリしたイメージだと昭和で1人、平成で1人、令和で1人という感じだ。

このことからも、石川県は典型的な保守王国ということが、わかるのではないだろうか?

長年、県のトップである県知事を務めていれば、批判や反対をするものがいても聞き入れることもしなくなる。

批判や反対をするものがいれば周囲が「忖度」して何らかの対応をしてしまう。

そうすると自然と批判や反対をするものがいなくなり、真実が見えなくなってしまう。

どうだろう?まさに、村社会の裸の王様ではないだろうか?

村社会に裸の王様、石川県政と前知事を表現するのにピッタリな言葉だと思う。

失言といえば、石川県代表、いや日本代表と表現してもよいのではないか?という人がいる。

元総理大臣、森喜朗氏で数々の失言がある。

  • 日本の国、まさに天皇を中心としている神の国
  • 子どもを作らず自由を謳歌した女性を税金で面倒見なさいというのはおかしい
  • 女性が入っている理事会は時間がかかる。

森氏は、2023年1月25日でも、失言の力を見せつけるかのように日印協会の式典でロシアの問題について以下のように語っていた。

その時には、日印協会の会長となった前総理の菅さんも同席していたが、お構いなしだった。

  • せっかく積み立てて、ここまで来ているのに、こんなにウクライナに力入れちゃっていいのかなぁと、もし、どっちかが戦争で終わる・・・どっちかが勝つ負けるという問題じゃないでしょう。ロシアが負けるっちゅうことは、まず考えられない。そういう事態になればもっと大変なことが起きる。その時に日本がやっぱり大事な役割をしなければならない。それが日本の仕事だと思います。

何とも自由奔放というか、ここまでくると失言の神様という感じだ。

その森氏が石川県では主流派になれなかった。

森氏は一応、総理大臣になった人なので、権力はあるはずだが、1994年初代石川県知事の中西陽一氏が任期中に死去されたことから行われた、石川県知事選では谷本氏が当選した。

この時に、森氏は元農林水産事務次官の石川弘氏を候補者として立てたが勝てなかった。

そんなことから、森氏と谷本氏とは折り合いが悪かった。

その後、7期28年の間、谷本氏が県知事を続けたことからも、石川県の保守的な政治は日本の総理大臣になった人であっても、反主流派にしてしまう程、強固なものということがわかるのではないだろうか?

石川県の了承を得てなかった?

この映画、石川県政については正直、決して良くは思っていない自分が見ても、何とも手厳しい映画を作ったものだと思っていた。

石川県庁の了承は得ているのか?と思っていると、2023年1月28日以下のような報道があった。

石川県の馳知事が元日に出場したプロレスの試合を巡り、知事は石川テレビにだけ試合映像の許諾を出さなかった事を認めました。

 理由について馳知事は、石川テレビ製作のドキュメンタリー映画で許諾なく映像が使われた事を挙げました。

 元日に馳知事が出場したプロレスの試合を巡り、27日の定例記者会見で馳知事は石川テレビだけに試合の映像使用許可を主催団体に出さなかったことを認めました。

理由について馳知事は「石川テレビが製作したドキュメンタリー映画で、自分の許諾なく映像が使われ、肖像権の取り扱いに倫理的に納得できなかったからだ」と反論しました。

【出典】元日プロレスの映像使用許可 馳知事がテレビ1社だけ出さず「製作映画で自分の許諾なく映像使用」 | 石川テレビニュース | 石川テレビ放送 ishikawa-tv.com

石川テレビが、石川県庁に対して許諾なしで映像を使っていたというのは確かに問題があるので、馳知事の言う事は、ごもっともだと思う。

長年、テレビ番組を作ってきているのだから、なぜ、こんな初歩的なことがクリアできていなかったのか、意外だった。