無駄な会議が多い
会議のない会社はないはずだ。
毎日のように会社のどこかで会議が行われている。
会議がなければ、その分、仕事ができると思いながらも、必要とは思えない会議に参加している人は多いのではないだろうか?
稟議書だと、これ本当に必要?今じゃないといけないの?と突っ込んでくる上司でも会議だと何も言わないのは不思議だ。
費用対効果も、稟議の場合は、あれこれと重箱の隅を突っつくように細かな点まで指摘してくれるが、会議に対しては、開催することで得られる費用対効果は?といったことは言われたことがない。
会議が仮に年間1.000回、行われていたとして、その内のいくつが成果が出されている内容なのだろうか?
時給3,000円の社員が10名集まり1時間会議をすれば30,000円
これを毎週行っていれば、1ヶ月4週としても12万円になる。
年に換算すれば144万円になる。
稟議書では百円の単位まで調整を求めてくるが会議の場合なら144万円がノーチェックで認められてしまう。
会議の参加者は心の中では、この会議いる?とか思いながらもアクションどころかプランにさえ至らない。
中には仕事を理由に毎回、参加できないと欠席を決め込む者もいるが多くの者は気持ちとは裏腹に参加している。
そんな中、この会議一回でxxx円といったことを会議開催の連絡時に書いてくる場合もある。
しかし、参加者に、その会議にはいくらかかっているのかを質問しても主催者以外は答えられるのは1人か2人というところで、会議にかかる費用について関心を持つ者は少ないはずだ。
これまでに、無駄だと感じた会議のパターンをいくつか思い出してみた。
社長・役員の講演会のような会議
今は無くなりつつあるが、年配の社長や役員が参加する会議は、彼らが一人で話していて、他の参加者は、黙って頷いたり、メモを取ったりして会議を終わるのを待っていた。
これも、世代交代で社長や役員が若返ったことで減っていった。
高齢の役員達はグループウェアにスケジュールを全て入力してくれないので、グループウェアだけを見て開催日を決めて事前に参加者に確認すると、その日は、うちのxxxが一緒に出張でしたよという情報が入りやり直しになったりする。
グループウェアに、そんな予定は入ってなかったと言おうものなら、自分の手帳に書いてる内容が全てでグループウェアには細かい内容までは入ってないと言い放つ。
このため、本人に直接、確認しないといけなくなるが、こういう人は席にいることが少ないので戻ってきたら連絡をしてもらって確認することになるので、とにかく手間がかかる。
苦労して空いてる日を確認しても、空いていたからと予定を入れられ会議開催の案内を出した頃には、その日は予定があると言われ、またやり直しということもあった。
この時は会議の時間以上に準備時間に費やしている。
無駄なのは会議ばかりではなく開催するまでの準備にも無駄が多いことになる。
堂々巡りの会議
所謂、堂々巡りという会議で、これ問題だよね?と言っているのに、延々と話した結果、結局、今がベストなんだよね。と振り出しに戻す人がいる。
すると、いやいや、それを改善しないと前に進めないからと、また同じようなやり取りが繰り返される。
酷い時には3巡した挙句に、次回に持ち越すこともある。
不満をいうだけの会議
コストダウンの会議だと、時間短縮を求められる。
現状の問題点を出して欲しいというと、ここぞとばかりに出てくる。
- 変更が多すぎるので、何とかして欲しい。
- どう考えても必要のない仕様なのに要求事項が多すぎる。
- 単納期な案件が多いので、無駄が多くなる。
といった具合に問題点というより日頃の愚痴になってしまう。
じゃあ、どうすれば?
と対策案を出してもらおうとすると、急にトーンダウンして誰も話さなくなってしまう。
結局、不満を言っただけで会議は終わり、次回までに対策を考えてくるように伝えても誰も考えてこないので、顧客の要望だから、そんなことを言ってたら仕事は取れないとか、現状を肯定するような話になり、今まで通りが1番ということで終わってしまう。
脱線が多い会議
本題から脱線することも多い。
本題を話していると、そう言えば先日、こんな問題があって苦労したので、今後は営業で調整してよみたいな感じで、営業が普段席にいないので、会議で顔を見たので、問題があった時に言えば良いことを会議の場で言う人がいる。
当事者以外には関係のない話を、今する?って感じだ。
脱線は更に拡がり本題に戻ってきた時には何を話していたのか、わからなくなっている。
読み聞かせのような会議
パソコンで作ってきた資料を、そのまま読み上げるだけの、まるで、子供が寝るまで親が本を読んでいるかのような時間が延々と続く。
資料は事前に配られており会議までに目を通しておけば、読み上げている時間は二度手間になる。
しかも、読み上げている者は自身で作っておらず、事前に資料をしっかり見ていないので、指摘や質問をされても、答えることができず、担当の者に確認しますからと、そこでまた無駄な待ち時間が発生する。
あなたは、読み上げるだけのために会議に参加しているのか?だったら、あなたではなく担当者が会議に参加するべきではないのか?と言いたくなる。
資料を誰に作らせても、それはあなたの裁量で決めれば良い。しかし、出来上がったものに目を通して間違った点、不足している点がないかどうかを確認しておけば、会議で指摘されて大勢の参加者が無駄な時間を費やすことはなくなる。
おそらく、担当に任せきりの上司なので資料を見ても誤字脱字を見つけるくらいで内容についての確認はできないのだろう。
そうなるとなぜ、こんな人が責任者になったのだろうか?と政治家ではないが、任命責任を問いたくなる。
無駄な会議を無くす会議
こんな会議を無くす会議が開催されたことがある(笑)
ファシリテーターを育てないといけない。
進行と議事は同時にはできないので書記を設ける。
参加者が多いので厳選する。
時間がズルズルと長くなるので終わりの時間を決めて厳守する。
会議の目的と議題(決めること)を予め参加者に伝えておき会議の場で考える時間をなくさないといけない。
会議に参加しても何も発言しない人がいるので、最低でも一回は発言するといった、おかしな内容まで飛び出してきた(笑)
といった具合で、改善案が決まり、今後は、改善案を組み込んだ「新しい会議」で行うことになった。
ファシリテーターを育てるために会社に講師を呼んで研修会が行われ、会議には書記が用意され会議の参加者は原則1部門1名で必要がある場合に限り2名までOKとした。
議題ごとに協議時間を決めた。
他にも改善案で出されたことが実施された。
「新しい会議」での開催が行われた。
これで無駄のない会議になるはずだと思っていた。
しかし、今度は「新しい会議」に沿った会議にしようとして内容が疎かになってしまった。
特に時間厳守に拘るあまりに時間厳守を優先してしまい議論の途中であっても無理やり決めてしまうようになった。
これでは、会議を行う意味がない。
会議を有益なものにするのも難しいものだ。