たくさんある絵画
世の中には、有名な芸術家が書いた絵画がたくさんある。
ピカソの「泣く女」、ミレーの「落穂拾い」、ムンクの「叫び」、ゴッホの「ひまわり」、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」・・・
215億円で落札された、ピカソの絵
ピカソの「泣く女」は、2018年6月2日に10億円の高値で落札された。
更にその前には、「アルジェの女たち」が2015年5月11日に芸術作品として史上最高額の215億円で落札されている。
ピカソの絵と言えば、素人目には子供の落書きとの違いがわからないような絵が多い。
正直なところ、自分もピカソの絵の凄さというのは理解できていない。
どちらかと言えば、レオナルド・ダヴィンチのモナリザや最後の晩餐のような絵の方がすごいと感じる。
しかし、子供が書いた落書きのような絵が有名なピカソも15歳の時には、しっかりした画力に基づく写実画を書き上げていた。
これは、ピカソの父が美術の教師で子供の頃から絵の基礎をしっかりと叩き込まれたことによるものだ。
ピカソの絵の凄いところ
ピカソの絵の凄いのは、基礎がしっかりできていることに加えて、キュビズムという三次元の世界を二次元で表現する手法にもある。
人や自然を複数の視点から見て、幾何学的な形で捉えて平面に表す。
描かれているそれぞれの構成要素が、キューブ(立方体)のように見えることからキュビスムと呼ばれている。
絵画は遠近法を用いて書くのが一般的だが、ピカソは、遠近法に縛られることなく新しいジャンルにチャレンジした。
いくら、凄い絵だと言っても、それだけでは、215億円で買おうという人はいないはずだ。
では、なぜ、ピカソの絵に、それだけのお金を出す人がいるのだろうか?
ピカソの絵の価値というよりも、「ピカソブランド」が出来上がっていることにあるのだと思う。
ピカソの絵は誰が見ても素晴らしいと感じる絵ではない。
モナリザ vs アルジェの女たち
しかし、モナリザとアルジェの女たちを見るとして、どちらが長く見ていられるのか?と考えると、アルジェの女たちを選ぶ。
モナリザの絵を1時間見ていられるか?と言われると無理だと答えるが、アルジェの女たちであれば、見ていられるように思う。
なぜか?というと、アルジェの女たちを見ていると色んなことを考えてしまう。
この個所は何を表しているのか?そもそも、この絵は何を表現しているのだろうか?
ドラクロワのアルジェの女たちは4人いるが、ピカソの絵だと4人はどこにいるのだろうか?
しかし、モナリザだと上手な絵だなぁ〜とは思うが1分もすると視線はモナリザから間違いなく離れてしまう。
しかし、そんな事くらいで215億円にはならない。
ピカソの絵が人気なのは?
ピカソの絵は、自分には、よくわからないが、魅力的なので、人気がある。
このため、競争率が高い。誰も持っていないものを所有しているという満足感、それも215億円という破格の値段で。
215億円の絵になれば、投資目的などという利益目的ではない。
誰も持っていないものを自分のものにしたい。
それだけのことだと思う。
絵にいくらまで払えるのか?
しかし、自分の価値観では自分のものにしたいから215億円払うなんて有り得ない。
きっと、215億円を215円くらいに感じられる金銭感覚の持ち主が買うのだろう。
自分なら絵を買うのに、最大でいくらまでなら出せるか?と考えてみた。
どんなに好きな絵、好きな人が書いた絵であっても10万円を超える額を支払ってまで買いたいとは思わない。
頑張って、15万円が限度。
それでも、先に欲しいものがあれば、そっちを優先し、取り敢えず欲しいものがなくなったなぁ〜という状態にまでならないと買わないと思う。
そもそも、絵の価格なんて自分が決めるもので人気があるからとか、絵画の見識者が認めたからとかは関係ない。
誰もが、お金を払ってまで手に入れたくないような絵であっても、自分が認めたら215億円を払らってでも手に入れる。
それで、良いと思う。
自己顕示欲とモチベーション
しかし、人間には自己顕示欲というものがあって、それを満たすことがモチベーションになっている人もいる。
この場合、自分が認めるだけでは不十分で、たくさんの人に認めらなければ欲求が満たされない。
215億円払ってピカソの絵を手に入れることで、一旦は欲求が満たされる。
しかし、直ぐに欲求は満たされなくなり次の欲求を満たしてくれる対象を探そうとする。
こうなると、エンドレスだ。
スポーツ選手が自己の限界に挑戦するように限界が見えるまで続けることになる。
自分は、そんな生き方は好まないが、そういう人生もありなのかもしれない。
生まれ変わったら、絵画コレクターになるというのも面白いかもしれない。