「高学歴=頭の良い人」か?
ネットニュースを見ていると、毎日のように、ひろゆき氏が、「頭の悪い人」ついて語っている内容が出てくる。
- 「学歴が低いと、収入も幸福度も低い」
- 「宝くじを買うと損することも理解できない」
- 「イジメは頭の悪い人がいる限り無くならない」
まるで、「頭の悪い人」の存在が全ての原因みたいな感じがする。
官僚は「頭の良い人」だと言われている。
当然、高学歴なのだろう。
仮に「官僚=頭の良い人」「官僚=高学歴」だったとしても、「頭の良い人=高学歴」という公式は成り立たない。
頭の良い人が全て官僚ではないし、高学歴でもないからだ。
高学歴でなくても「頭の良い人」はいるし、「頭の悪い人」もいる。
「学歴が低い」人でも収入が高い人もいれば、幸福度が高い人もいる。
高学歴だから収入が高いわけでも、幸福度が高いわけではない。
まぁ、ひろゆき氏にこんなことを言えば、あくまで統計的に明らかになっていることだと言って「統計」を盾にするのだろう。
宝くじを買うと頭の悪い人?
そもそも、「頭の悪い人」というのは、どんな人のことを言うのだろうか?
宝くじを買ったら頭が悪い人なのだろうか?
宝くじが色んなギャンブルの中でも、費やした金額に対するリターンが低いというのは周知のことで、ひろゆき氏に言われるまでもないと思う人は多いはずだ。
それでも、宝くじを買うのは、1枚300円で当選発表までの間、当選したらという夢を味わえるからだと思う。
宝くじで夢を見ることが頭が悪いというのであれば、映画を1800円払って見るのも、小説を買って読むのも、頭が悪いということになってしまう。
宝くじを買うことで幸福感が味わえるなら安いものだと思う。
むしろ、頭の良い人の方が、こんな事で満足するのは恥ずかしいとかカッコ悪いとか余計な事を考えてしまう方が幸福度は低いのかもしれない。
イジメを行うのは頭の悪い人?
「イジメ」を行う人についても、頭が悪いと言われている人より、普通に大学を卒業している人の方が多いし、内容も巧妙かつ陰湿だ。
イジメに関しては「頭の悪い」人ではなく「性格の悪い」人がいる限りなくならないというのが正しいと思う。
大学を卒業していないと頭の悪い人?
どこの大学を卒業したのか?といった学歴を必要以上に気にする人は、中途半端な大学を卒業した人ばかりだ。
大学を卒業していても、パソコンへの文字入力もできず、表計算ソフトも使えない人も少なくない。
逆に大学を卒業していなくても、普通に表計算ソフトを使っている人は多い。
そう考えると学歴だけで、人を判断することが、頭が悪い行為に見えてしまう。
頭の良し悪しではない
池袋で自動車を暴走させ9人に重軽傷、2人を死亡させた上級国民だと言われる人は、判決が下るまで自分の過ちを認めなかった。
国際度量衡委員会では日本人初の副委員長にも就任した人なので、一般的には、「頭が悪い人」ではないはずだ。
暴走事故は、状況を考えればブレーキとアクセルを踏み間違えていた可能性が高い。
本当に頭が良いというなら、ブレーキを踏んでも止まらなかったというバカな言い訳はしない。
仮に本当にブレーキを踏んでいたと思っていたのであれば、車を運転できる状態ではなかったことになる。
大変な事故を起こしてしまい、頭の中はパニックになった。
事実は変えられないので何とか自分の責任にはしたくなかった。
思いついたのか、思い込んだのかをわからないが、ブレーキを踏んだが効かなかったことにしよう。
そうすれば、自分の責任ではなくなる。
そう考えたのだろう。
事故を起こした人は見事な経歴で、経歴だけを見れば自分は足元にも及ばない。
それでも、「ブレーキが壊れていた」というのは、自分が足元にも及ばない人の発言ではなく、「頭の悪い人」の発言にしか感じられなかった。
「頭の良い」人だから、暴走事故を起こしても愚かな言い訳をするということではなく、「頭の悪い」人であっても同じことをする人はいる。
頭の良し悪しを計るものとして、IQ(知能指数)がある。
しかし、知能指数だけで人の良し悪しを判断できるか?と言えば、そんなことはないと答える人が多いのではないだろうか?
IQとEQ
そんなことから、EQ(こころの知能指数)が登場した。
他人の感情を感じ取ったり、自己の感情をコントロールする能力になる。
暴走事故を起こした人はIQは高かったのかもしれないが、EQについては低かったということになる。
そうすると、頭が悪いからではなく、EQが低いことが原因になる。
では、イジメはどうだろうか?
これも、頭の良し悪しに関係なく起きている。
人の感情がわからず、自分の感情がコントロールできない人が起こしているのではないだろうか?
結局、世の中で、頭が悪いと言われることの多くは、EQが低いことに原因があることになる。
では、EQを高めるにはどうすれば、よいのだろうか?
認知能力と非認知能力
人間の能力には「認知能力」と、「非認知能力」がある。
認知能力というのは数値化できる能力のことで、IQは認知能力になる。
非認知能力は数値化できない能力のことで、EQが該当する。
学校では客観的に評価が可能な数値化できる認知能力を重視する傾向にある。
このため、頭が良いことが「善」とされる。
日本は、他の国と比較しても非認知能力が高い国だったと思う。
- 電車が時間通りに発着する。
- 行列を作り並ぶ
- サッカーのサポーターが試合後、自分達が出したゴミを拾って帰る。
- 落し物が返ってくる
- 治安が良い
しかし、今の日本は、徐々に変わってきたのではないだろうか?
日本では、「責任感、良心」という非認知能力を子供の頃から教わって育ってきた。
- 嘘をついてはダメ
- 決められたことは守りなさい
- 人に迷惑をかけてはダメ
できなければ、その都度、叱られ、時には叩かれた。
学校の先生も同じように教えてくれた。
このため、自分の子供の頃は、理屈抜きで全てが親が言うこと、先生の言うことは正しいことなんだと、疑う余地なんてなかった。
しかし、今は、違っているのではないだろうか?
親が子供に教えてきたことを教えなくなった。
先生が叩くなんて、とんでもないことになっている。
親や先生自身ができてないことを言われても、子供は言うことを聞かない。
非認知能力が低下したのは、それだけのことではないだろうか?
今は、大人が作ったゲームで遊ぶだけで、外で、自分達で考えて遊ぶなんてことはしていないのかもしれない。
家から出ないで、一人または二人でゲームばかりしていて人の気持ちなんて、わかるはずはない。
わからないことがあれば、ネットで検索。
そっちの方が、親や先生より正しい。
人と接する機会は減る一方。
自分で考えるという機会もなく、人に迷惑をかけてはいけないということを教えてくれる親も先生もいない。そんな風に育てられたら、非認知能力は低くなって当たり前ではないだろうか?
そして、そんな人が増えてくれば、人の迷惑にならないようにすることを考えることが、少数派になってしまう。
そして、日本全体に拡がっていき、今の日本が出来上がった。
誰のせいでもない、原因は自分達自身にある。