敬老の日にお祝い品
先日、とある会合をオンラインで行った。
その中で、1人の老人が住む町内会では毎年、敬老の日に高齢者のいる家庭を一軒一軒回って御祝品を配ってくれるという。
一人暮らしの老人にとっては、とても嬉しいことだろう。
しかし、若干の問題があるそうだ。
配ってくれるものが瓦せんべいという、小麦粉、砂糖、卵をこねて焼いて瓦の形をしたもので、昔は、お客が来た時のために、どの家にも置いてあったらしい。
老人には固くて食べられなく、他に食べてくれる人もいないので1年間棚に入れたままになり、誰か来ればあげようと思っているが、なかなかタイミングよく来てくれない。更に今はコロナ渦なので遊びに来る人はおらず、賞味期限が切れたら捨てるしかなくなる。
毎年、瓦せんべいを、わざわざ持って来てくれる気持ちは、とても嬉しいことなので、固くて食べられなくても笑顔で、ありがとうと言って受け取るしかない。
他の人にも聞いてみたが、老人に固いせんべいをなぜ配るんだ?と怒っている人もいるそうだが、それでも配ってくれる気持ちは嬉しいので何も言えないらしい。
話しを聞くと確かにこれは問題だ。
今は食品ロスも問題になっているのに、毎年、瓦せんべいが一つも食べられることなく捨てられている。
なぜ瓦せんべい?
この企画を考えた人達は老人に対して、なぜ瓦せんべいを選んだのだろうか?
老人に固い食べ物は高い確率で噛めないという常識は今ではないのだろうか?
瓦せんべいなら日持ちするだろうということだろうか?
それとも、知っていて何か目的があって行なっているのだろうか?
だとしたら配ってくれている、お菓子に何かメッセージが書かれているはずだと考えて聞いてみたが、お祝いと印刷された熨斗だけで中を開いてみても瓦せんべいが入っているだけで、あとは何もないという事だった。
賞味期限も確認してもらったが90日程度だった。
単に配慮に欠けているだけのような気がしてきた。
コーヒーやお茶に浸して食べてみてはどうか?と聞いてみた。確かに、そうすると食べやすくなりそうだが、お祝いの品をそんな風にして食べないといけないのかと考えると惨めな気持ちになるという。
なかなか難しい。
敬老の日に老人に噛めないことを痛感させるというのは考えさせられる。
こうなってくると、善意が悪意に感じられてきた。
贈る側の気持ち、贈られる側の気持ちを考えると食品ロスしかないのか・・・
いやいや、食品ロスなら、誰かにあげた方が良い・・・
それが、できないから賞味期限の切れになる。
これは、若干の問題どころではなくかなりの難問だ。
結局、その場では良い解決策は見つからずクローズした。
SNSの情報発信比率
その後、もしかすると老人に瓦せんべいは、何か意味があるのでは?とインターネットで調べてみたが何も見つからなかったし、「老人 瓦せんべい」というキーワードで検索しても参考になるようなことは特にヒットしない。
今はインターネットがあれば何でも調べられると思いがちだが、インターネットで情報を発信している人が、どれくらいの割合でいるのだろうか?
その中で更に高齢者では?と絞り込むと更に少ないはずだ。
SNSだと敷居は低くなるが高齢者でLINEは使っていても、ツイッターで呟いている人というのは身の回りにはいない。
インターネットを利用して情報を発信している年代というのすごく絞られてしまう。
インターネットの普及率は総務省のデータだと2019年時点で13歳から69歳は90%を超えている。
2018年まで80歳以上の普及率は21.5%だったが2019年になると57.5%と大幅に増えている。
しかし、SNSで積極的に書き込を行なっているのは全世代でも約12%しかいない。つまり多くの人は閲覧中心ということになる。
これは、20代だけの場合でも積極的に書き込みを行なっているのは17.4%しかいない。
他の年代でも積極的に書き込みを行なっているのは10%程度なので90%の人は閲覧のみ又はSNSを利用していないということになる。
SNSに書かれている内容は全体の12%なので、身近な情報はSNSからはその程度しか得られない。
つまり、SNSに上がってきている情報は、ほんの一握りの人の情報ということになる。
高齢者が書き込みができない要因の一つは文字入力だと思う。
スマホとパソコンを比較するとキーボードに慣れていない人ならスマホの方が入力しやすいとは思うが、個人的にはスマホ入力は両手が使えないのでストレスが溜まる。
音声入力もあるが、誤変換があるので結局、修正のために入力が必要になる。
文字入力を簡単にすると情報発信をする人が増えるかもしれない。
どうする?
本題からズレてしまったが、何か良い方法はないものだろうか?と思いついたのが、自分のブログに書いてみることだ。
情報がないなら、自分が書けば良い。
書けない人がいるなら自分が代筆すれば良い。
簡単なことだった。