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菅義偉さん、どんな人?

菅義偉さんって?

菅義偉氏といえば現官房長官です。

あまり笑わない、目が怖い、ポスト安倍は考えていないと言っていたのに、いざ、安倍総理が辞任を表明すると、自民党の総裁選に出馬。

これまでの実績というと・・・

総務大臣時代に「ふるさと納税」を創設した。

【出典】内閣官房長官・衆議院議員 菅(すが)義偉/TOP

これだけでした。

あー、あと令和おじさんですから、令和の年号を発表した人ですね。

総裁選に出馬すると発表してからは、苦労話を前面に押し出している印象があります。

良い人というだけでは、政治の世界で、影の市長だとか、官房長官になったり、総裁選に出馬して圧倒的支持を得られるということには、ならないはずです。

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秋田県出身

秋田県出身の菅さんの実家は農家でした。

父親は「秋の宮いちご」のブランド化に成功し,地元の議員などを務めた地元の有力な権力者でした。

そして、姉2人、弟1人の4人姉弟なので長男ということになります。

なぜ、東京へ?

そんな父親に反発心もあったようですが、「鉛色の空に覆われた村が嫌だった」という気持ちから都会への憧れが強かったのだと思います。

そんなことから「東京に出さえすれば,将来の展望が開ける」と考えて上京します。

板橋区の段ボール工場で住み込みの仕事をみつけたのですが、現実は厳しく荷運びなどの肉体労働をしながら、ただ日々を食いつぶすような毎日に、疑問を覚えるようになりました。何とか人生を変えようと大学に行く決意をします。

法政大学に入学

築地市場でアルバイトをしながら学費の安い法政大学に入りました。

菅さんが入学した当時の法政大学は東大や早稲田と並んで学生運動の拠点でしたが、学生運動からは離れて空手に打ち込みました。

空手を始めたのは、「一番厳しい部活に入って、自分を試したかったから」だということです。

民間企業への就職

大学を卒業後、一旦、企業(建電設備株式会社)に就職し、サラリーマン生活が始まります。そのなかで、「世の中を動かしているのは政治だ、人生をかけてみたい」と政治の道を目指そうと考えました。

しかし、まったくツテがないので、大学の学生課へ飛び込み、法政大卒OBの国会議員事務所に紹介を受け、最初は、法政大学OBである中村梅吉の秘書になります。

しかし、中村氏が政界を引退したことで、神奈川県横浜市出身の小此木彦三郎衆院議員のところへ行きました。

その時に、なぜ、秘書になりたいのか?と聞いても、ちゃんとした答えが返ってこなかったそうです。それで、食うためだけに秘書になろうとしているのなら、秘書の給料は安いのでやめた方が良いと言われたのですが、その時の菅氏の答えが「それでも構いません」というものでした。

街頭演説では手も声も震え、お酒が飲めないので、酒の場では「酒も飲めないのか」と叱られ、秘書時代はかなり苦労されたようです。

市会議員に立候補

それでも努力家だった菅氏は11年間秘書を務めた後、38歳で横浜の市会議員に立候補します。しかし、現職は自民党の有力議員。そして周囲からの猛反対。まさに「地盤」「看板」「カバン(金)」なしからのスタートでした。それでも、一に行動、二に行動、1日300軒歩き続け当選します。

このときの経験から「意志あれば道あり」が座右の銘になります。

市会議員を二期務め、「影の市長」とまでいわれるまでになりました。

国会議員へ

しかし、国に財源や権限を握られ、国が中心となった中央集権体制に強く疑問をもつようになり、地方分権国家の実現を目指し、市会議員をやめ浪人生活を経て47歳で衆院選に出馬し当選します。

二世議員でも地盤があるわけでもないのに、当選というのは異例だと言えます。

庶民には、どういう悩みがあり、それに対して識者がどう答えているかを日々、勉強していたというので、そういった点が評価されたのかもしれません。

国会議員になってからは、野中広務氏という大物自民党議員のようになりたいと新聞記者に話していたそうです。

そして、国土交通大臣政務官、済産業大臣政務官、党国会対策副委員長、総務大臣と経歴を積んでいきます。

菅内閣官房長官の誕生

民主党から政権を奪い返した自民党で総裁選が行われることになりました。

安倍総理口説き落として総裁選に出馬させたのが菅氏で、総裁選で動き回ったのも菅氏です。そして、第二次安倍内閣発足と同時に、内閣官房長官に就任します。

法的には副総理が日本の政治のNo2ですが、実務的には官房長官がNo2になります。

政治的にも人間関係的にも総理と近い「右腕」のような人が官房長官に任命されるので首相官邸にも出入りすることが多くなります。

それゆえに、官房長官が次期総理だと言われるのです。

実際、安倍総理も含めて、以下のような方が官房長官から総理大臣になっています。

官房長官安倍総理に対しての信頼関係が崩れたと感じたのは、2020年2月27日に全国の小中学校と高校、特別支援学校に臨時休校を要請する考えを安倍総理が独断で表明したときです。

しかし、安倍総理は、その更に前から菅氏に脅威を感じていたのではないかと思います。

官僚の人事に関しては安倍総理はあまり口出しをしなかったということなので、実質、菅官房長官が承認していたようなものです。

立場上、官僚と総理の間に入ることが多い官房長官なので、官僚との良好な関係を築いていたはずです。

桜を見る会」問題については、菅氏を後押しする官僚の「反乱」だったのではないかとも言われています。

森友・加計問題、前法相・河井克行と妻の案里氏の買収問題、総理の番犬と言われていた、東京高検検事長の黒川弘務氏の定年延長問題なども安倍総理降ろしを官僚が狙った可能性も否定できません。

そんなことから、影の総理だと呼ばれていたこともあり、安倍総理は菅官房長官に対して脅威を感じていたはずです。

2019年末から、菅官房長官安倍総理に呼ばれる機会が減っていきます。官邸で顔を合わても、安倍総理は視線を合わせようとしません。

要人との同席回数や接触時間は、菅官房長官との不仲が囁かれていた今井尚哉秘書官のほうが格段に多くなっています。

今回の、総裁選でも安倍総理の本命は、岸田氏だったということを森元総理が口にしていたことからも、既に安倍総理の菅官房長官に対しての信頼は崩れていたということでしょう。

体調不良で総理を辞任するということは、その通りでしょうが、官房長官を信頼できなくなったということも大きな要素になっているのではないかと思います。

自分は苦労してここまで来たとか、今後も今の政策を継続するというようなことを言って、自民党内での票を得ようとしているのはミエミエです。

強かな感じがします。それは、菅さんの若い頃と今の顔を比較してもわかります。

若い頃は、好青年という感じでしたが、現在は、どちらかという冷たく怖い感じに変わっています。

横浜市議会議員の時代は、「影の市長」、そして今は「影の総理」と呼ばれています。

国会議員は、色んな駆け引きもあれば、法律ギリギリのことも行っているでしょう。

そうでなければ、影のxxとか、総裁選の最有力候補なんて無理な話です。

官房長官の金銭スキャンダル

そんな菅官房長官なので、金銭スキャンダルはあります。

東証2部に上場していた不動産会社「スルガコーポレーション」を巡る問題だ。スルガがビルの立ち退きをなどを依頼していた山口組系企業「光誉実業」の社長らが弁護士法違反容疑で08年3月に逮捕されると、菅氏が代表を務める自民党支部がスルガから計104万円の献金を受けていたと“飛び火”したのだ。

【出典】「菅官房長官」知られざる過去 “駆け出し”時代を関係者が証言、過去には金銭スキャンダルも|ニフティニュース

この件に関して菅官房長官の事務所は、報道されるまで事件を全く知らなかった。この献金については、法令に違反するものではありませんが、道義的観点から全額返金していますと回答しています。

官房長官は2020年9月10日にテレビ東京の番組に出演しています。

そこで、「○・△・×」で答えるコーナーがあり「消費税は将来的に10%より引き上げる必要はあるか」という問いに対して、「○」と回答しました。

その理由として、少子高齢化が進み、人口減少は避けられないとの認識を示したうえで、「将来的なことを考えたら、行政改革は徹底しておこなったうえで、国民にお願いをして消費税は引き上げざるを得ない」と答えています。

ところが、一夜明けた翌日の会見で、消費増税について改めて問われると、安倍首相がかって、今後10年ぐらい上げる必要はないと発言している。私も同じ考えだ。あくまで将来的な話だと」釈明しています。

正直、自分の発言に責任を持たず、1日も経たない間に弁明をしないといけないような人に日本を任せて大丈夫なのか?という心配はあります。

それでも、2020年9月の自民党総裁選は菅氏で決まりなのは誰の目にも明らかです。

では、菅氏が首相になった場合、本当に安倍路線で進めるのでしょうか?

全ては自民党の戦略

何か新しい政策を行うにしても時間は必要です。

それは菅氏に限らず、石破氏、岸田氏が総理になっても同じことです。

自民党とすれば、コロナ渦の中で経済面を改善できない状況で、いきなり新しいことを行っても直ぐに結果が出せなければ、世論に叩かれ自民党の支持率が下がるだけです。

7月から現在に至るまで国は何もしないで国民に丸投げだと多くの人が感じているはずです。それが実は安倍総理は体調不良だったためで、更に辞任を表明すれば同情が集まり安倍総理の評価は自然と上がります。何だかんだといっても安倍総理のやってきたことは評価できると気持ちが変化している人が増えます。

そうすると今の路線をそのまま引き継ぐという選択がベストです。

そして今の路線を引き継ぐには菅官房長官がベストです。

自民党にはもう一つ、衆議院解散のタイミングが重要です。

安倍晋三首相の自民党総裁としての任期が2021年9月30日なので、今回の総裁選で決まった人の任期も同じになります。

そして、憲法では衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があったときは、内閣は総辞職をしなければならないとされているため、このことから内閣総理大臣の1回の任期は次の衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集が行われるときまでになっています。

現在の、衆議院議員の任期は2021年10月21日です。

9月に総裁選を行い、10月に衆議院選挙を行うということはまずないでしょうから、衆議院の解散を先にどこかで行うことになります。

今まで安倍総理の体調不良で停滞していた中で、年末に向けて10万円の再給付を決めれば、国民の評価は上がるでしょう。

すると国民の支持率も、あがります。

ここが、自民党として衆議院を解散する最高のタイミングです。

菅総理には何とか来年の9月まで頑張ってもらい結果が悪ければ、第三次安倍政権を期待する人も増えてくるかもしれません。

そうすれば、来年9月には安倍総理が誕生する可能性も十分あります。

そのためには、反安倍派の石破氏に総裁選で万が一でも勝たれてしまうと困るのです。石破氏が首相になり結果をだせば、安倍総理復活の可能性はなくなります。

予備選挙を行っても、行わなくても、国会議員票だけで7割を獲得している菅氏の勝利に変わりはありません。自民党としては一刻も早く、安倍首相に同情が集まっている間に、菅首相を誕生させて良いタイミングで衆議院を解散したいということなのだと思います。

野党も衆議院解散に向けて

立憲民主、国民民主などで合流新党を結成したりしているのも衆議院解散に向けてのものでしょう。しかし、これって、悪夢の民主党に戻っただけのように見えてしまいます。このため、合流新党のことを「一見」民主党と呼ぶ人もいます。

選挙だけを考えれば野党が一つになるべきだと思いますが、野党の方達は、無駄なことに力を注ぎたいようで、それが自民党一強時代が続く結果に繋がっています。

今回の安倍首相辞任には、自民党の色々な思惑が込められていたのではないかと思います。