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もっと早く教えてくれよって思った内容を書いていきたいと思います。

不便益が注目されている

不便益?

不便益という言葉を以下の記事で知りました。

www.news-postseven.com

液晶表示のない携帯電話、階段や段差の多い施設、素数ものさしといった不便以外の何物でもないようのことが実は不便だから、いいことがあるというのが不便益です。

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素数ものさし

具体例では京大で「素数ものさし」というものが売れているそうです。

形状は普通のものさしですが、目盛りが「素数単位」で表示されています。

2、3、5、7、11・・・という感じです。

どうやって使うのかというと、素数素数の差を計算して測定値に応じた場所を見つけて使います。

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例えば、4㎝の線を引きたいと思った時に、素数ものさしには、4cmという目盛りはありません。このため、目盛りのある間で4㎝となる値を「計算」します。

7cmと3cmの箇所に目盛りがあるので、7-3=4。

この間が4cmということになります。

こんな感じで計算していくと、1cm~18cmがこの物差しで測れるのです。

なんで、そんな面倒なことをしないといけないのか?と思うかもしれません。

今の時代、ちょっと買い物に行こうと思えば、自動車、計算をする時には計算機、誰かと連絡を取りたければ携帯電話、何か食べたいと思えば、コンビニにいって買う、わからないことがあれば、Google検索で調べる。

自分で時間をかけて作るとか、計算する、考えるといったことが減っているんですね。

便利と引き換えに負の対価(退化)を手に入れた 

お金を払って「便利」を手に入れたはずなのに、その結果、体重が増えたり筋力が衰え、また、お金を払ってジムに通ったり、脳トレだと本やゲームを買って脳のトレーニングをするというのも、考えてみればおかしな話です。

「便利」を手に入れて得られたものは何でしょう?

肥満、基礎体力の衰え、脳の老化といった、負の対価を得ているのです。

不便が見直されている

そんなことから見直されているのが「不便」ということです。

素数ものさし」は確かに不便です。

しかし、自然と頭を使います。

わざわざ、脳トレだといって、本やゲームで頭を使うのも、普段から不便な日常を過ごして頭を使うのも、脳を活性化させるという意味では同じだと思います。

むしろ、日常生活を不便にした方が、実生活に関することに頭を使うので実用的かもしれません。

不便で鍛えられる

出張ではノートパソコンは持っていきますが、普段マルチディスプレイとして使用しているディスプレイはさすがに大きすぎて持っていくことができません。

それでも、何とか、左右に並べて作業ができないか?と考えました。

最初、 タブレットPCをディスプレイ代わりにできないか?とか小型の携帯ディスプレイを購入しようか?と考えましたが、狭いスペースでノートパソコンにディスプレイを置いて作業するというのは逆にストレスがたまりそうです。

それで、到達したのが「スナップ機能」でした。

スナップ機能については以前に紹介しています。

seege.hatenablog.com 

制限が人を育てる

遠足の時に「おやつ」は300円までといった制限がありました。

当時は、どうして300円までなんだろう?と思ったものです。

多分、あまり多く買ってしまうと、重くなったり、食べられずに捨てたりしてもったいないので、食べられる分だけということで制限をかけたのだと思います。

しかし、おやつを買いに行った時に制限があると、色々と考えます。

まずは質より量だったと思います。

このため、安いお菓子を優先的に買っていました。

ベビースターラーメンチョコボールは僕の中では定番でした。

あと、細かいものを買っていたと思いますが、価格だけで普段食べないようなものを買っていたような気がします。

つまり、遠足のおやつに300円という制限をかけることで、300円になるようにお金の計算をするわけです。しかもできるだけ沢山、買いたいという制限まで自分で設けてしまいます。

社会人になれば、出かける時に「おやつ」を買うとしても制限は設けません。

好きなものを好きなだけ買ってしまいます。

これでは、頭を全く使いません。

便利と不便

電車に乗るときも以前は切符売り場の上にある路線表から行き先までの料金を見つけて切符を買っていましたが、今ではSUICAでおしまいなので、普段よく利用している区間の料金がいくらなのか、知らないことも少なくありません。

便利は人を退化させて、不便は人を進化させるという事です。

一時期、RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)というパソコンで人が行っていたルーティン作業を自動で行うというシステムが話題になりました。

また、同じ頃、AI技術も注目されていました。

同じようなものは10年以上前から「UWSC」というフリーソフトがありました。

僕もエクセルに入力されているデータを入力フォームから自動で繰り返し入力するという作業で使ったことがあります。元データにエラーがあっても、そのまま入力してしまうのでエラーになって止まってしまうこともありましたので、RPAのような細かな判断はできませんでした。

RPAが話題になったころは、AI技術も含めて人がいらなくなるのでは?という期待もありました。つまり便利になることで人が不要になるという可能性もあるのです。

自動運転技術が人を更に退化させる

今後、自動車の自動運転技術が現実になっていくはずです。自動運転なら運転が不要なので高齢者も子供だって乗れます。

運転不要なので飲酒運転の心配もありません。雨が降った時に一人暮らしでも車が迎えに来てくれます。

生活が間違いなく大きく変わります。

しかし、便利が人を退化させるのであれば、大きな便利は大きく退化させるはずです。

歩くということが今より更に減ります。電車だと駅まで歩いたり、乗り換えで駅構内を歩くことがありますが、自動運転なら目的地まで歩く必要がありません。

駅での電車の乗り換え等で歩いたり、階段を登ったり、降りたりすることが減ります。

家庭用ロボットが普及すれば、炊事・洗濯・掃除といったことも減るでしょう。

便利は人を退化させるに従えば、人の退化が更に進みます。

すると、生活習慣病高脂血症・高血圧・糖尿病)を引き起こします。

免疫力も退化している

昔より病気に対する免疫という面でも人は退化しているように思います。

除菌・抗菌といったもので菌から保護された環境で生活しているので免疫を作る頻度が減り、病気に対抗する力が退化しているように感じます。

僕はこれまでインフルエンザという病気を経験したことがありません。

子供の頃は、学校から帰ると明るい間は外で遊んでいて家にいることは、ほとんどありませんでした。

転んだり、草むらの草で切り傷を作ったり、ケガも絶えませんでした。

もちろん、風邪をひいて熱が出たりすることもありました。

ケガをすると人の治癒力が傷を治してくれます。

ケガをしなければ、治癒力が使われることもありません。

今は、外で遊んでいる子供をほとんど見かけません。

僕の子供の頃のように転んで泣いている子もいません。

新型コロナで重症化するのは、高齢者、基礎疾患を患っている方だと言われています。

ウイルスは日々、進化しています。弱いものは淘汰され、強いものだけが生き残っていくわけですから、当然の結果です。

しかし、人は保護されている環境で生活するため、対ウイルスという面では退化しています。

進化しているウイルス、退化している人

日々進化しているウイルスが退化した人の中に入り込んできて、勝てるはずがありません。自分の治癒力では太刀打ちできないので、病院に行って治療薬を処方して頂き、日々進化している薬の力を借りて打ち勝つわけです。

しかし、新型コロナの決定的な治療薬については、未だに完成したという話が出てきません。これは新型コロナがRNAウイルスと呼ばれる不完全な状態のもので突然変異を起しやすいウイルスなので日々変化していくためなのではないかと考えています。

実際、最初に武漢で発病したときのものと、今のものを比較すると変異しており、感染力も強くなっているということです。

コロナの治療薬として注目されていた、アビガンは臨床試験が遅れて2020年9月中旬にデータが全て揃うということです。

進化しているウイルスですから、4か月前と現在のものを比較すると時間をかけた臨床試験は意味があるのか?という気がします。

それよりも、自然治癒力を高めることを進めた方が新型コロナには効果があるのではないかと思うんですよね。

バランスの取れた食事、ストレスのない生活、十分な睡眠。

今の人類の生活が間違っていると警告してくれているのがコロナウイルスなのかもしれません。