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もっと早く教えてくれよって思った内容を書いていきたいと思います。

他愛もない話(2020年2月18日)

他愛もない話について

  • 気楽に書きますので、気楽に読んでください。
  • あまり役に立たない内容になるかと思います。
  • 特に何かを決めて書いているわけではなく、書いている内に、横道にそれたりするかもしれないので、最後はどんな話になっているのかわかりません。
  • 僕の主観や記憶に依存する内容が多くなるので、間違っている内容もあると思います。(書いている内容について基本、裏付けを取ったりしません)

天才は努力しない人?

スポーツの世界などで世界一になったり、人並外れた結果を出したりするとマスコミは直ぐに「天才」という2文字で表現しています。

マスコミ的には「天才」という言葉は、キャッチフレーズになりますからね。

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「天才」って生まれ持っての才能みたいなイメージがあるので、結果を出すまでに人並外れた努力をしていても、天才と言われたらその時点で努力して取得したことが何もしないで与えられていたかのように思われてしまいます。

まぁ、それだけ努力できることが天才だという表現もできますし、人並外れた努力をしても結果が出ない人もいることを考えれば、天才という言葉が適切なのかもしれません。勉強のできる人に対しては「天才」より「秀才」という言葉を当てはめることが多いように思います。イメージ的には、「秀才」より「天才」の方が各が上という感じです。勉強ができることも才能です。違いは何でしょう?

「秀才」はあくまで人として努力すれば到達できるレベルなのでしょう。そして「天才」というのは努力だけでは到達できないレベルということですか?

いやいや、人並外れた努力をしていたら?それは秀才???

天才の代表 アインシュタイン

天才と言われて、僕が一番最初に出てくる名前は、「アインシュタイン」です。

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アインシュタインと言えば、相対性理論です。

特に「一般相対性理論」の難解さは特別でアインシュタインでないと到達できなかった理論ではないって聞いたことがあります。

そんなアインシュタインは3歳くらいまで言葉が、わからなかった・・・

これが、きっとアインシュタインの秘密なんでしょうね。

言葉が、わからなかったということは、言葉という概念がアインシュタインの思考と合わなかったのかな?子供が言葉を覚えるのは親や大人達が話す言葉を聞いて真似をするところからだとすると、アインシュタインにはできなかった?つまり耳からの情報の処理が苦手だったのかな?文字は話せないと正確に書けない気がします。
耳の発達が遅れたから言葉が聞き取れず人よりも言語能力の発達が遅れて、言葉がわかるようになるのが遅れたって感じなんでしょうね。

天才の脳

耳の発達が遅れた分、多くの人と異なる形で言葉を覚えていくことになったのでしょう。その結果、人とは異なる脳の思考回路が構築された?
その結果、誰も気付かないようなことに気付くことができるようになって、誰も発見できなかったようなことが発見できるようになったことで「アインシュタイン」が天才として騒がれるようになりました。

普通の人と天才の違いは、人が気付いていないことに気付けること。

普通の人には見えていないのに、天才には見えてしまう。

まるで手品を見ているようなものです。

普通の見方や考え方では手品のタネを見つけることはできません。

天才というものが本当に存在するのであれば、多くの人と異なる考え方、感じ方ができる人なのかな?って思います。

芸術の天才 ピカソ

芸術の世界ってレオナルド・ダビンチの絵のように誰が見ても素晴らしいと感じられる絵もあれば、ピカソの絵のように良さが伝わりにくい絵もあります。

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ピカソは絵が下手なわけではなく、誰もが上手いと思える絵が描けるだけの画力があったのです。それなのに、なぜ、小さな子供が描いたような絵を描くようになったのでしょうか?

ピカソの絵は「キュビズム」という絵画手法が使われているそうです。

人物や静物の形を幾何学的な形体に見立てて解体した後、画面上で再構成するという革新的な手法だという事です。再構成する際に、様々な視点から視たものを合成するために正面の顔に横から眺めた鼻が描かれたり横顔に正面から見た顔のように両目を描いたりします。その結果が、写実手法の絵画とは大きく異なる芸術だと言われるが多くの人には理解できないピカソの絵となるのです。

色んな視点でみたものを2次元で表現しようという発想が普通ではないと思いますし、僕が理解できる範囲を遥かに超えています。

アインシュタイン相対性理論にしても、ピカソの絵画についても、理解できる人が誰もいなければ画期的な理論でも芸術でもない変な人が考えたへんちくりんな理論や子供が描いたような絵画で終わってしまいます。

天才とは?

「天才」というのは多くの人と異なる脳の使い方ができる人なのかもしれません。

スポーツの世界のように勝ち負けがハッキリするようなことであれば多くの人の理解を超えるような発想であっても結果で判断できますが、理論や絵画といったことに関しては普通の人が理解できるように翻訳してくれる人がいなければ、表には出てこないはずです。「天才」の考えを理解でき、更に多くの人に伝えることができる人も「天才」と言えるのかもしれません。

アインシュタインピカソといった歴史的な人物だけではなく、身近にも「天才」と感じる人はいるはずです。

授業の内容を聞いただけで理解できて瞬時に覚えてしまう人。

何をさせても人より早く終わらせてしまう人。

1回見ただけで動きを覚えて再現出来てしまう人。

誰でも1人はそんな人が身近にいるはずです。

脳の回路がそんな風に最初から出来上がっていたのか、生きてきた中で色々経験したことから学習してそのような脳回路が出来上がったのかはわかりません。

いずれにしても、多くの人ができないことができているのですから、多くの人には理解できない考え方が無意識の内にできているのでしょう。

そう考えると、親が話している言葉を理解するところから始まり、色んな人のことを見たり、本を読んだりして脳回路を構築していくわけです。

人の真似から始まり、壁にぶち当たると、壁を乗り越えるために新しいことを覚え脳回路が作られていくのですが、この過程が多くの人が経験するような内容だけだと多くの人と同じような脳回路が構築されるってことです。

みんなが経験しているようなことを経験していたのでは「天才」の考え方は生まれないので、子供の頃に色々な経験をするというのは大切なこと。
もしも、子供の頃のアインシュタインと同じ経験をさせることができたら、アインシュタインのような脳回路が作れる?

気づく力が大切

きっと、それだけではアインシュタインにはなれないはず。人は同じ経験をしても感じ方は人それぞれ。つまり何を経験するのか?ということではなく経験から何を気づけるか?ということが重要なのでしょう。

失敗することを悪とする文化が日本には強いので、失敗することを必要以上に恐れる人が多いと思います。勿論、僕もその中の一人だと思っています。

しかし失敗することで自分の生活に影響するような事柄でなければ、失敗したり、間違えたりしても良いと思うんですね。

例えば、学習です。

正解した問題は記憶に残りませんが、間違えた問題は記憶に残ります。

学習中に問題を間違えても不合格になるといったこともありません。

むしろ学習中に色々な間違いや失敗を経験して記憶に残ってくれれば、有利になります。

間違いを恐れるあまり、直ぐに正解を確認していたのでは気づく力も、考える力も身に付きません。

何かを経験したり、本を読んだりした時も同じです。
これまで学んだことや知っていることというのは、凄く楽です。

知らない事や経験のしたことがないを学ぶことは、わからないことを、わかるようにする労力が必要ですし、それまでに何度も失敗したり、間違えたりすることもあります。

それを面倒だと感じるのも、間違いや失敗を恐れるのと同じことだと思います。

1日1回、これまで気づけなかったことに気づくことができれば1年で365個の気づきが得られるのです。これだけ新しい気づきが得られて人が変わらないはずはありません。

いきなり1日1つが難しければ1週間で1つでも構いません。

それでも1年で50以上の気づきが得られます。

気づく力は大人になっても向上させることができるものだと僕は思うので、自分自身でも確かめてみたいと思います。

 

〈気づき〉の奇跡: 暮らしのなかの瞑想入門

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