渋谷は若者の街ではなくなった?
渋谷の再開発が進み高層ビルが建設され、オフィスが増えた。
ビル内の店はハイブランドショップばかり。
その結果、渋谷のスクランブル交差点を見回すと若者の姿が少ないことに気が付いたという記事を読んだ。
ネットでも渋谷は若者の街ではなくなったという投稿が目立っているとか。
東京は金持ちと貧乏人の街
赤坂でランチを食べようとすると、有名ホテルだとラーメン一杯たべるだけで5000円だと思えば、少し場所を帰ると牛丼屋がありワンコインで食べることができてしまう。
東京は金持ちと貧乏人の街になりつつあるという記事も書かれている。
一億層中級社会だった日本が、数十年で格差社会に変わりつつあるということだ。
富裕層と呼ばれる人たちは一晩で数百万円といったお金を毎晩のように使っている。
そうかと思えば、3食の食事さえまともに取れない人達もいる。
今になって政府は賃上げだのなんだのと言っているが、既に定年を迎えて、収入が得られない人にとっては迷惑な話。
なぜなら、年金受給額は上がるどころか下がっている。しかも賃金が上がれば当然、物価も上がるので、凄く迷惑な話だと思う。
賃上げするなら、年金受給額も上げる必要がある。
更に言うと、既に年金生活の方には過去に遡って賃上げ分を返還してあげて欲しいとさえ思う。
それは、政府だけではなく、企業からも徴収すればよい。
それこそ、大企業には賃金を上げずに貯め込んだ内部留保があるではないか。
競争と不平等
今の社会は競争社会であり、競争に勝った者が富を得て、負けた者は何も得られないという「不平等」で成り立っていると言える。
不平等を無くすということは、「勝った人」も「負けた人」のも同じにように富を分配するということ。
そんなことをすれば、競争社会ではなくなる。
つまり、不平等を無くすということは競争を止めるということになる。
それでは、まるで、社会主義だ。
社会主義だけでは国が成立しないことは中国やロシアの歴史を見れば明らか。
競争がなければ人類は進化しないので進化を続けるためにも競争は必要なものと言える。
不平等はなくせるのか?
つまり、競争は無くすことはできないという結論に到達する。
しかし、競争を無くさないと不平等は無くならない。
完全に矛盾状態だ。
つまり、人類が進化を続けたいのであれば不平等は無くすことはできないということ。
得する人がいれば、得する人の分だけ損をする人達がいる、勝者がいれば必ず敗者もいる。
それが経済の論理だ。
不平等はなくせないのか?と自分に問われた場合、完全には無くせないという回答になる。
100m走は0秒で走ることは人類には不可能だろう。
しかし、0.0001秒ずつでも縮めていくことは可能だ。
それと同じで、不平等による格差を縮めることは可能だと思うが、ゼロにはできない。
不平等による格差は、100m走と同じだと思う。