片付けは苦手
実は片付けることに対して苦手意識を持っている。
これまで、散々、机の上は綺麗にして帰ることが習慣づけされているということを言ってきたが、実のところ片付けは苦手だ(笑)
自分は一度、ゴチャゴチャな状態になってしまうと何をどうすれば良いのか、わからなくなり前に進めなくなってしまう。
このため、一度、ゴチャゴチャにしてしまうと元の状態には絶対に戻らないと自負している。
そんなことからゴチャゴチャした状態をイメージするだけでゾッとしてしまう。
ゴチャゴチャになってからでは手遅れだということがわかっているので、そうならないように日々、必死に整理整頓を行うという選択肢しか思いつかなかった。
一日分であれば、どんなに散らかしても自分の整理整頓能力で十分に整理整頓ができるので苦にもならないということから、自然と続くようになった。
ソフトウェアを作る時も同じ
プログラムというのは基本的に、インプットしたものを処理してアウトプットするロジックを考えることになる。
- インプット→処理→アウトプット
このため、迷路のように入口から入って右往左往して出口に到達するような処理にすることもできるし、入口から入れば一本道で最短距離で出口に到達するような処理にしても結果が同じであれば問題はないと言える。
とは、言っても、迷路のように複雑な処理にしてしまうと、どこからどこまでが一つの処理なのかわからないとか、そもそも、意図がわからないとか、修正をするときに確認しないといけない箇所が増えてしまったりと、不具合が生じやすくなることになることになる。
そして、スパゲッティのようにパスタが入り組んだ構造とイメージが一致することからスパゲッティプログラムと言われている。
人が作ったものを修正するということも少なくなくて、そんなときには「スパゲッティ」に遭遇することが少なくない・・・
ゴチャゴチャなものを整理整頓するのが苦手な自分としては、スパゲッティをシンプルな茹でる前の真っすぐな乾麺の状態にしないことには手をつけられないので、時間をかけても茹でられたパスタを乾麺に戻すところから作業が始まる。
そんなことから、自分がソフトウェアの仕様を考えたりプログラムを作る時は、内容が複雑になり、スパゲッティ化してきたら、それは間違っている方法だと認識して即座にリセットして最初から考え直す。
しかし、モノの整理整頓は、簡単にリセットして最初の状態に戻せるものではないので、慎重にならざる得ない。
その結果、リセットしやすい状態で、整理整頓を日々行って、乾麺の状態に近い状態を維持することに日々、努めている。
遺伝ではない
自分の両親は、ゴチャゴチャになっていても、自分とは異なり、手早く片づけてしまうので、片づける力というのは遺伝ではないと思っている。
両親は片づける力があるのに、整理整頓された状態が継続しているので片づける力があれば、自分のように必死に整理整頓をする必要もないのかもしれない。
実際、自分に片づける力があったら、日々、整理整頓なんてしていないと思う。
整理整頓とは?
整理整頓という言葉を改めて考えてみたい。
この言葉、実に適切な言葉だと思う。
- 整理:いるものと要らないものを分け、要らないものを処分する
- 整頓:必要なものを必要な時に取り出せるようにしておく。
整理してから整頓する、実に合理的な方法で、整頓の必要な時に取り出せるようにいう定義も素晴らしい。
一旦、整理整頓された状態を持続しようと思えば、モノを増やさず、持ち出したものは元の場所に戻す。
これだけのことになる。
しかし、それだけでは、整理整頓は持続しない。
保存しておくものには「期限」を設けなければいけない。
そうしないと、モノは必然的に増えていく。
「期限」がなければ、捨てない分類に仕分けしたものが自然と増えていくので、ゆっくりではあるかもしれないが着実に増えていく。
QCDという品質管理で使われる用語がある。
- Q:Quality(品質)
- C:Cost(価格)
- D:Delivery(納期)
いくら、品質がよくて価格が適切なものであっても、手元に届くまでに何年も待たされるようなものであれば、必要なものではなくなってしまう。
このため「期限」というのは何においても必要不可欠なことだと思う。
- 整理
- 整頓
- 期限
整理整頓を行うに際して、「モノを増やさない」というのは思っているほど簡単なことではない。
世の中というのは、何も考えずに日々を過ごしていると、モノは自然と増えていく仕組みになっている。
会社で考えれば、整理整頓できない代表は紙ではないだろうか?
紙は色んな手段で毎日のようにやってくる。
これだけ、メールやクラウドシステムが普及しているのに、未だに紙で回ってくるものが多いというのも不思議だ。
特に注文書と、領収書・請求種。
注文書は未だに角印や丸印を要求してくる取引先がある。
電子捺印して送付しようとすると、電子捺印では困るので実際に捺印して欲しいという。
しかも、そのあとならPDFに変換して送付してもよいというのだから何を考えているのだろうか?といつも思ってしまう。
そうすると、一旦、紙に印刷しなければいけなくなる。
パソコンで作成して紙に印刷して捺印。
それを再度、PDFにしてメールで送信。
そうすると、こちらは紙が原本になってしまうので、紙で保管しないといけなくなる。
2024年1月1日から電子帳簿保存法が義務化されているが、これは電子取引のデータに関してであって紙で送られてきた請求書・領収書に関しては自由だ。
他の会社では、電子保管したくないということで、わざわざ紙で送ってもらっている場合もあるし、無理な場合は自分で一旦、紙に印刷して処理だけは紙で行い、終わったら、原本(電子データ)を保存するということを行っている場合もある。
取引のある会社が来社すれば、カタログや資料は全て紙で持ってくるので、何もしないで机の上に置いておけば日々、増えていくので1週間もしない間に、紙の山が出来上がる。
それだけではない、郵便物も日々、送られてくる。
面識のない会社からのものが大半だが、サービスや商品の紹介やカタログ・・・
特にカタログは厚みがあるので放置してしまうと、カタログだけで1日分の量になってしまう。
長くなってしまったが、モノは放置しておけば、日々、増えていくもの。
このため、保管したものも定期的に、見直して再度、捨てるか捨てないかの判断をしないといけない。
そのために、保管するものでも期限を設定しないといけない。
気持ち悪いと思うようになること
風呂に1週間も入らないと、多くの人は気持ち悪いと感じるのではないだろうか?
もう一つ、歯磨きを1週間もしないと気持ち悪くないだろうか?
それは、風呂に入らないといけない、歯を磨かないといけないといった義務感ではないはず。
そして、どちらも子供の頃は、どちらかというと嫌々行っていたことではないだろうか?
それが習慣化されたことで、行わないと気持ち悪く感じてしまうようになった。
日々の整理整頓も同じではないだろうか?
最初は面倒だと思うかもしれないが、繰り返し行うことで、整理整頓が行われていな状態が気持ち悪くなる。
多くの人は、整理整頓が行われていない状態が気持ち悪いと感じられる前に止めてしまうので続かないのだと思う。
そして、それは、風呂・歯磨き・整理整頓に限らず、何においても続けることで止めることが気持ち悪くなる。
そういうことではないだろうか?