井の中の蛙、大海を知らず
地元では天才だとか秀才だとか言われていても、地元を一歩出ると世の中には自分は凡才だと感じてしまう。
自分が天才だと思っていたのが一気に凡人に思えてしまうというのは、当人にとって凄くショックなことだと思う。
しかし「真価」が問われるのは、ここからではないだろうか?
自分を天才だと思っていたというのであれば、おそらく努力なんてことはしてこなかったはず。
もしも、一生懸命に努力をしていたというのであれば、自分のことを天才だとは思っていないはず。
天才なら普通、一生懸命に努力する必要がないので、努力している時点で自分は天才ではないと自覚していることになる。
努力なしで頂点に立つ人はいるか?
世の中に努力もしないで世界の頂点に立った人がどれくらいいるのだろうか?
自分は1人もいないと思っている。
人は生まれた時から努力の連続なのは誰もが経験していることだと思う。
おそらく、生まれて直ぐに歩いたり、話したりできる人なんていない。
当然、生まれてすぐに、絵を描いたり、楽器を演奏できる人もいない。
色んなものを見たり聞いたり触れたり感じたりすることで一つずつ、身についていく。
だから、誰だって努力して生きていることになる。
あるのは、努力が効率良く報われる人と、効率が悪くなかなか報われない人だと思う。
努力ではなく普通
大谷翔平選手もテレビだけを見ていると努力している姿が伝わってこないが、大谷選手はトレーニングなどを努力して行っているではなく普通に行っているという。
確かに自分たちも、何かを食べたり飲んだり、話したり、眠ったりするというのは、頑張ったり、努力して行っているわけではなく「普通」に行っている。
逆に眠くないのに眠ろうとか、食べたくないのに食べないといけないと言ったときの方が辛い。
自分は「努力」だと思っていたことが大谷選手レベルになれば、それは「普通」のこと。
では、どうすれば「普通」に行えるようになるのだろうか?
子供の頃のこと
子供の頃、歩けるようになった時のことを覚えているだろうか?
周りの人たちは、みんな立って歩いている。
しかし、自分は手と足を床について這っている状態だ。
自分も立ち上がってあんな風に歩きたい。
自分は歩けるのだろうか?なんて疑いの気持ちはない。
みんなができているんだから、自分も歩けるんだというと根拠のない確信だけがあった。
見よう見まねで繰り返し立ち上がって交互に足を前に出そうとするが、それがなかなかできない。
でも、辛いとか、難しいなんて考えは頭には浮かんでこない。
早く、歩いてみたい、それだけだった。
好き・楽しい・楽しみ
大谷選手は「好き」「楽しい」「楽しみ」という表現をよく使う。
- 野球は小さい時に好きで始めた。
- 小さい頃から、毎日の練習は「楽しみ」でした。
- できなかったことが、できるようになるのが楽しい
大谷選手は、小さな目標を実現することで、できないことができるようになることが楽しいのだと思う。
実際、以下のように大谷選手が語っていた。
- 目標を達成する瞬間も大好きですが、そこをめざして毎日工夫しながら練習することが好きです。練習の過程で、できなかったことができるようになったと実感できるのはとても楽しいですね。
それは、子供の頃の早く歩きたいという気持ちと同じではないだろうか?
小さな目標を達成し積み重ねていくことで、いつしか大きな目標を達成していた。
そんな感じだと思う。
いきなり、大きな目標を達成しようとしても、達成できるものではない。
何度も失敗すれば、自分には無理なんだと諦めてしまうことにもなる。
結果を行動の動機にしない?
大谷選手は、結果を行動の動機にしないと言う人がいるが、それは間違っていると思う。
できないことができるようになる。
これは紛れもなく結果であり、大谷選手の「楽しい」の原動力だと思う。
誰だって、何も変わらないのに練習をしていても楽しくはならない。
今、現在、100Km/hでもボールを投げることができない子供が、160Km/hでボールを投げるなんて目標を設定しても達成できるはずはない。
普通は、今が90Km/hなら、次は91Km/h、92km/h・・・・100Km/hと徐々に目標を設定していくのではないだろうか?
しかし多くの人は、いきなり160Kmを目標にしてしまうので、なかなか達成できずに諦めてしまうことになる。
実現可能な結果を導き出す
そう考えると、いかに実現可能な結果を導きだすのか?が重要なポイントになってくる。
実現可能な結果を目標にすれば、いつかは達成できるはず。
それが大きな目標への通過点になっていれば、いつかは大きな目標も達成できるはず。
大谷選手は、これが実に的確にできているのではないだろうか?
年初の目標を立てた人は多いと思うので、実現可能な結果を積み重ねて大きな目標を達成するということを試してみてはどうだろうか?