野球チーム
野球と言えば、9人。
プロ野球でも選手登録できるのは最大30人で更にベンチ入りできるのは25人
これが少年野球だと、中学生だと、選手登録は11名以上25名以内でベンチ入りできるのは20名以内、小学生だと、選手登録(ベンチ入り含む)は11名以上20名以内。
【出典】公益財団法人日本少年野球連盟 ボーイズリーグ|連盟概要 (連盟主催大会規定)
そんな中、部員が120人もいる小学生の野球チームがある。
多い時には240人いた時もあるとか。
ベンチ入りは14人なので競争率は約8.6倍
野球は9人で行うので、13チーム作れるほどの部員がいることになる。
これだけの人数がいれば、このチームだけで13チーム作れるので、ちょっとした大会ができてしまいそうだ。
何より、ベンチ入りするだけでも、大変なことだと思う。
これだけ人数が多いと、「努力すれば報われる」という言葉が薄っぺらく感じられてしまうかもしれない。
例えばベンチ入り14人のところに20人であれば、6人越えでベンチ入りできるが、120名では、106人越えが必要になる。
野球をするのであれば、やはり試合には出たい。
試合に出られないのであれば、練習なんてしても意味がない。
そう考えるのは当然のことだと思う。
なぜ120人のチームに入るのか?
それでも、120人も部員がいる野球チームに入ろうとするのはなぜだろうか?
おそらく想いは一つではないのだろう。
- 小さい頃から野球を始めれば、野球が上手くなってくれるかもしれない。
- 将来、プロ野球選手になって欲しいので、有名な野球チームに入れば、レベルの高い技術が身につく。
- 友達が入っているから自分も入りたい。
- チームの評判(指導方針が素晴らしい等)を聞いて、うちの子も入れたい。
- 練習している風景を見て興味を持った。
- 野球を本格的に始めたいと思った。どうせなら強いチームで自分の力を試してみたい
といった感じで、想いは人の数ほどあるのかもしれない。
120人もいるのだから試合に出られるようになるには努力だけではなく、才能だって必要になる。
チームに入部させたものの、試合に出られる様子はなければ、親にすれば子供が可哀想になって辞めさせた方が良いと思う場合もあるだろう。
大人になればもっと理不尽
一見すると理不尽なことのように感じるかもしれないが、大人になれば野球に限ったことではなく、色んな場面で多くの人が経験することではないだろうか?
例えば、大きな会社に入れば同期が120人という場合は当たり前のようにある。
その中で順調に出世するのは10人もいないかもしれない。
人間関係に馴染めなくて辞めてしまう人、思うように結果が出せない人、そこそこ頑張れたが結局は係長止まりの人、出世間違いないと言われていたのに大きな失敗をして会社にいられなくなった。
順調に出世できる要因より失敗する方の要因の方が多いのが常だと思う。
会社というのは日々、努力をして100回連続で成功していても101回目で失敗して大きな損害を与えたら先が途絶えてしまっても不思議ではない。
子供ならやり直しはできる
それに比べれば、野球の方が努力次第では何とかなると思う。
9回裏、0対0で最後のバッターが打った凡フライを捕球できずに、後ろに逸らしてしまいサヨナラ負けになったとしても実力さえあれば試合に出られる。
そう考えれば会社員の世界の方が、よっぽど理不尽だと言える。
120人もいるチームに入って「試合に出られない」という理由だけで辞めていたのでは大人になった時でも同じような場面になった時に、直ぐに諦めてしまうようになるかもしれない。
部員が120人もいるチームに入れる親の多くは、ここまで書いてきたことを十分に理解しているのだろう。
えこひいき
しかし中には、自分の子供が試合に出してもらえないと、「えこひいき」だとか何とかとクレームをつけてくる親も何人かはいると思う。
しかし、「えこひいき」と言われることも、大人の世界では当たり前のように行われている。
それはそうだろう?
人間誰しも好き嫌いはある。
「えこひいき」するな等と言っているのは、学校くらいで社会に出れば「えこひいき」が当たり前。
「えこひいき」してます!などと言えば、だったら「えこひいき」されるような人になれよ!と逆に注意されるかもしれない。
選ばれる人になれ
大人の世界では「えこひいき」する方が悪いのではなく、「えこひいき」されなかった方に問題があると言われても不思議ではない。
そもそも、大人の世界では「えこひいき」という言葉が使われることはまずない。
「えこひいき」という言葉ではなく、どちらかといえば「選ばれた」という言葉を使う。
見込みがあると思われた、いい奴だと思われたから「選ばれた」のであって、「選ばれなかった」ことには理由があるはず。
仕事なのだから、実績があれば文句は言えないと思うかもしれないが、そうではない。
実績があるだけで「選んだり」はしない。
自分にとってメリットのある方を選ぶのが人だと思う。
だからといって、選んだ人に対して、文句を言うのはお門違い。
どちらの電子レンジを選ぶ?
例えば、電子レンジが壊れてしまって新しいものを選ぶことになった。
どうやって選ぶだろうか?
自分の条件に合ったものを選ぶはず。
色々な機能がある高機能なモノか?時間設定とスタート・停止ボタンだけがあるシンプルなモノか?
どっちを選ぶのかは、選ぶ人次第だと思う。
高機能(優秀)だから選ぶという人ばかりではないはず。
自分は、普通に温めることができればいいので、高機能なモノは不要という人もいるはず。
人の場合も同じ
これは電子レンジの時だけではなく人の場合でも同じ。
つまり選ばれなかったのは、選ぶ人の判断基準に合わなかっただけとも言える。
このため、こんなことで?という内容もあると思う。
電子レンジの場合だと、自分は黒でないと嫌だといった具合だ。
人の場合だと電子レンジと異なり自分の意志で話すので、言葉遣いが悪かった、気配りが不足していた、態度が悪いとか、感情に訴える内容も加味されてしまう。
「えこひいきするな」と言えるのは学校くらいのもので、社会に出てしまえば、そんな言葉は「死語」になる。
「競争」が全ての資本主義社会では「選ばれる」というのが鍵になる。
電子レンジが選ばれるために色々なものが発売されているように人の場合も他の人ではなく自分を選んでもらえるように一生懸命努力するのは当然のことではないだろうか?
このため、選ばれるように頑張ることは、あざといことでも、卑怯なことでもない。
これが「好きな人」から選ばれる場合だったら、どうだろうか?
選ばれるために、普段しないようなことをしてアピールしたりするのではないだろうか?
親が子供のためを思うなら「えこひいきするな」と言うことではなく「選ばれるため」に何をするべきか?を教えてあげることだと思う。
120人も部員がいるチームなら、野球が上手な子はたくさんいるはず。
その中から選ばれるためには、野球の技術が上手なだけでは不十分で、差別化する何かが必要になるのではないだろうか?
例えば、同じ技量であれば、他のチームメートと上手くやっていける者と、孤立するようなタイプであれば、余程変わった監督出ない限り、前者を選ぶのではないだろうか?
120人の部員がいる野球チームに入れば、一足早く大人の世界を体験できることにもなる。
大人の世界にデビューする前の予習だと思えば、仮に試合に出られなかったとしても、学校に通っているだけでは学べないような経験ができるはず。
そう考えて、120人のチームに飛び込ませている場合も少なくないと思うので単に試合に出られないから辞めさせるのではなく、「選ばれる」努力をさせることで、どんな結果になったとしても、大人になった時に役立つ経験になると思う。