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アズマンという思想家

アズマンが論破王を簡単に論破

論破王と言われている「ひろゆき」さんが、「アズマン」という方との議論で、まるで子ども扱いされているかのように終始、主導権を握られて全く良いところなく論破されていた。

アズマンというのは、愛称で、本名は、東浩紀(あずまひろき)さん。

東京大学を卒業後、哲学者として活躍し、出版社を設立したり、小説を書いたりして幅広く活躍されている方。

 

「アズマン」さんを見ていると、なぜ、こんなことがわからないのか?みたいな感じで、どうすれば簡単に説明できるのか?と手加減さえしている感じだった。

こんな、ひろゆきさんを見たことがなかった。

なぜ思想書を買うのか?

その中でも特に凄かったのが、思想家の東さんに対して、ひろゆきさんが「なぜ思想書を買うの?」といった問いを投げかけた時だ。

ひろゆきさんの言い分は、思想書は笑いといった快楽もないし、読みやすいわけでもないというもの。

電話帳や時刻表を読むのが好きって人と同じジャンルで見て良いのか?という。

これに対して、東さんは以下のように答えた。

快楽というのは2種類あって、その場で快楽が得られるものと、ずっと我慢して最後に快楽が得られるものがあって、思想書や純文学と言われるものは、後者だという。

すると、ひろゆきさんは、自分は自然科学系的な本が好きで、世の中、実はこういう仕組みになっているんだという発見と知識があるが、思想本は最終的には著者がこう思うで終わってしまって統計的な証明もないので新しい知識ではなく単なる意見を読んだで終わってしまうので面白い知識を得た感がないと主張した。

これに対して、東さんは歴史とは何か?と関係していてという話を持ち出してきた。

歴史を学ぶのも、織田信長が、そういうことしたんだって終わってしまうが、それでも歴史を面白いと思うのはなぜか?というのと同じだと返した。

ひろゆきさんは、歴史は事実なので一般常識として会話の時のテーマとして使える読んで楽しい以外の付随的な価値がついてくる。

歴史も全てが会話のテーマとして使われるわけではないので、疑問がある。

しかし、思想は科学になってなくて、論証してみよう、証明してみようっていう段階にまでいかないと再度、返す。

歴史は事実であり科学と同じ?

なかなか、歴史と思想の「知」は同じだということを、ひろゆきさんが理解してくれないので、東さんはテーブルに、置いてあったペットボトルを持ちあげて落とした。

ペットボトルは、こうやって何回やっても落ちるが、歴史というのは、何回でも繰り返されるものではない。

反復可能な「知」っていうのと、1回限りの「知」では構造が違う。

特定の人間についての「知」と、人間とは一般的にこうだという「知」は別物だというのと同じ。

これが、大雑把には、理系と文系に重なる。

構造が違う「知」なので、思想や哲学が科学にならないのは当然のことで、「学」というのはある時期から反復可能なこというが条件になっていて反復可能でないことは外側に追い出されてしまってるということで、ひろゆきさんを納得させてしまった。

ひろゆきさんの言い分としては、以下の二つ。

  • 快楽がない。
  • 事実として証明された科学ではないので知にはならない。

この二つに対して東さんは、快楽には2種類あって思想書は直ぐに快楽が得られるタイプではなく、最後に得られるタイプ。

そして、知にも2種類あって何度でも繰り返されるものと、繰り返されないものに別れて、歴史は、繰り返されない知であっても多くの人が面白いと感じている。

だから、ひろゆきさんが主張することは、全てに当てはまることではないと言える。

世の中には、凄い人がいるものだと恐ろしくなった。

 

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