今週のお題「苦手だったもの」
天敵「納豆」
苦手と聞いて、真っ先にイメージするのは納豆。
とにかく、臭いが嫌。
食べ物の臭いではない。
息をせずに口に入れてしまえば、何とか食べられるが、口に入れても鼻に納豆臭が漂ってくる。
我慢すれば、食べられなくはないが、どうしても「美味しい」とは感じられない。
嫌な臭いに加えて、美味しくもない。
これで美味しいという人の気持ちが、どうしても理解できない。
このため、納豆は今も苦手のままの食べ物。
ということで、今回のお題は「納豆」ではない。
トマト
子供の頃、もう一つ苦手だったのが「トマト」
見た目がどこか緑っぽくて、美味しそうに見えない。
極めつけは、青臭い味が、どうにもダメで、これは「納豆」以上に苦手だった。
「だった」と過去形になっているのは、今のトマトは昔と違って見た目も赤くて緑は感じない。何より「青臭くない」のでフルーツ感覚で食べられてしまう。
最初に食べた時は、自分の味覚が変わったのかと思っていた。
ところが、以下の記事によれば、自分が子供の頃に食べていたトマトと今のトマトでは違うモノになっているらしい。
中高年層に当時の思い出を話してもらうと、「昔のトマトはまずかった」という声がよく聞かれる。
青臭い、硬い、酸っぱいなど表現はさまざまだが、少なくとも現在売られているトマトとは「別物」だと感じられているようだ。
結論から言うと、昔のトマトと今のトマトはほぼ別物と言える。
まず、品種が変わっており、味の特徴も昔と違って、フルーツっぽく甘いものが多くなったのだ。
別物?
確かに、見た目の色は全く違う。
トマトが本格的に日本の市場で流通し始めたのは戦後(1950年代)だが、当時は露地(屋外の畑)栽培が中心で、文字通り夏にしか食べられない野菜だった。
また、トマトは完熟すると傷みが早くなるため、十分に熟さない段階で収穫、出荷されていた。
これが青くて硬いイメージにつながっていると思われる。
子供の頃は、まだ青い段階で出荷していたものを、給食で無理やり担任に食べされていたことになる。
自分の味覚は間違っていなかった。
すると、子供の頃の担任に強い苛立ちを感じた。
トマトがトラウマになった
今のトマトなら普通に食べられる。
しかし、子供の頃に美味しくないトマトを無理やり食べさせられたおかげで、トマトを食べた瞬間にトラウマが起こってくる。
味には何の問題がないが、なぜか苦手意識が残っている。
夏の暑い日だと、トマトを食べたくなるまでに克服できているのに、いざ食べると昔の青臭いトマトの味が蘇ってしまう。
トマトを見る都度、今でも食べた瞬間、全く青臭くなくても、青臭さを感じてしまうようになってしまったようだ・・・