カレーを綺麗に食べる
「育ちがいい人が、カレーを食べる時しないこと」という記事をDIAMOND ONLINEで見つけた。
カレーライスを食べ終わった時に、下図左のようになっていると何となく気になるものだ。
ルーとライスの境目から食べ始めて、食べたところへライスを寄せていくのが、きれいに食べるポイントだそうだ。
【出典】育ちがいい人が、カレーを食べる時しないこと | 育ちがいい人だけが知っていること | ダイヤモンド・オンライン
育ちが悪い?
多くの人が、食事を綺麗に食べられないと「育ちが悪い」みたいな印象を持ってしまうのではないだろうか?
しかし育ちが良いとか悪いというのは具体的にはどういうことなのだろうか?
子供の頃に親から厳しい躾や教育を受けた人のことを指すのだろうか?
自分の子供時代のことを考えてみると、親からカレーライスの食べ方の注意を受けた記憶はない。
自分が覚えているのは「服を汚さない」「こぼさない」「食べ残さない」この3点に関しては厳しく言われたのは今でも覚えている。
しかし、どうすれば服を汚さないのか?どうすればこぼさないで済むのか?、どうすれば残さずに食べられるのか?という教育は受けた記憶はない。
そうすると、自分は綺麗に食べるという躾も教育も受けていないので「育ちが悪い」ことになるのだろうか?
しかし、それは間違いで叱られたのであれば、どうすれば改善できるのかを考える必要がある。
技は盗むもの。
そう考えると、まず親がどうやって食べているのかをよく観察するということが必要だったはず。
しかし、子供の頃、親がどのように食べていたのかは全く覚えていない。
食べることに一生懸命で、人がどうやって食べているかには興味が持てなかった。
これは「育ちが悪い」と言えるのだろうか?
最低限のことは教えてくれた
少なくとも親は、子に対して悪いことを指摘してくれた。
ただ、子供が治そうとしなかっただけ。
そうすると自分自身の問題ではないだろうか?
食べ方が下手なのは、「育ちが悪い」のではなく「自分が悪い」ということになる。
子供の頃、カレーライスを綺麗に食べるなんて考えたこともなかった。
煮魚や焼き魚も綺麗に食べるなんてことを考えたこともなかった。
これは、親から叱られることがなかったからだが、仮に叱られていたとしても治そうとはしなかったと思う。
つまり、「自業自得」「因果応報」だということだ。
とは言っても「子供」なので大人と同じ行動を期待するのは無理がある。
考えてみれば、食事を手づかみで食べるのではなく、箸やスプーンで食べるということは親に教えてもらったことだと思う(※記憶はない)
最低限必要と思えることだけは、教えてもらっていたことになる。
まだ子供だから・・・
カレーを綺麗に食べるとか、魚を綺麗に食べるなんてことは、まだ子供だからということで教えなかったのかもしれない。
むしろ、魚に関しては親が、ほぐしてくれた状態で食べるのが当たり前だったので一人で食べられるようになったのは小学校高学年くらいだったように思う。
親のやってることをちゃんと見ていれば、親がやっている通りに繰り返すことで自分も綺麗に食べるという所作を子供の頃に身につけられていたのかもしれない。
何でも共通することだと思うが長年の悪い癖というのは簡単に治せるものではない。
子供のころから何も考えずに食べていて、ある日、突然に食べ方を治そうとしても頭ではわかっていても身体は思うように動いてくれない。
轍から抜け出すには?
車が轍(わだち)にハマったようなもので抜け出そうとしても意思とは関係なく動かされてしまう。
そうなると轍が終わるまで進み切ってしまうかハマる前まで戻ってコースを変えるかのどちらかしかない。
こんな苦労をさせないために子供の頃にしっかりと食べ方は細かなところまで指摘して親の真似をするように仕向けてくれればという思いもある。
親が見本になるためには当然、親ができなければ子供に親の真似をされても、それこそ「育ちが悪い」ということになってしまう。