飼い犬じゃないよ、タヌキだよ?
高知新聞の記事だ。
何だろう?と思って読んでみた。
四万十市古津賀の国道56号沿い。ガソリンスタンドで給油中、もぞもぞうごめく毛むくじゃらの物体が視界に入った。首輪にリードも付いている。飼い犬かと店員に尋ねると「タヌキです」。 推定8~9歳の雄、ポンタ。2015年、エネオス中村東サービスステーション(野並商事経営)の野並昭仁さん(64)が、近くの歩道で衰弱しているのを見つけた。
タヌキというのは警戒心が強く、人になつかないというイメージがあった。
もう一つ、野生動物は「鳥獣保護法」が認められているので、そのまま飼育することは禁止されている。
タヌキも野生動物なので、飼育はできないが、捕獲もしくは保護した場合には、一時的に飼育することが可能とされている。
そんなことから、ペットショップなどで「タヌキ」を見かけることはない。
カチカチ山
そんなタヌキ、おとぎ話などでは、よく登場する。
一番最初に出てくるのは「かちかち山」
おじいさんが、畑を荒らす悪いタヌキを捕まえた。
タヌキは「もう二度としません」と謝ったので離してやった。
ところが、これが嘘で、タヌキの悪戯は更に過激になっていった。
困っている、おじいさんのところへ、うさぎがやってきた。
困っている理由を聞くとウサギは、タヌキを懲らしめてあげると「薪(たきぎ)」を背負って峠でタヌキを待ち伏せした。
すると、タヌキがやってきた。
タヌキはウサギが背負っていた薪に興味を示してきた。
それは何だい?
これがあると、火をつけて、料理をしたり、お湯を沸かして風呂に入ったりできるんだ。
タヌキは、薪が欲しくなってきた。
ウサギは、半分あげるよと、タヌキに薪を半分渡した。
タヌキも「薪」を背負うと、うさぎはその後ろに回り、火打石を打ち始めた。
「カチカチカチ」
タヌキは、その音が気になったのでウサギに何の音なのか聞いた。
ウサギは、ここは「カチカチ山」だから、山の「カチカチ鳥」が鳴いていると嘘をついた。
火打石の火花が薪に移り、薪に火がついた・・・
「ボーボー」
タヌキは、その音がまた気になったのでウサギに何の音なのかを聞いた。
ここは、ボーボー山だから、山の「ボーボー鳥」が鳴いていると、また嘘をついた。
タヌキは、背負った薪が勢いよく燃えて、背中に火傷を負った。
ウサギは、火傷に利く万能薬を持っていると「唐辛子入りの味噌」をタヌキの背中に塗ってあげた。
タヌキは背中がヒリヒリすると痛がったが、ウサギは、良い薬はシミルものだと言ってタヌキを納得させた。
タヌキは、今日は、ついていないと落ち込んでいると、じゃあ気分転換に舟遊びはどうだい?と提案してきた。
タヌキは、それは良いと、ウサギの提案を受けた。
ウサギは、山の奥にある、大きな池にタヌキを連れていった。
そこには、軽いけど弱い木の船と、重いけど、強い泥の船が置いてあった。
どっちが良いか?タヌキに尋ねた。
タヌキは、強い船が良いと「泥の船」を選んだ。
池の真ん中まで進むと「泥の船」は水で穴が空いて中に水が入り込んできた。
沈みそうな泥の船の中で、「タヌキ」は必死にあがき、ウサギに助けを求めた。
ウサギは、二度と悪さをしないなら助けてやると言った。
タヌキは、泣きながら、「ごめんなさい、もう二度と悪さしない」と誓ったので、助けてやった。
めでたし・めでたし
と・・・この話を聞いて、思うだろうか?
犠牲者「タヌキ」
カチカチ山で「タヌキ」は悪い奴のイメージが定着してしまった。
実際には、そんなことはしない。
ずる賢い、おじさんのことは、「タヌキおやじ」、寝たふりをすることを「タヌキ寝入り」
カチカチ山で勝手に作られたイメージにより、タヌキにとっては名誉棄損問題だ。
カチカチ山の作者を訴えても、おかしくないほど、イメージが悪くなっている。
カチカチ山は何を伝えたかったのか?
おとぎ話には、必ず「教訓」が、話に含まれている。
では、「カチカチ山」の教訓は何だろうか?
「カチカチ山」は、おじいさんの代わりに、うさぎが行った、タヌキに対する「かたき討ち」の話。
単に悪いことをすれば必ず、自分に跳ね返ってくるということを伝えたいのであれば、タヌキに対して、そこまでしなくても良いのでは?という気がする。
傷口に「塩を塗る」という言葉があるが、「カチカチ山」では、「塩」どころではない、「唐辛子」を縫っている。
スシローで迷惑動画を撮影しSNSに投稿したことで炎上した少年は、カチカチ山のタヌキだと言える。
ウサギがスシローだと考えると、悪さをしたら報いがあるという考えの元、タヌキである少年に一生かかっても支払うことができないような賠償請求を行った。
スシローとすれば、こういうことを簡単に済ませてしまうと、真似をする人達が増えると考えたのだろう。
こんな人が増えて繰り返し行われたのでは、たまったものではない。
だから、今回は、見せしめが必要だと判断した。
子どもの将来、云々は考えていられない。
まさに、カチカチ山の世界だ。
目には目、歯には歯。
しかし、このことで、賠償請求が認められたら、少年は、全てを失うことになる。
全てを失った者に怖いものはない。
生きることに疲れてくれば、スシローへの逆恨みという感情が生まれるはず。
なぜ、あのくらいのことで、自分はこんな目に合わないといけないのだ?
スシローを許せない!
すると、更に過激な反撃をスシローは受けることになる。
今の時代に必要なのは、カチカチ山的な考えである、悪いことをすれば、相応の報いがあるという教えではなく「我慢」「許す」という選択だと思う。
今回のスシローの選択が正しかったかどうかは、今回のことを忘れた頃に出るものと思われる。