金沢のうどん屋さんと言えば?
金沢で、「うどん屋さん」といえば、昔から「お多福(おたふく)」、「加登長(かどちょう)」の2つの店の名前が出てくるはずだ。
「丸亀製麺」「はなまるうどん」は讃岐うどん、「なか卯」は京風ということで金沢のうどんとは言えない。
特に「出前」と言えば、「お多福」だった。
家にはお多福のメニューが常備されていたものだ。
うどん屋さんのカレー
うどんの出汁で作ったカレーライスは、ルーの色が薄く、の味は和風で上品な味で辛味はあまり感じないカレーとは違ったものに仕上がっていた。
金沢カレーと言えば、今は、濃い色のこってり系のルーになる。
金沢カレーは自分も好きだが、味が濃いので、あっさりとカレーを食べたい時には、うどん屋さんのカレーを選びたくなる。
加登長
加登長は、子供の頃、近所にはなかったので、香林坊に出かけた時に食べることが多かった。
加登長では、うどんではなく、そばを食べていた。
特に、ざるそばが好きだった。
石川のテレビでは大晦日の午後のニュースで、加登長で年越し蕎麦を食べている映像が流れるのが、毎年の恒例となっている。
そんなことから、自分の中で加登長=蕎麦のイメージが出来上がっている。
加登長に行けば「蕎麦」これが当たり前だった。
しかし、加登長は、元々、小松市で創業したということだ。
ずっと金沢だと思い込んでいたが、大きな間違いだった。
小松うどん
そして小松は「うどん」が有名で、「小松うどん」と呼ばれているとか。
小松というのは、石川県の南部にある日本海に面した場所になる。
石川県の空の玄関である小松空港があって、建設機械で有名な「コマツ」の発祥の地になる。
以前は金沢市に次ぐ第二の都市だったが、2005年に白山市が誕生して、第三の都市に変わった。
小松うどんは、細めで程よいコシがあって、つるつるしこしことしたのど越しと食べやすい麺が特徴。
そして、魚の節や昆布をふんだんに使ったあっさり味のダシとの相性が抜群。
小松うどんには「小松うどん定義八か条」があり、以下の8つの条件がクリアされたものだけが、「小松うどん」を名乗れる。
- 小松市内で製造された麺であるべし
- 手打ち・手打ち風のものであるべし
- 加水量は、小麦粉重量に対して35%w・w以上、52%w・w未満を基準とするべし
- 食塩水濃度10%を基準とするべし
- 白山水系の水で仕込むべし
- 出汁は、うるめ・むろあじ・さば等を主に用い、昆布をふんだんに使いひくべし
- 具材は、“じのもん”を出来る限り使うべし
- こまつの発展を願い、茹で上げるべし
江戸時代、小松うどんは身分の高い人への贈答品などにも用いられていた。
そのため、一般的には、うどんは、足で踏んでコシを強くするが、足で踏んだものだと失礼だということから、手作業で行っている。
そのぶん加水を多くし、炭火で乾燥させて仕上げた干うどんになる。
あの松尾芭蕉が奥の細道の旅の途中で「小松うどん」を食し、大変気に入られたという話もあるようだ。
明治30年(1897)、鉄道が開通する直前の小松駅近くの角に「加登長」という名前の、うどん屋ができたことで、うどんは広く庶民が味わえる食べ物になった。
加登長は人気店となり、のれん分けによって石川県内に次々と店が増えていった。
しかし、現在、小松市内には加登長の店舗は残っておらず、金沢市でよく見かけることから金沢市が発祥の地だと思われているが、実は小松市になる。
残念ながら、現在は小松市に加登長は残っていないので加登長の小松うどんは食べられないが、小松市内にある「お多福」では食べられるということだ。
「お多福」と「加登長」は石川県では特別な「うどん屋」さんだと改めて思った。