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本に出会うタイミング

2022年のノーベル文学賞が決定

スウェーデン・アカデミーは2022年10月6日、現代フランス文学を代表する作家、アニー・エルノーさん(82)に授与すると発表した。

授賞理由は以下の通り。

  • 勇気と冷静な鋭さをもってして、個人の記憶における根源と離反、集団的な抑制を暴いている

これまで、ノーベル文学賞が決まる前は、日本の有名作家の名前を日本のメディアは必ず出していたが、最近は、諦めてしまったのか、名前を出さなくなった。

文庫本が7,000円~?

現代フランス文学は、これまで読んだことがなかったので、どんな作品を書いているのかと気になったのでAmazonで検索してみた。

代表的な著書は、「シンプルな情熱」で映画化もされていると報道されていたので、探してみた。

驚いた・・・

文庫本が7,000円~、単行本が10,827円~ 

「昨年の九月以降わたしは、ある男性を待つこと―彼が電話をかけてくるのを、そして家へ訪ねてくるのを待つこと以外何ひとつしなくなった」離婚後独身でパリに暮らす女性教師が、妻子ある若い東欧の外交官と不倫の関係に。彼だけのことを思い、逢えばどこでも熱く抱擁する。その情熱はロマンチシズムからはほど遠い、激しく単純で肉体的なものだった。自分自身の体験を赤裸々に語り、大反響を呼んだ、衝撃の問題作。

つまり、廃版の本で中古しか日本市場には出回っていないようだ。

過去の受賞について

ノーベル文学賞を受賞した人の言語は、英語が圧倒的に多い。

次いで、フランス語、ドイツ語となっている。

言語別の受賞回数は以下の通り(10回以上のみ抜粋)

  • 英語    30回
  • フランス語    16回
  • ドイツ語    14 回
  • スペイン語    11回

国籍別だと以下の通り(10回以上のみ抜粋)

日本人の受賞は?

国籍別で、アジアだと中国とインドが1回で、日本は2回なので、アジアでは日本が最も多く受賞している。

言語だと中国語が2回、日本語が2回になる。

高行健さんは、フランス国籍で、言語は中国語

以下に、受賞年、名前、授賞理由を記載する。

1968年:川端康成

  • 日本人の心の真髄をすぐれた感受性をもって表現し、世界の人々に深い感銘を与えたため

親譲りの財産で、きままな生活を送る島村は、雪深い温泉町で芸者駒子と出会う。許婚者の療養費を作るため芸者になったという、駒子の一途な生き方に惹かれながらも、島村はゆきずりの愛以上のつながりを持とうとしない――。冷たいほどにすんだ島村の心の鏡に映される駒子の烈しい情熱を、哀しくも美しく描く。ノーベル賞作家の美質が、完全な開花を見せた不朽の名作。

1994年:大江健三郎

  • 詩趣に富む表現力を持ち、現実と虚構が一体となった世界を創作して、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている

友人の死に導かれ夜明けの穴にうずくまる僕。地獄を所有し、安保闘争で傷ついた鷹四。障害児を出産した菜採子。苦渋に満ちた登場人物たちが、四国の谷間の村をさして軽快に出発した。万延元年の村の一揆をなぞるように、神話の森に暴動が起る。幕末から現代につなぐ民衆の心をみごとに形象化し、戦後世代の切実な体験と希求を結実させた画期的長篇。谷崎賞受賞。

欧米中心の受賞

ノーベル文学賞は、ほぼ欧米の方が受賞している中で、日本人として受賞した二人は凄いと思う。

今回、初めて現代フランス文学に挑戦しようと思ったが、価格が凄かったのと、内容がドロドロした感じで、自分好みではなかったので今回は断念した。

初めての作者の著書を読むときは興味がある内容じゃないとトラウマになって2度と読まなくる可能性もある。

今回の場合、現代フランス文学も初めてのジャンルなので、現代フランス文学にまで被害が及ぶ可能性がある。

このため、初めてのジャンルや作者というのは慎重に著作を選ばないと何気なく選んだ1冊で、オーバーかもしれないが一生を変える可能性さえある。

サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を子供の頃に読んだが、主人公の話し方が嫌いだった。

  • それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立ってるわけさ。
  • 片っ端から捕まえるんだよ。
  • 誰もが幸せな理想の国が誕生するというのかい。
  • その子をさっとキャッチするんだ。
  • 僕はただそういうものになりたいんだ。
  • 世界の土台は引き受けることでできているんだぜ。

話し方だけじゃない。

考え方も当時は受け入れられなくて、読んでいて徐々にイライラしてきた。

だから、読むのを途中でやめた。

話し方については。翻訳が自分に合わなかっただけだと思う。

また、読むタイミングが自分には早すぎたのかもしれない。

色んな悪い要素が重なり、サリンジャーの作品は全てが「ライ麦畑」に見え、アメリカ文学も「ライ麦畑」に見えた。

今、読めば、全く違う印象を持つのかもしれない。

しかし、読もうとすると当時のイライラした時の気持ちが先に蘇ってきて後回しにしてしまう。

人に出会う時も、その時の自分の状態で印象が変わる場合もあるかもしれない。

本や人に限らず、何でもタイミングは大切だということ。

イライラしているときより、気分の良い時の方がタイミングは良いはず。

日頃から色んな知識を吸収しておき、何にでも興味を持てるようにしておく。

少しでもタイミングが、よくなるように整えておくことはタイミングが良くなる確率が高くなることに繋がると思う。