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もっと早く教えてくれよって思った内容を書いていきたいと思います。

ボランティアを超越する「月の明かり」

中秋の名月

2022年9月10日は「中秋の名月

金沢市は高気圧に覆われていたので天候は晴れだったので「中秋の名月」を見ることができた。

中秋の名月は、太陰太陽暦で8月15日の夜に見える月のことを指す。

太陰太陽暦というのは、月の満ち欠けを元に暦を決めたものになるので、現在の暦である太陽暦グレゴリオ歴)は太陽を元に暦を決めたものなので、太陰太陽暦とはズレが生じるので、中秋の名月は年によって変わることになる。

太陰太陽暦では秋が7月~9月となっていた。

そうすると秋の真ん中は8月、日付だと15日になるので、「中秋」となった。

「中秋」の時期の満月が1年の中でも一番きれいだということで、「中秋の名月」と呼ばれるようになった。

自分が子供の頃は「十五夜のお月様」という言葉の方をよく耳にした。

中秋の名月が満月でないこともある

中秋の名月=満月のイメージがあるが、2つの理由でズレることがあるそうだ。

  • 中秋の名月新月からの日数に対して、満月は、太陽、地球、月の位置関係で変わる。
  • 月の公転軌道が楕円形なので新月から満月までの日数が13.9日~15.6日と変化する。

このため、2024年の中秋の名月が9月17日に対して満月は9月18日となる。

月は光を与えている?

2022年9月11日の天声人語を読んでいると最後に以下のようなことが書かれてあった。

  • 太陽からもらった光を、月は別の誰かに惜しむことなく与えている。

この言葉が凄くひっかった。

月は誰かに光を与えるなんてことは考えていないと思う。

単に太陽の光が月に反射しているだけ。

光を誰かに与えているという感覚は持っていないはず。

人間はどうしても、誰かに何かしてあげているといったことを、つい考えてしまう。

「私は1円も貰わずにxxxにさせて頂きます」といったことを言う人がいる。

おそらく、自分は無報酬で行っているので利益目的ではないですよってことを言いたいのだと思う。

しかし、そのように言うということは、何かをする時は「報酬を得るのが当たり前」だと言っているのと同じになる。

反面、「ボランティアで行っているんじゃない」という言葉もある。

無報酬=ボランティアと考えているのかもしれないが、本来は「喜んで行う」ということになる。

自分がしたいという気持ちが最も重要で、報酬が必要だと感じるようなら、それはボランティアではない。

自分達が住んでいる場所を綺麗にしたい!

困っている人の役に立ちたい!

そんな気持ちから行うのがボランティアだと思う。

このため「無報酬」といったことを前面に押し出してくる人は「ボランティア」というのとは異なるものだと思う。

しかし、月に至っては、「ボランティア」ということさえ超越していると思う。

誰かの役に立ちたいといった気持ちさえ存在していない。

だから、月には誰かに何かを与えているという表現には違和感を感じる。

無報酬でもボランティアでもない。

自分にはとても真似できることではないので、これ以上のことは何も言えないが、仏教でいうところの「無」の境地と同じなのではないか?と思っている。