放送作家の方が、罰ゲーム的な使い方で、「ハリセン」を使おうとしたら、NGという判断になったというツイートを行っていた。
「個人的にはベタが無くなるのは悲しいんですけど、ハリセンに代わるものを考えないとなーぐらいの受け取り方をしております。」という内容が補足されていたが、わざわざ、「ハリセン」がNGになったとツイートをしているのだから、相当なショックだったのだと思う。
コンプライアンスって?
元々は「命令や要求に従う」という意味であり、日本では「法令順守」と訳されている。
個人的には「コンプラ」と略された場合には、日本独自の基準に変わり、法令順守に加えて、社会規範・社会道徳、ステークホルダーの利益・要請に従うといった広義の意味合いまで含まれると考えている。
テレビ業界は「コンプラ」で動いていると思うので、番組の企画を考えたりする放送作家の方は「面白さ」より「コンプラ」を優先しないといけないので、大変だと思う。
面白いアイデアが浮かんでも、「コンプラ的に無理だ」みたいな感じで次々に消えいくことだろう。
「コンプラ」なんて関係ない!と言っても、テレビはスポンサーが認めなければ番組にはならないので、世間の反感を買うような内容だけでなくスポンサーは、問題になったりしないように問題になるような要素が少しでもあれば潰しておきたいだろうし、世間の目も厳しくなる一方なので、そのうち、テレビ番組自体が「コンプラ違反」になってしまうのではないかと心配になってくる。
作りたい番組を作っているのか?
テレビ局は自分達が作りたいと思う番組を作り社会に提供するために存在するべきなのに、徐々に自分達が作りたいと思う番組が作れなくなっている。
それは、商品を作り社会に提供することで成り立っている会社が自分達の作りたい商品が作れないのと同じになる。
会社が作りたいものを作れないのでは存在価値がない。
テレビ局も、最終的には、作りたい番組を作れないなら・・・という結論に到達するはずだ。
あれもダメ、これもダメでは良い番組なんて作れるはずがない。
制限ばかりのテレビ番組を見て楽しいはずはない。
視聴者が離れていけば、スポンサーも離れていく。
良い番組を作れば視聴者は自然と戻ってくる。
そうすれば、スポンサーも戻ってくる。
このため、テレビ局はスポンサー目線で番組を作ってはいけない。
視聴者目線で物事を見て判断しないで番組を作っても意味がない。
「楽しくなければテレビじゃない」
「コンプラなんて関係ない!」「スポンサーなんて関係ない!」
テレビ局がそう叫ぶ時は来るのだろうか?
作りたい番組を作り、見たい人だけが見てくれれば良い。
フジテレビが、かって、「楽しくなければテレビじゃない」という標語を作った時代に戻って欲しい。
法に違反するようなことは、してはいけないが、全員に賛同される必要はない。
そして、全てのスポンサーに賛同される必要だってない。
必要なものが、排除されることはない。
今やテレビよりネット配信の時代だと言われているが、テレビ局が培ってきた企画力は素人が簡単に超えられるものではない。
テレビ局が「コンプラ」の縛りを解いて信念を持って番組を作れば素人が太刀打ちできるはずがないので自然と戻ってくる。
早く「楽しくなければテレビじゃない」に立ち戻り番組を作って欲しいと強く願っている。