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もっと早く教えてくれよって思った内容を書いていきたいと思います。

味覚を食べる?

秋の味覚

秋の味覚といって最初に何が出てくるだろうか?

日本人なら、松茸、秋刀魚、栗、柿と様々な食べ物が出てくるはず。

しかし、「秋の味覚」という言葉に違和感を感じないだろうか?

「味覚」といえば、口の中に入れた時の感覚のことだと思う。

そうすると、秋の味覚というと、秋の口の中に入れた時の感覚になるので、おかしな感じがする。

秋の味覚を食べる

例えば、秋の味覚=秋刀魚だとすると、「秋の味覚を食べる」という言い回しになる。

味覚を食べる?というのは、日本語としておかしい。

味覚は「感覚」なので食べることはしないし、食べられない(笑)

感覚が食べられるというのであれば、熱い、痛い、苦しい、心地よいも食べられることになる。

実際には、秋の味覚=秋が旬の食べ物ということだと思う。

「秋が旬の食べ物」とそのまま言うより「秋の味覚」とした方が芸術性を感じるのは間違いない。

天高く馬肥ゆる秋

もう一つ、秋を表す言葉で「天高く馬肥ゆる秋」がある。

空が高くなってくる秋は食欲が旺盛となり、馬も食べ過ぎて太ってしまう。といった意味で使われているのだと思う。

太った馬なんて見たことがないが、そんな馬でも太ってしまうのも秋だからという表現は見事だと思う。

しかし、元々は、前漢の趙 充国将軍の言葉で、「雲浄くして妖星落ち 秋高くして塞馬肥ゆ」という言葉が由来となっていて、収穫の秋には馬が育ち、その馬で異民族が攻めて来るといった意味になる。

この言葉が変化していき、今に至っている。

百聞は一見に如かず

有名なことわざ「百聞は一見にしかず」も趙将軍が由来になっている。

人の話を何回も聞くよりも、自分の目で1回見る(体験する)のが一番という意味になる。

もう一つ、話を何回聞いても、どうしても抜けてしまう部分があるので真実かどうかを判断するのは難しいが、実際に見る(体験する)ことで聞いた話以外の部分が見えてくるので、ありのままがわかる。

時代が変わると言葉も変わる

どちらも、戦国時代に生きていた人を感じさせる言葉だと思うが、それが時代が移り変わったことで、戦いとは関係のない、風情を感じさせる言葉へと変わっていったことから、どんな時代に生きていたのか?によって、出てくる言葉も変わるということなのだろう。

趙将軍が今の時代に生きていたら、秋高くして塞馬肥ゆも、百聞は一見にしかずも出てこなかったかもしれない。

そうすると、天高く馬肥ゆる秋も、百聞は一見にしかずという言葉も、今はなかったかもしれない。

今は、そういった無限の出来事が複雑に絡み合って存在していることになる。

選挙で1票だけでは何も変えられないと思うが、1票を投じるまでに考えたことや、誰かに話したこと、SNSで書き込んだことが何かのキッカケとなり、知らない間に何かを変えているかもしれない。

秋の味覚という言葉を誰が最初に使ったのかは、わからないが、時代を超えて色んな出来事が絡み合った結果であることは間違いない。

そう考えると、「味覚を食べる」なんて、おかしいのでは?と言っている自分が、おかしく感じられた。