ノンアルコールが増えてきたなぁ
スーパーやコンビニに行くと、ビールと同じくらい?「ノンアルコール」飲料が置いてあるような感じになってきた。
飲み会に車で行った時に、「ノンアルコールビール」は何度か飲ませてもらったことがあるが、苦みを出そうとして人為的に作られている感じの独特の味が美味しいとは思えなくしているように思う。
正直、「ビール」も決して美味しいとは思えないが、「ノンアルコールビール」は一体何のために作っていて、飲んでいる人達はどういう気持ちで飲んでいるのだろうか?と疑問ばかりを感じる。
原料はビールと同じ麦芽とホップでもアルコールが生成されないように「発酵」をさせないようにしているのでビールとは全く違う味になってしまう。
日本の酒税の謎
ビールから「アルコール成分」だけを抜くことができたら、どうなのだろうか?
それなら、原料も醸造方法もビールと全く同じで最後にアルコール成分を抜く工程が入るだけになる。
まぁ、そうすると工程が増える分、ビールより高くなる?いや、アルコールが含まれていなければ、酒税がかからないので、安くなる?
ところが、日本は酒税の関係で、一度、アルコールが生成されてしまうと、そのあとにアルコールを除去して「ノンアルコール」としても酒税が加算される仕組みになっている。
このため、日本のノンアルコール飲料はアルコールが発生しないように発酵を抑制する製造方法を選択していたようだ。
発酵させないのでビールと同じ味になるはずがない。
このため、似たような味にしようとして香料や人工甘味料が使われる。
その結果、ビールとは全く異なる味がする別の飲み物が完成する。
日本人は、日本の酒税の仕組みのために、異様な飲み物を飲まされることになっている。
ビールに近いノンアルコールなら輸入品
輸入品だと脱アルコール品のノンアルコールもあるようだ。
自分は、まだ、飲んだことはないが、ドイツの「ヴェリタスブロイ」、「エルディンガー 」、「ビットブルガー ドライブ」は美味しいらしい。
瓶の方は330mlでも、1本400円程度するが、缶のヴェリタスブロイは、1本108円程度なので気軽に飲める価格設定になっている。
日本の酒税は?
350ml缶の酒税は以下の通り
- ビール(5%):70円。
- 発泡酒(5.5%):約47円
- 新ジャンル(5%):約38円
これが、他の酒(350ml換算)だと・・・
- 清酒(15%):約39円
- 果実酒(11%):約32円
ビールよりアルコール度数は高いにも関わらず酒税は安く設定されている。
ざっくり、2倍くらいの違いがある。
なぜ、同じアルコール飲料でビールとその他のもので、ここまで酒税が違うのだろうか?
ビールは消費量が多いからという理由で高い酒税に設定したとしか思えない。
酒類間の税負担の公平性を回復する等の観点から、税収中立の下、2026年10月までに2020年10月より3段階で酒税改正を実施するというが、1Kℓ当たりビール系は155,000円、醸造酒類は100,000円なので、どこが、酒類間の税負担の公平性が回復されたのだろうか?
ビール類が一律同じになり、日本酒と果実酒が同じになっただけだ。
酒類も二重課税
高い酒税だけではなく、更に酒税が含まれた価格に対して、二重課税で消費税まで取られるのだからたまったものではない。
こうやって、国が消費を抑制するようなことをしているから、日本は長年、消費が減りデフレが続いたのだと思う。
消費税を上げているのも同じことで、消費が減り税収が減るから増税。
増税すれば、更に消費は減るのは当然の結果だと思う。
ビールの消費が落ちたのは正に酒税に加えて消費税が上がったことが原因だと思う。
ビールが高くなり、発泡酒などが発売されたが、美味しくないものを飲むくらいなら酒は控えようとする人は多かったはず。
その結果、「飲まなくてもいいや」ってことになり、ビールの消費だけではなく、アルコール類全体の消費が減ることに繋がっているのではないだろうか?
日本政府は、どこまで虐めれば気が済むのか?
有益に使われていない税金のために、唯一の楽しみだった、仕事終わりのビールが奪われ、代替品として開発した発泡酒や第三のビールにまで酒税が加算されたあげく、アルコールを抜いたノンアルコールでも税金がかかる日本の酒税は、日本人から飲酒という楽しみを奪っているのではないだろうか?
仕事終わりのビールくらい、思いっきり飲ましてあげようという気持ちは日本政府にはないのだろうか?
しかも、飲料メーカーが安く提供しようとして頑張って開発した「発泡酒」や「新ジャンル」のものまで同じにしようというのだから、意地悪だとしか言いようがない。
酒税と消費税のために、飲みたいビールを我慢して、美味しくもない酒税の安い発泡酒や新ジャンルのビールを飲んで我慢しているのに、追い打ちをかけるようにビールと同じにするというのは、人間の行うことなのだろうか?