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もっと早く教えてくれよって思った内容を書いていきたいと思います。

おじさんって罪なのか?

パーカーとか着ているおじさん

37歳の男性が「素敵なおじさんになるにはどうすればいいか?」ということで、27歳の女性でコラムニスト・脚本家に相談するといYouTube動画を見た。

その中で、おじさんには2種類いて、同年代の人と連む人と、若い子とばかり連む人。

若い子とばかり、連んでるおじさんは、ファッションにも若い子の要素、エッセンスが入っているんですよ。

40近くになってパーカーとか着ているおじさんって結構おかしいって思うんですよ。

しかも、デブじゃないですか、パーカー着てる人ってだらしないんですよ。ということを言われていた。

まるで、おじさんであることが罪のように聞こえてくる。

27歳の女性が、なぜ男性である、おじさんのことを理解できているかのように自信満々に話せるのか不思議だった。

おじさんの何がわかるんだ?と言いたくなる場面が何度もあった。

そんなことから個人的偏見がかなり強い人だと思ったが言わんとしていることはわかる。

確かにパーカーを着ている人で「似合わない」というか「違和感」を感じさせる人が時々いる。

共通するのは、見た目がおじさんで、明るい色、特に白っぽいパーカーを着ている人に多い。

特にフードの部分が気になってしまう。

体型は太っていても痩せていても関係はないが太っている方が違和感の度合いは強いのは確かだ。

最も重要なのは顔。

おじさん顔かどうか?という点。

違和感を感じるかどうか

パーカーは本来、防寒着として作られたものなので若い人のためだけに作られたのではない。

パーカー=若者のアイコンというのは勝手なイメージだ。

このため、おじさんが着ていても本来問題はないが、パーカーの多くが若い人向けにデザインされているので、おじさん顔の人が着ていると、若者の顔でないと違和感を感じるのは、日本人にパーカーのイメージが浸透していると言うことなのだろう。

特にフード部分に違和感を強く感じる。

いや、フード部分に関しては違和感というより何を若者ぶっているんだ?という不快感を強く感じさせる。

それはキムタクでも福山でも違和感を感じてしまえば同じだ。

更にいうと性別も関係ない。

着ている服装に違和感を感じれば同じ。

女性でも後ろ姿からは違和感を感じなかったのが前を向いて顔を見た瞬間、違和感を感じることがある。

特に女性に多いのが顔以外は20代から30代のように仕上げている人だ。

顔は50代から60代なのに、それ以外は20代から30代というのは、顔は完全におじさんなのに、それ以外は完全な女性の格好をしているようなものだ。

パーカーに話を戻すと若者と同じパーカーを年配の人が着ていても違和感を感じにくい場合があるということ。

下図を見てどう感じただろうか?

同じ服装なのに、どちらも違和感を感じない。

なぜだろうか?

年配の方は、運動(ウォーキング)をしている。

運動をするときには若者が着るような服装であっても違和感を感じにくいのではないだろうか?

この服装で、商談や会議に参加されていれば、違和感しか感じないだろう。

着るものはTPOが大切

服装というのは、TPO(Time, Place, Occasion:時間・場所・場合)が大切なので、これが一致していれば違和感を感じないということだ。

おじさんに対して違和感を感じるのは、TPOを考えずに服装を選ぶからだともいえる。

年相応でいい

見た目は若者じゃないのに、若者言葉を使ったり、顔さえ隠せば若者に見えてしまうような恰好をしてしまう人がいる。

そんな人からは、若者ぶっている感をどうしても強く感じてしまう。

そして、それは苛立ちに変わっていく。

もう、年齢的にも見た目的にも、おじさん、おばさんなら、若者ぶる必要がどこにあるのだろうか?

おじさん、おばさんであることは事実なのだから無理をして若いふりをする必要がどこにあるのだろうか?

そんなことをして、若いと思ってくれるとでも思っているのだろうか?

正直、見苦しいとしか言えない。

年相応が一番だと思う。

「素敵なおじさんになるにはどうすればいいか?」と相談された女性脚本家は以下のようなことを話していた。

  • 若い子と連んでいると、ちゃんとした指摘がもらえなくなってしまう。同年代の人に22歳の子が好きなんだよと話せば、お前、それヤバいよみたいな感じで突っ込んでくれるが、22歳の子達に言っても気持ち悪くてもキモいとは言えない。

若い子とばかり連んでいれば、嫌なことは言われないので、気が楽だからだろう。

あとは、若い子と一緒にいると、自分も若くなったかのように感じれるからということもあるのかもしれない。

そんな理由で「若い子とばかり連む」というのはどうかと思うが「若い子とも」ということなら何も問題はないと思う。

年を取ることは罪なのか?

根本的な問題として「若いこと=善・年を取る=悪」だという風潮に問題があると思っている。

世の中、差別はいけないとか騒いでいる割には「老害」などという差別用語が新たに生まれている。

俺たちの若い頃はな・・・今の若いものは・・・俺は今までこのやり方でやってきたんだ・・・

こんなことを言えば、もう老害呼ばわりだろう。

昔の良かったと思えることや、今の若い人を否定するようなことを話すのはいけないことなのか?

まるで年を取ることが罪なような言葉の代表が「老害」という言葉だと思う。

老害という言葉は差別用語以外の何物でもないので、差別を否定するのであれば「老害」という言葉は使うべきではない。

よく上司に対しての愚痴でもっと寛大になって欲しいとか、寛容になって欲しいということを聞く。

今は、誰もが偏狭・狭量の方向に向かっているので、上司だけの問題ではない。

自分自身も以前に比べると寛大ではなくなってきたように感じる。

だからといって、自分が寛大なように見せようとして、ジャッジする基準を甘くすることは、単なる、ご機嫌取りでしかない。

年を取ることは避けることができないことなので罪なんかではない。

若い人を指導するために昔のことを持ち出したり、若い人のことを否定することは必要なことなのだから、自分自身がもっと寛大・寛容になって聞く耳をもつべきだ。

老害だといって聞く耳を持たないのは、それこそ老害と言えるのではないだろうか?

最後に、断じて、おじさんは罪ではないと言いたい。