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「赤坂」にある「六本木」の東京ミッドタウン

「六本木」は特別な場所?

「六本木」の東京ミッドタウンが開業した頃の話になる。

その頃、住所は「東京都港区赤坂九丁目7-1 」なのに「六本木」の「東京ミッドタウン」だと言われていることに違和感を感じていた。

それは、まるで我が子が別の人の子供のように言われているような感じに似ている。

東京ディズニーランドの住所は「千葉県浦安市舞浜1-1」で千葉県にあるのに「東京」となっているので、県を跨ぐディズニーランドに比較すれば、同じ港区内の赤坂と隣の六本木の方がまだましだ。

「六本木」の東京ミッドタウンは赤坂と六本木との境にある。

最寄駅も六本木なので仕方ないと言えばそれまでのような気もする。

東京ミッドタウンといえば、超がつくような一流ホテル「ザ・リッツ・カールトン東京」がある。

当時、日本にリッツは大阪にしかなかったが、ついに東京でも開業したということで注目していた。

初めての六本木のはず

東京ミッドタウンが開業した翌年に、リッツ・カールトン東京に初めて行った。

六本木に行ったのも、それが初めてだった。

しかし、地下鉄で六本木駅に到着すると、そこは何度も来たことがあるような雰囲気があった。

どこか懐かしい感じさえする。

間違いなく、六本木には一度も来ていないので、懐かしいと感じるはずがない。

仕事で来るようになったのは2012年以降なので、東京ミッドタウンが開業した翌年に来ていない。

東京ミッドタウンの場所は地図で確認していたので、8番出口に向かう必要があったが、身体が自然と3番出口に向かっていた。

迷うこともなく、エスカレーターに乗って六本木駅3番出口に到着した。

それは、東京ミッドタウンとは正反対の方向だったが、目の前に広がる光景は「初めまして!」というより「久しぶり!」という感じだった。

出たところから、どっちにいけば何があるのか、全部「知っていた」

しかし、8番出口だけは「知らなかった」

3番出口からは東京ミッドタウンは見えなかったが、何となく東京ミッドタウンの方向だけは「知っていた」

3番出口の反対側へ向かった。

すると見慣れないビルが見えたので、おそらく、あの辺に東京ミッドタウンがあるのだろうと予想はついた。

リッツ・カールトンホテル東京へ

東京ミッドタウンまでは、迷うことなく到着できたが、東京ミッドタウンに到着したあと、リッツ・カールトンホテル東京の入口は探し回った(笑)

まるでロールプレイングゲームのようで、リッツ・カールトンホテルのメインエントランスは、外苑東通り側ではなく、その反対側だった。

しかし、外苑東通り側にも入口はあった。

東京ミッドタウンの中に入るのではなく、手前で左側を見ると、リッツ・カールトンホテルと書かれた入口が見えた。

入口が正面から見えないようにするのは、何ともリッツらしい。

リッツでは、意図的にわかりにくい作りにするというのは有名。

わかりにくい配置する事で、利用する側はスタッフなどに聞くために話しかけることになる。

これが、コミュニティとして必要なことらしい。

しかし入口がわからなかければ、そのスタッフがどこにいるのか、わからない。

大阪も同じように複雑な作りになっていたが、線路側の入口にはスタッフはいなかった。

これで、どうやって話しかけろというのか自分には理解できない(笑)

コミュニティといいつつも、経営層と直接、客と接するスタッフ層とのコミュニケーションが不足しているのではないだろうか?

チェックインの時間より少し早く着いたが、もうすぐ、部屋の準備ができるからと荷物だけ預かってもらい、フロント近くのラウンジでお待ちくださいと案内された。

ピアノの生演奏が流れていたのに驚いた。

飲み物が出されて10分ほど待っていると、準備ができましたので、ご都合のよろしい時にお声かけくださいとのこと。

飲み物がまだ残っていたからだろう。

残っていたものを飲んで、フロントに改めて向かった。

始めてだったので、部屋まで案内して頂いた。

大阪のリッツカールトンの時はエレベータ内であれこれ質問をされて圧倒されたが、東京ではあまりペラペラとは話さず、適度な感じで会話をしてくれたので圧倒されることもなかった。

部屋に入って外の景色を見ると、初めてなのに見慣れた光景だった。

どういうことなのかは、理解できなかったが、考えすぎても疲れるので、身を任すようにした。

六本木の中華店

現地に着くまでは食事はホテルで取ろうと考えていた。

夜の六本木は怖いというイメージがあったためだったが、現地に入ると、なぜか気持ちが高ぶって怖いというイメージは、どこかに吹き飛んでしまい、ホテルの外に出てしまった。

知ってる店が、あるかのようで、歩いて行くと中華の店があって中に入っていった。

店員が来るとメニューは見ていないが、既に注文するものが決まっていて炒飯と餃子を注文した。

出来上がってきた炒飯と餃子は言うまでもなく、何度も食べた味だった。

デジャブなのか?

これは、「デジャブ」とは違うように思う。

自分の場合、過去に経験も体験もしたことがないのではなく、経験も体験もしているとしか思えないからだ。

どちらかといえば、記憶障害の方がピッタリのように感じる。

全ての記憶が抜け落ちたのてはなく、特定部分だけが抜け落ちてしまっている感じがする。

少なくとも、東京ミッドタウンが開業したあとから、約一年後のリッツ・カールトン東京に宿泊するまでの間に関しては思い出せることが、ほぼない。

他にも10年単位で何も思い出せない期間もある。

そんなことから、自分では、はじめての六本木での出来事は、デジャブではなく、記憶障害なのではないか?と思っている。

生活に支障があるわけではないので病院に行ったわけではないし行くことで思い出せないことを思い出してしまうことの方が怖いと思っている。

もしも、特定の期間だけ記憶障害だとして、なぜ、そうなったのか?と考えた場合、思い出したくないような出来事があったから、記憶障害になったと考えるのが自然だ。

思い出したくないことを、わざわざ思い出す必要なんてないと思ったので、六本木でのことは思い出さないようにしていたが、最近、少しずつ、うっすらと光が見えてきた。

その先に何があるのかは見えていないが、その内、見えてくるのだろう。

思い出したくないことを思い出してしまうのかと不安を感じているが、その時は、流されてみようと決めている。