今週のお題「おうち時間2021」
減ったこと
家族・友人と出かけること、歓迎会、送別会、忘年会といった会社の行事がなくなり、出張にも行けないので、どうしても家にいる時間というか、外に出る機会が減っているのは間違いないです。
そうそう、あと映画、落語、演劇といった娯楽に行くことも減りました。
おうち時間が増えているのに、本を読む時間は、減ったという現象も起きています。
考えてみると、僕が本を読む時間は元々、家ではなくて、出張の時が圧倒的に多かったことに気づきました。
駅や空港での待ち時間、電車や飛行機での移動中。
仕事が終わって、ホテルに帰ってからの時間。
外出が減ると「待ち時間」「移動時間」という、すき間時間も減ってしまいます。
増えたこと
じゃあ、減った時間は何をしているのかな?と考えてみると・・・
あと、家での食事が増えた分、スーパーやコンビニに買い物に行く機会が増えました。
休日はオンライン学習を行っています。
えっ?これだけ?
減ったことは色々あるのに、増えたことはスーパーなどへの買い物、オンライン学習だけ?
そんなはずないでしょ?
これだけ、減ったのに、その分は何をしているの?
少し冷静になって考えよう(笑)
出張が無くなり変わったのは?
出張が無くなっても、その分は会社で仕事をしているだけ?
いやいや、出張の多くはオンライン会議、オンライン打ち合わせ、オンライン展示会になっています。
そして、出張中の移動時間・待ち時間は会社での仕事に費やす時間になっているので、その分、早く帰れるようになっています。
じゃあ、やっぱり家にいる時間が増えているってことです。
しかし、ジムに行く日が増えるだけで、家にいる時間というのは思ったほどは増えてません。
回数が増えたということはジムに費やす時間が増えたことになります。
これまでも、ジムでトレッドミルやエアロバイクを利用している時間にオンライン動画で映画やドラマを見ていたので、ジムに行く回数が増えたことでオンライン動画を見る時間も自然と増えていますね。
以前から、出勤してから始業までの時間や昼休みに本を読んでいましたが、こちらも回数が増えた分、読書の時間も増えているかというと出張中の待ち時間や移動時間とは比べると短いので、減っているのは間違いありません。
しかし、回数が増えただけで、やっていることに変化はないので、生活リズム的には大きな変化はなさそうです。
つまり、出張が減ったことで、同じことを繰り返すことになら、変化のない生活に変わってしまったことになりますね。
人って同じことの繰り返しだと脳への刺激が減るので認知症になりやすいという話も聞きます。
筋肉や骨が使わなければ減ったり、鍛えれば増えるように脳も使わなければ劣化するというのは十分考えられることだと思うので、同じことの繰り返しというのは避けたいですね。
休日中の変化は?
休日の時間ですが、家族や友人と出かけたり、映画や落語・演劇に行く時間は、オンライン学習に変わっています。
休日中に本も読んでいるのかというと、オンライン学習で集中力がなくなり本を読もうという気もなくなってしまうので本を読むペースは格段に落ちてます。
このため、本屋に行って面白い本があっても読めないから本屋に行く機会も減ってます。
忘れていましたが、休日のブログに費やす時間は増えました。
以前は休日も本を読んでいたので、オンライン学習が追加されたことで読書の時間がなくなってしまったようです。
家にいる時間が増えて変わったこと
改めて振り返ってみると出張や、平日夜にあった会社の飲み会など機会がなくなったことは色々あります。
しかし、なくなったことが何か新しいことに費やす時間に変わったかというと、これまで行っていたことに変わっただけでした。
既に今の状態が当たり前になってしまっているので、1年前の状態を思い出そうとしても、なかなか思い出せない部分もあります。
非日常も日々繰り返されていくと日常に変わり、日常だったことは繰り返されなくなることで非日常に変わるんです。
「出張」も「飲み会」も今や「非日常」です。
逆に「マスク」なしで外に出るなんて、もはや無理だという人もいるかもしれません。それくらいマスクは「日常」となっています。
これまでの「日常」が「非日常」へと変わり、これまでの「非日常」が「日常」に変わっています。
人類にとっての大きな変化点
新型コロナがいつまで続くのか、わかりませんが、仮に今年中に終息したとして、また元に戻るという保証もありません。
「日常」のままになってしまうこともあると思います。
今は人類にとっての「変化点」だと考えると、これまで通りのことを繰り返していたのでは置いていかれることになりかねません。
これからの、おうち時間は、自分自身が変化していくための時間として割り当てることはもちろんですが、それ以前に、今、何をするべきか?ということを考える時間に割り当てることが必要だと思います。
なぜなら、今までの「日常」で自分を変えると言ってもベクトル違いになってしまう可能性があるからです。
自分は今後、どっちに向かって歩いていくのか?ここを誤って正反対の方に向かってしまったのでは何の意味もありません。
その上で、今の状況を上手く利用することで、これまで、できないと思っていたことができるようになったり、続けられないと思っていたことが続けられるようになると思うんですね。
人には、環境に順応するという能力は、生まれながらに備わっているんです。
新型コロナで変わってしまった生活を不幸だと捕らえて、なげいているだけでよいのでしょうか?
「Today is another day」という「ZARD」の曲があります。
その詞の中に、
- 悲しい現実をなげくより今 何ができるかを考えよう今日が変わる
という部分があります。
今の状況は人類に対して「変化しろと!」という要求を突き付けられているのだと思います。
今、外で飲めなくなったと「路上飲み」でストレスを発散している人、不要不急の外出を控えましょうと言われているのに出ている人がいます。
今年、金沢は緊急事態宣言の対象ではありませんが、そのためなのか、ゴールデンウィーク中は、昨年の緊急事態宣言の時とは比べられないほど、色々なところが混雑しています。
いつまで、こんな生活を続けないといけないんだ!っていう気持ちは、わかります。
政府も自治体も信用できない。
でも、そんなことをしていて、今日が変わるのでしょうか?