2023年ノーベル平和賞
2023年10月6日、イランにおける女性の抑圧や、すべての人々の人権と自由を促進するために闘ったとして、イランの人権活動家でありジャーナリストのナルゲス・モハマディ氏がノーベル平和賞を授賞した。
国家に対するプロパガンダの拡散などの罪で収監されている。
モハマディ氏は、これによってイランでの抗議活動がさらに力強く団結したものになることを願っている。勝利は近い。とコメントしている。
一方、イラン外務省は、授賞は偏見と政治的動機に基づくものとして非難するとの声明を発表している。
イランの女性は9歳から「ヒジャブ」で髪の毛を覆い、手足は緩い布で覆わないと外出が許されていない。(法律で義務付け)
これは、イスラム教の経典コーランにおいて、「神は貞節な女性たちに、目を伏せ、プライベートな部分を守り(魅惑させないよう)飾らず」と伝えていることから。
そんなことから2023年10月1日、16歳の少女が列車の中でヒジャブを着用していないということで当局から暴行を受けて死亡した。
女性の権利が不足しているイラン社会で暮らす女性にとっては、モハマディ氏の活動は勇気と希望を与えてくれるものだと思う。
平和賞には相応しくない
しかし、受賞理由は「イランにおける女性の抑圧や、すべての人々の人権と自由を促進するために闘った」というのが平和賞には相応しくないような気がする。
「平和」とは「戦争や紛争がなく世の中が穏やかな状態にあること。
しかし、「平和」は戦争や紛争により実現できるものではないと思う。
このため、イランでヒジャブの着用に関して厳しくなっているのはモハマディ氏の活動によるものだと思っている。
国内外で、ヒジャブの着用に異議を唱える人が増えてくれば、政権をとっている者達にとっては脅威でしかない。
自分達に取って代わって反対派が政権を握ることに繋がる。
そうすれば、自分達の身はどうなるか、わかったものではない。
結果、力で押さえつけようとする。
その一つが16歳の子が死亡した事件に繋がったのだと思う。
勿論、命を奪うのは、やり過ぎだと思う。
しかし、モハマディ氏が闘いを挑んだから受けざる得なくなってしまった。
これのどこが平和に繋がる活動なのだろうか?
平和賞ではないが大切な活動
自分はこの活動を批判しているわけではない。
むしろ、必要な活動だと思っている。
ただ、モハマディ氏の活動はノーベル平和賞には該当しないということを伝えたいだけだ。
選考した方は、平和にするための闘いだというのかもしれないが、ノーベル平和賞は、国同士の友好関係の推進、軍備の削減や廃止、平和会議の開催や推進のために貢献した人や団体に贈られるものとあるので、モハマディ氏の活動は、これのどこに該当するのだろうか?
イラン政府は、モハマディ氏がノーベル平和賞を授賞したことで、更に自分達の正当性を認めさせるために過激な行動に向かうはずだ。
闘いから平和に繋がることはない。
闘いが終わって決着がついても、負けた方は遺恨が残るので、それは新たな闘いに繋がるだけなので、いつまでも平和が訪れることはない。
だから、誰かと闘っている人に「平和賞」というのは、それが正しいことであったとしても、平和は絶対に訪れないので、どうにも違和感を感じる。