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世界で多くの人に読まれている本について

世界一読まれている本は?

Chat GPTに、「世界一読まれている本は?」と聞いてみると「聖書」という答えが返ってきた。

聖書はユダヤ教キリスト教イスラム教といった宗教の教典になる。

キリスト教信者だけでも20億人を超えているので信者が全員聖書を購入していれば、間違いなく世界一読まれている本になる。

しかし、聖書がどんなに素晴らしいものであっても、欧米人の根深いユダヤ人に対する偏見から始まった、ユダヤ人への迫害、ユダヤ人であるイスラエルが現在、ガザ地区の人々に行っている被人道的な行為をみてしまうと聖書には何の効力もないように思えてしまう。

このため、聖書の内容がどんなに素晴らしいものであったとしても、その価値を十分に活かせていない人達もいることに間違いはない。

もちろん、そうでない信者もたくさん存在するのかもしれないが、それでも「聖書」は自分にとって読むべきものだとは、どうしても思えない。

そんなことから、聖書の次に読まれているものは?と聞くと、さすがに、これは答えを持っていなかったようだ。

世界で読まれているトップ10

しかし、調べてみると世界で最も読まれている本トップ10を「List Challenges」が発表していた。

  1. 聖書
  2. 毛沢東語録
  3. ハリーポッターシリーズ(シリーズ累計)
  4. ロード・オブ・ザ・リング
  5. アルケミスト
  6. ダ・ヴィンチ・コード
  7. トワイライト
  8. 風と共に去りぬ
  9. 頭を使って豊かになれ
  10. アンネの日記

【出典】https://www.listchallenges.com/the-top-10-most-read-books-in-the-world

どうだろうか?

誰もが知ってるような本ばかりだ。

毛沢東語録

自分は、2位の本以外はタイトルは知っている。

※9位の頭を使って豊かになれ=思考は現実化する(ナポレオン・ヒル

2位の毛沢東語録は、元々、人民解放軍の政治思想教育を進める際の教材として、解放軍の機関紙「解放軍報」に 1963年から連載されたものを、1964年5月解放軍総政治部が補充して1冊の本にまとめて内部で刊行されたもの。

文化革命時代には、国民(当時の人口約8億人)はこの本を常に携帯することを義務付けられた。

そして書類を作るときも手紙を書くときも、毛沢東語録から言葉を引用するのが習わしとなっていた。

最低でも当時の中国人全員、つまり約8億人が所有していたことになる。

中国人全員が所有していたはずの毛沢東語録は、当時の中国人にとっては聖書のような存在であったはず。

しかし、こちらも現在の中国を見ていると、あまり良いイメージがどうしても持てない。

自分が、中国の思想や、三国志といった書籍に興味が持てないのも、今の中国が読むに値しないと思わせてしまっているのかもしれない。

信じるものがあるから争いになる

世界で読まれている本だと言われる1位と2位の本を見る限り、たくさんの人が読んだからといって、それが良い結果に繋がっているのか?というと、お世辞にも良い結果に繋がっているとは思えない。

むしろ、読んだ人達によって、色々な争いの原因になってしまっているようにさえ感じられる。

日本では、家族や年長者を大切にするという儒教の影響を強く受けているように感じられる。

このため、日本は儒教の国かといえば、そうではない。

仏教的思想も根付いているので仏教の国かといえば、そうでもない。

だから、12月になればキリストの誕生日を祝うし葬式は仏教式で行う。

初詣だと神社へお参りしたり、一つの思想への拘りというものが全く感じられない。

日本人には宗教がないからダメなんだと自分に言っていた外国人がいた。

その時は、なるほどという気がしたので何も言い返せなかった。

しかし、本当にそうなのだろうか?

一つのものを信じる気持ちがあるから、信じるものを批判されるから殺意が生じる。

信じる気持ちが強いほど、その度合いは強くなるのだろう。

ユダヤ人が迫害されたのは、キリストを十字架にかけたのがユダヤ人だったという理由から。

キリスト教信者にすれば、ユダヤ人は神を殺した重罪人になる。

それがユダヤ人迫害のキッカケになっている。

誰か一人を神のように崇めることが世界を不幸にしてきたのではないだろうか?

日本も天皇陛下を神のように仕立て上げて、お国のため、天皇陛下のためだと戦争を正当化した。

一つのものを神のように崇めることで戦争を正当化さしようとする人間がいるから戦争がなくならないのではないだろうか?

日本が平和だったのは、クリスマスだ、お祭りだ、と宗教の壁がなかったからではないだろうか?