seegeのまとめサイト

もっと早く教えてくれよって思った内容を書いていきたいと思います。

暇だなぁ~って時間ありますか?

書店をブラブラしていると「2022年に東大・京大で1番読まれた本」というポップが目に入ってきた。

その下には本が平積みされていた。

表紙には「暇と退屈の倫理学國分功一郎 と書かれてある。

その時は、随分と変わったタイトルの本が読まれているだなぁと思った程度で本を手に取って読んでみることもなく通り過ぎた。

しかし、自分の頭の中では、最近、暇だと思ったことがあっただろうか?と考えていた。

家に帰ってから「暇」という言葉が頭から離れなかったのでAmazonで「暇」で検索すると1番最初に 「暇と退屈の倫理学」が表示された。

出版社よりという内容で本の中で登場する文の一部が以下のように紹介されていた。

  • 求めていた豊かさを手に入れると、人は退屈して不幸になってしまう。
  • 退屈が嫌で気晴らしを探した結果、苦しみさえ求める
  • しかし退屈こそ、人間が自由である証拠なのだ
  • 動物の中で退屈をするのが人間だけなら、我々はどう生きるべきか?

「退屈」こそ人間が自由である証拠なのだ。確かにその通りだと激しく同調した。

子供の頃は休みの日でも「今日は何をしようか?」「何もすることない暇だなぁ~」ってことが多かった。

むしろ忙しいと思うことの方が、ほぼ無かった。

大人になるに連れて予定だとか期限といったものに縛られるようになる。

中学に入ると学校の授業以外に「部活」というものが登場してきて放課後の時間を拘束する。

自分の時代は土曜も午前中は授業だったので、午後からはずっと部活動で拘束された。

それでも、学生時代は帰ってからとか、日曜日は自由だったので、まだ「暇」だなぁ〜と思う時間はあった。

激変したのは社会人になってから。

連日、深夜まで働き帰っても寝るだけで直ぐに出勤。

土日祝日だけが唯一の自由な時間だった。

退屈こそ、人間が自由である証拠

今、思うと、忙しかった頃は、自由がなかった。

寝ている時以外は常に、仕事のことを考えていた。

それでも、自由な時間が欲しいとか、のんびりしたいなんて気持ちはなかった。

仮に、1日、のんびりして来て良いと言われても、その後のことを考えると、とてものんびりできるとは思えなかった。

だったら、仕事をしていていれば、少なくとも作業は進む。

そっちの方が、気持ちとしては落ち着く。

その頃は、自分だけが、そんな風に考えていたわけではなく、誰もがそんな風に考えていたはずだ。

だから、忙しいとは思うことはあっても、ゆっくりしたいとか、のんびりしたいなんてことを考えたことはなかった。

今は、その頃と比べると自由な時間が増えたかというと、なかなか自由な時間というのは作れない。

歳と共に色んな予定が・・・

歳と共に、仕事以外の予定が次々に入ってくる。

冠婚葬祭、町内会の当番、通院、同窓会、新築祝い、歓送迎会、各種行事への参加・・・凄い時は、毎日のように何かがあって、それは自分で計画を調整できるものではないので、ダブってしまうことも当然ある。

歳と共に、自分の都合にはお構いなしで飛びこんでくる予定というのは増えていくので暇だなぁ~と思うことはなくなった。

つまり、自由な時間が無くなっているということだ。

逆に、丸一日、自由な日があったとしても、逆に何をしていいか、わからないので、困ってしまうかもしれない。

「暇だな~」と思うことがないように

そう考えると、暇な時間って特にいらないのかなぁ~という気もするが、仕事が終わり、会社に出かけている時間が丸々空くようになれば、「暇だなぁ~」と思える時がくるのだろうか?

今の自分からは想像もつかないが、もしもその時が来て「暇だなぁ~」って思うことがないように仕事以外の「生きがい」のようなものを見つけておく必要があることに気付かされた。