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もっと早く教えてくれよって思った内容を書いていきたいと思います。

【ドラマ紹介】私があなたの軍師になります。

パリピ孔明

ドラマ 「パリピ孔明」最初は見たいと思わなかった。

ところが、まだ、秋ドラマが出揃っておらず、ジムで見るものがなくなった。

パリピ孔明だけは、ロケットスタートで2023年9月末から放送されている。

それは知っていたが、タイトルの「パリピ」というのが、どうにも軽い感じがするし、その感情を増長するかのような、華やかな広告ポスターが、どうしても、見たいという気にさせなかった。

ドラマのストーリーで把握していたのは、諸葛孔明が、渋谷の街に現れたということだけ。

しかし、自分は三国志を読んでいないので、諸葛孔明という名前は知っていても何をした人なのかはイメージができないので、渋谷に現れることによる凄さがイメージできない。

それでも、何となくは凄いことをやってくれるのだろうという感じだけはしていた。

もしかしたら、面白いかも?そして三国志に興味を持たせてくれるかもしれないと考えて見てみようと思った。

孔明が渋谷に現れる

ドラマの冒頭は、三国時代

諸葛孔明が病に倒れた場面から始まった。

そして、まもなく命が尽きる状態で「願わくは、次の人生は、命のやり取りなどない、平和な世界に・・・」と言って息を引き取った。

次に目が覚めたのはハロウィンの渋谷の街。

そこはゾンビや悪魔の仮装をした人若者が騒いでいる。

孔明は、それを見て、ここが地獄なのだと思った。

孔明の格好がクォリティの高いコスプレだと思った若者達に連れられてライブハウスに連れて行かれた。

孔明は爆音の中で歌っていた英子の歌声に魅了される。

路上で眠っていた孔明を英子がライブハウスに連れていった。

そこで、孔明スマホという書物の凄さに衝撃を受けた。

文字が流れては消えていく。

小さな画面には精密な絵(写真)が写っている。

孔明は英子にスマホの使い方を教えて欲しいと頼み込んだ。

孔明は4時間以上も英子に質問攻めした結果、スマホの使い方をマスターしてしまった。

もう一つ、職の斡旋もお願いして、英子が働くクラブのオーナーを紹介してもらった。

オーナーは三国志の大ファンで、孔明三国志の話ができると喜び、雇ってもらえることになった。

三顧の礼

初日の仕事を終えて、英子の家に帰る途中に、「もう歌手、辞めようかなと思っている」と孔明に打ち明ける。

歌うのは好きだし、続けたいけど、オーディションも落ちまくっているし、私才能ないかも・・・だから正直、もう潮時かなって・・・」

すると、孔明は、以下のように英子に伝えた。

英子さん、自信を持ってください。

あなたの歌に救われた人間が目の前にいるのですから、あなたには、あなたの思いを伝える力がある。

私は誰よりもそのことを確信しております。それにあなたが歌手を辞めてしまっては、ファンが悲しむでしょう。

三度(みたび)、英子さんの唄を三度、聞かせて頂きました。

心が震え、この感動をもっと多くの人に届けたいとそう思ったのです。

三顧の礼、志ある人間のこれに応えぬは草蘆で書を食む(はむ)者として不義理でございましょう。

ですから、私があなたの軍師になります。

英子さんの夢とデビューすること1万人の観客を集めること、いかなることであろうと、どんなに困難な道であろうと、この孔明、死力を尽くしてお助けします。

いつでもご命令ください。

ささやかながら、知恵を絞りたいと存じます。

この瞬間、このドラマを見たいと思った。

正確には、上記のセリフはアニメからの引用になる。

ドラマでは、もっと簡潔なセリフに変えられていた。

ドラマを見て原作では、このシーンをどう描いていたのだろうか?と気になって見たところ、アニメの方が端折って無い分、孔明の思いが伝わってきたので、アニメの方で書いた。

ヒカルの碁と重なった

このシーンを見てヒカルの碁の、サイこと、藤原佐為と重なってしまった。

まるでサイが姿形を変えて戻ってきたような気がした。

ヒカルの碁では、サイは平安時代から江戸時代を経て現代にやってきた囲碁の天才棋士

現代でも碁を打ちたいからと、主人公のヒカルの身体を借りて碁を打っているうちに、ヒカルも碁の面白さに気づき、知らず知らずのうちに棋士と成長していった。

サイは自分が「神の一手」を極めるものだと信じていたが、実は、ヒカルの才能を開花させるために現代に送り込まれたことに気がついた。

その瞬間、サイは現代からいなくなった。

漫画はサイがいなくなってからも続いたので、いつか戻ってきてくれると信じていたが、結局、最後まで戻ることはなかった・・・

自分は、ずっと、サイに戻ってきて欲しいと願っていた。

孔明は軍師として英子の夢を叶えるという立場ではあるが、三国志の時代からやってきて若い才能を目覚めさせるということでは一致しているので、サイと孔明が重なってしまった。

自分の中ではサイが戻ってきてくれたという気分だった。

そして、もう一つ、英子が、ある人と重なった。

これは何かの巡りあわせだと思う。

そして、もう一つ、これは紛れもない三国志に興味を持つための接点になった。

三顧の礼であり、これに答えぬは不義理である。