SF=サイエンス・フィクション
科学が進んだ未来の社会とか宇宙とかを舞台とする、空想的な小説
SF小説って、読んでないなぁ~
銀河鉄道999
小説ではないがSFのことを考えて、最初に頭に浮かんできたのは、「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」(以下、ヤマトと記述)
一番好きなSFというと、以前にブログで書いた「銀河鉄道999(劇場版)」になる。
宇宙戦艦ヤマト
しかし、SFといえば?と問われると、最初に出てくるのは「ヤマト」になる。
銀河鉄道999を見るキッカケとなったのもヤマト。
最初から見ていない
宇宙戦艦ヤマトにはテレビ版と劇場版があるが、自分は、劇場版から見ている。
しかも、劇場版の2作目「さらば宇宙戦艦ヤマト」から見ている。
自分は映画をこんな感じで飛ばして見ている場合が多い。
これは若い時は映画とかアニメは友人に勧められて一緒に見に行ったりDVDを借りたりするためで、他には、バックトゥザフューチャーはPart3から見ている(笑)
意外と飛ばしてみてもストーリは理解できるもので、わからないのは、前作でのエピソードなどがネタになっていると、自分以外の観客が笑っているのに自分だけがなぜ笑っているのか理解できない時がある程度。
本題のヤマトの話に戻す。
無限に広がる大宇宙
宇宙戦艦ヤマトは「無限に広がる大宇宙」という名セリフから始まる。
時は流れ、2201年。
その後、40秒程度の長い沈黙が続く・・・
ガミラスの攻撃を受けて壊滅寸前だった地球は、見事に復興を遂げていた。
ヤマトと同じ波動砲を装備した戦艦は数十隻。
更には、拡散波動砲を装備した新造戦艦アンドロメダの進水式が行われていた。
同時に、謎の宇宙からのメッセージを受信した。
そして、彗星が地球に向かってきていた。
メッセージのことを連邦政府の防衛会議で議題としてあげたが、不確かな情報だと取り入ってはくれなかった。
更に、長官からヤマトは廃艦となり記念艦となることが決まったという報告を受けた。
ヤマトはまだ現役で活躍できると抗議するが、これも聞き入れてはもらえず、ヤマトの旧乗組員たちは地球連邦軍の命令に背き反逆者として地球を飛び立ち彗星へ向かった。
ヤマトは、大きな犠牲を払って、白色彗星・都市帝国を何とか破壊した。
それでもまだ、巨大戦艦の姿が現れてきた・・・
慢心傷つき、エネルギーも底をついていた・・・
そんな、ヤマトに対して、ズォーダー大帝は笑いながら語った。
どうだ、わかっただろう?
宇宙の絶対者は只一人。
この全能なる私なのだ。
命あるものはその血の一滴までも俺のものだ。
宇宙は全て我が意志のままにある。
私が宇宙の法だ、宇宙の秩序だ。
よって当然、地球もこの私のものだ。
それに対して古代は、反論した。
違う!断じて違う!
宇宙は母なのだ
そこで生まれた生命は全て平等でなければならない。
それが宇宙の真理であり、宇宙の愛だ!
お前は間違っている。
それは宇宙の自由と平和を消してしまうものなのだ。
俺たちは戦う。断固として戦う。
もう打つ手がないヤマト・・・
古代は、前艦長の沖田に、どうすれば良いのかを尋ねた。
すると古代に沖田から答えが返って来た。
ヤマトの艦長ならヤマトを信頼するんだ。
お前にはまだ武器が残されているではないか?
戦うための武器が・・・
命だよ。
お前にはまだ命が残っているじゃないか。
なぁ古代、人間の命だけが、邪悪な暴力に立ち向かえる最後の武器なんだ。
素手でどうやって勝てる?
死んでしまって何になる?
誰もがそう考えるだろう。
わしもそう思う
なぁ古代
男はそういう時でも立ち向かっていかねばならない時がある。
そうしてこそ初めて不可能が可能になってくるのだ。
お前はまだ生きている、生きているじゃないか。
ヤマトの命を生かすのはお前の使命なんだ。
命ある限り、戦え!
わかるな?古代
古代は決断し古代以外の乗組員を全員、退艦させた。
そして古代はヤマトと共に巨大戦艦に向かっていった・・・
- さらば 地球よ 旅立つ船は 宇宙戦艦ヤマト
ヤマトは、宇宙に消えた。
そしてエンディング曲と共に以下のメッセージが映し出された。
感動した。
2作目からではあったが、感動は十分過ぎるほどに伝わって来た。
ストーリー的にも面白いアニメだと思った。
それほど、素晴らしい出来の作品だった・・・
名作を台無しにされた
エンディングでのメッセージでもわかるように、宇宙戦艦ヤマトは「さらば宇宙戦艦ヤマト(劇場版)」で終わるはずだった。
永遠に姿を現すことはない・・・
しかし、2度とではなく、2年後に「ヤマトよ永遠に」の制作発表が行われた。
まるで、ヤマトが大きな犠牲を払って都市帝国を破壊し勝ったと思った瞬間に巨大戦艦が現れたような感じだった。
当時の東映社長の岡田は制作記者会見で以下のように述べている。
- 前作は邦画史上からみても驚異的な大ヒット。当たればまたやろうというのが常でして、夢よもう一度というわけです。
まるで、ヤマトに対してズォーダー大帝が語りかけているようだった。
こんな人たちが制作したアニメだったのかとガッカリしたはず。
「ヤマトよ永遠に」は、前作が当たったから「これで最後」を簡単に撤回してしまった。金に目が眩んでヤマトを冒とくしたような映画、それが「ヤマトよ永遠に」ということになる。
しかも金に目が眩んで作られた「ヤマトよ永遠」は最低の駄作だった。
ヤマト史上最悪の内容だった。
そんなことから、プロデューサーの西崎義展は「金の亡者」、「金に目が眩んだ奴」だとファンから批判された。
「さらば宇宙戦艦ヤマト」には、西崎自身出演している。
ガテランティス軍により、地球防衛軍の艦隊はアンドロメダを含めて全滅・・・
既に戦う術を失ってしまった地球防衛軍。
そして、「生存か破滅」か1時間で選択しろと迫られた。
それを見ていた子供が「ねぇヤマトはどうしたの?ヤマトが来たらあんなのやっつけてくれるよね!」
その一言で地球には、まだヤマトがあることを思い出した。
その時に、「そうだ、我々にはまだヤマトがあるぞ!」と発したのが西崎氏にそっくりのキャラクターだった。
「さらば宇宙戦艦ヤマト」で終わっていれば、名作として終わっていたはずが、金に目が眩んだ人たちのために、ヤマトのイメージは地に落とされた。
残念極まりない・・・
作品としては、ヤマトの最高傑作と言って良いほどの内容だったのが、実に残念な作品になってしまった。
そんなことがなければ、自分も、銀河鉄道999よりも、ヤマトが一番好きな作品になっていたかもしれない。