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もっと早く教えてくれよって思った内容を書いていきたいと思います。

大きくなったらウルトラマンになりたい

大きくなったら・・・

子供の頃に、大きくなったら何になりたい?と質問すると、「ウルチョラマン」と答える「あっ君」という子がいた。

「あっ君」は当時、2歳の男の子で「ウルチョラマン」が大好きだった。

「ウルチョラマン」というのは「ウルトラマン」のことで、本人は「ウルトラマン」と言っているつもりだが、まだ小さいため「ウルチョラマン」としか言えなかった。

その言い方が、あまりにも可愛らしいので、何度も、「大きくなったら何になりたい?」と繰り返し聞いていた。

しかし、「あっ君」は質問する都度、怒ることなく答えてくれた。

ウルトラマンは地球から300万光年先にある「M78星雲」の中の惑星、「ウルトラの星」の「光の国」からやってきたウルトラ族。

ウルトラマンの役目

光の国には「宇宙警備隊」という宇宙の平和を守るための組織がある。

ウルトラマンは宇宙警備隊で、太陽系を担当していた。

そして捕まえた宇宙恐竜を護送している時に逃がしてしまう。

そして、逃げた宇宙恐竜を追いかけている時にパトロール中の科学特捜隊・ハヤタ隊員が操縦する戦闘機、ジェットビートルと激突し死亡。

ウルトラマンは責任を感じ、地球に残ることを決意した。

しかしウルトラ族は地球で生活するためには多くの太陽光エネルギーが必要になる。

このため、地球上では3分間しかウルトラマンの姿ではいられない。

命を落としたハヤタと一体化し命を共有することでハヤタは生き返り、ウルトラマンは普段は人間の姿でいられるので、地球上でのエネルギー消費を抑えることができる。

ウルトラマンは、ハヤタ隊員の命を奪ってしまった罪滅ぼしで地球で怪獣と戦うことになった。

完璧だと思っていたウルトラマンが宇宙怪獣を逃がしてしまい、更に追いかけている時に地球の戦闘機と衝突してしまうという失敗を重ねたことになるが、そこにウルトラマンという常識を逸脱した存在に対して、人間くささを感じる。

ウルトラマンにはなれない・・・

「あっ君」の話に戻すと、大きくなったらウルトラマンになりたいという。

周囲は「ウルチョラマン」という言い方に可愛らしさばかりを注目しているが、本人はいたって本気だ。

自分も子供ではあったが、「あっ君」が「ウルトラマン」になれないことはわかっていた。

いや、正確には、ウルトラマンの「着ぐるみ」に入る仕事に就けば、夢は実現すると思ったが、「あっ君」がそんなことを望んでいないことは言うまでもない。

「あっ君」がウルトラマンになれたかどうかは、確認できていないが、おそらくウルトラマンにはなっていないと思う。

シン・ウルトラマン

そんなことを考えていると、Amazon Prime Videoで今年公開された「シン・ウルトラマン」がPrime会員なら無料で見れるようになっている。

何とも現実的な設定で作られているので、ウルトラマンに負けた怪獣は誰がどうやって処理するのだろうか?という点まで気になってしまう。

ネタバレになるので、ここでは公開はしないが、怪獣を倒したあとのウルトラマンの気配りに笑ってしまった。

次々と巨大不明生物「禍威獣(カイジュウ)」があらわれ、その存在が日常となった日本。通常兵器は全く役に立たず、限界を迎える日本政府は、禍威獣対策のスペシャリストを集結し、【禍威獣特設対策室専従班】通称【禍特対(カトクタイ)】を設立。班長・田村君男、作戦立案担当官・神永新二、非粒子物理学者・滝明久、汎用生物学者・船縁由美が選ばれ、任務に当たっていた。禍威獣の危機がせまる中、大気圏外から突如あらわれた銀色の巨人。禍特対には、巨人対策のために分析官・浅見弘子が新たに配属され、神永とバディを組むことに。浅見による報告書に書かれていたのは…【ウルトラマン(仮称)、正体不明】。

子供の頃に見た、ウルトラマンだったら、怪獣の処分まで考えたりしなかったと思う。

それだけ、シン・ウルトラマンが現実にあった考え方で作られていることだ。

しかし、この映画は「賛否両論」あるそうだ。

シン・ウルトラマンは大きくストーリーを変えている。

変えたストーリーには作り手の解釈や思想が入るので、オリジナル版肯定派の人にとっては許容できない内容もあるだろう。

自分も、正直シン・ウルトラマンは、現実的=政治的という思想で作られている部分がウルトラマンの光を弱めてしまっている気がした。

それは、シン・ゴジラも同じで、政治的要素を強めて現実的なストーリーにしようとしている感を強く感じる。

こういうストーリーが好きな者は賛成派となり、好まない者は反対派になる。

以下は個人的な感想になるが、嘘はつきたくないので正直に言うと・・・

展開を早くしてテンポよくしようとするあまり、説明などを端折るシーンが目立った。

部分的に、おもしろいと感じた部分は、あったが、総合的には、もう一度、見たいという映画では、なかった。