カラスの歌と言えば?
日本人ならカラスの歌といえば、「ななつの子」を口ずさむのではないだろうか?
からす なぜなくの
からすは山に
かわいい七つの子があるからよかわいい かわいいと
からすはなくの
かわいい かわいいと
なくんだよ山の古巣に
いってみてごらん
丸い眼をした
いい子だよ作詞:野口雨情・作曲:本居長世
「ななつ」の意味
タイトルにもなっている「ななつの子」とは、どういう意味なのだろうか?
7歳の子だろうか?
しかし、親を待つ子が7歳というのは人間ならいざ知らずカラスなら巣立ちしている歳ではないだろうか?
カラスが生まれてから巣立ちまでは数ヶ月と言われている。
そして、カラスの平均寿命は、長くても5年半。
つまり、7年も親を待つことはないので7歳説はないはず。
では、7つなので、7羽の子という意味だろうか?
これもおかしい、7羽の子なら、7つではなく7羽と書けば済むはず。
しかも、歌詞の最後は「丸い眼をしたいい子だよ」となっている。
「いい子」複数羽いる場合「いい子」とは書かず「いい子等」と書くのではないだろうか?
何よりカラスは通常、2個~3個の卵しか産まない。
以上から7羽説もないと思う。
作詞家の真意は?
調べていくと、作詞を行った野口雨情氏の長男である雅夫さんが以下のようなエピソードを話していた。
植林の好きな父は、よく私を連れて山に行きました。
モンペをはいた父の後から弁当箱をさげてついて行ったものです。
あの頃は、カラスがずいぶんおりました。
大きな松の木を中心に、降りてくるのもいれば、飛び立っていくものもあり、それはそれは賑やかなものでした。
父はその様子を眺めながら「雅夫、カラスはなんて鳴いているんだろうね」と言うのです。
後の「七つの子」は、群がる裏山のカラスを歌ったものだと思います。
その時の父は、カラスの鳴き声を「可愛い可愛い」と聞いたのでしょう。
この頃、自分の息子と一時的に別れなければいけなかったそうで、その時の子供の年齢が7歳だったので、まだ幼い我が子(7歳)と幼いカラスの子を重ね合わせていたのかもしれない。
また、雨情は、七つの子に関して以下のようなことも話している。
靜かな夕暮れに一羽の烏が啼きながら山の方へ飛んで行くのを見て少年は友達に、「何故何故烏はなきながら飛んでゆくのだろう?」と尋ねると「そりぁ君、烏は、あの向うの山にたくさんの子供たちがいるからだよ、あの鳴き声を聞いてみたまえ、「かわい かわい」と言っているではないか、その可愛い子供たちは山の巣の中で親がらすの帰りをきっと待っているに違いないさ」という気分を歌ったのであります。
烏の鳴き声を「かぁかぁ」ではなく、「かわいかわい」としたのはこの時のことからだろう。
次が本題に関連する内容になるが雨情自身が「七つ」という言葉について「子守唄」という作品の内容の説明する際に以下のように書いている。
歌詞中七つとあるのは七歳と限ったのではなく、幼い意味を含ませたのであります。三歳としても五歳としてもよろしいですが、言葉の音楽から七歳とした方が芸術味を豊かにもたせることが出来るからであります。芸術は、数学ではありませんから、七つといえば、必ず七歳と思うのは、芸術に理解なき考えであります
言葉の音楽とは?
言葉の音楽とはどういう意味だろうか?
雨情は、歌詞における「音」と「リズム」を非常に重視していたという。
雨情の詞では、言葉そのものがメロディーやリズムを持ち、音として美しく響くようになっている。
例えば、子供が楽しめるような言葉のリズムや繰り返し、韻を踏むなどの技法を用いて、音楽のように耳に心地よく届く詩を作ることが重視されている。
たとえば、「ななつの子」では、「かァらァす なァぜなァくの かァらァすはァ やァまァに~」といった具合に、語尾が「ア」列の母音で構成され韻を踏んだ明るい響きになっている。
つまり、幼いという意味だけであれば、七つでなくても、三つでも、五つでも同じになるが、言葉の音楽的には、「みィつッ」「いィつッ」ではダメで、「なァなァつ」である必要があった。
つまり、七つはカラスの数でも、年齢でもなく、「幼い」というイメージから言葉の音楽を重視した結果ということになる。
どっちでもいい
最後に、雨情は以下のようなことも話している。
七羽でも、七歳でも、歌ってくださる方がなっとくされりゃ、それで、よござんしょ―
つまり、七羽でも、七歳でも、どっちでもいいってことのようだ(笑)