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もっと早く教えてくれよって思った内容を書いていきたいと思います。

【今週のお題】わたし帰宅部でした

今週のお題「わたし○○部でした」

野球部

小学校の頃は野球をしていた。

野球に関しては器用な方だったので、それが災いして全てのポジションを守っていた。

実際は、試合の時に病気や怪我で出られない子がいたら、代わりを務めるというもの。

一応背番号は「5」でサードだった。

足が早かったので、打順は1番。

中学に入っても野球をしたかったが、坊主頭にしないといけないことがわかり悩んだ末に断念した。

今、思えば坊主頭にするくらい何が嫌なんだ?って感じでも、当時は恥ずかしくて耐えられなかった。

まぁ、その程度で諦めてしまうってことは、それだけのものだったので、続けていても、練習がキツいとか不満ばかり言って終わっただろうから後悔はしてない。

バスケットボール部

友人が一緒にバスケットボール部に入部しないか?と誘われたが、体育の授業でやった程度で得意とも言えない競技を続ける自信がなかったので一度ば断った。

見学だけ付き合ってというので、部室に行くと体験ではなく入部手続きだった。

友人に騙されたと思ったが、断ることが出来ずに入部した。

部室で体育着に着替えて教室横の廊下に他の新入部員と一緒に連れていかれた。

最初はずっと基礎トレーニングだという。

先輩が空気椅子のやり方の説明を実演と共に始めた。

廊下の壁に背中を付けて椅子に座る格好をするのが空気椅子。

これが、想像以上にキツかった。

椅子の格好を維持するだけでも辛いのに、先輩が座ってくるので、簡単に崩されてしまう。

これを何セットも繰り返すので足がプルプルし出した。

これまで、足がプルプルするなんて経験をしたことがなかったので驚いた。

他にも何がしていたと思うが空気椅子がキツすぎて全く覚えてない(笑)

3日が過ぎるとようやく先輩達が練習をしている体育館に連れて行かれた。

しかし、そこには自分をバスケ部に騙して連れて行った友人の姿はなかった。

先輩に確認すると辞めたとのこと。

その瞬間、友人は、知人に変わった。

体育館に行くとネットで2分割されて、バドミントン部と共同で使用していた。

体育館ではバスケシューズのキュッ、キュッという音が鳴り響いていた。

その日は、体育館の壁で地獄の空気椅子をしながら玉拾い。

バスケットボールより、バドミントンが気になって見ていた。

自分が道路で近所の子達とやっていたのとは次元が違っていた。

バドミントンの羽(シャトルコック」を打ったかと思うと羽が消えて見えた時には床に落ちていた。

バドミントンには自信があったが、木っ端微塵に吹き飛ばされた。

「今年の一年生は色気付いているよな」という声が耳に入ってきた。

声の方を見ると自分の方を一人の先輩が見ていた。

どうやらバドミントン部の女子を見ていたのだと思われたようだ。

慌てて「すみません」と謝った。

家に帰ってバスケ部に残るかどうかを考えた。

興味もなく、知人に誘われて入部してしまったバスケット部にこのままいる意味が感じられなかった。しかも、誘ってきた知人は既に辞めている。次の日に部室に行って辞めると部長に伝えた。

何が言われたりするかと思ったが、あっさり辞めさせてくれてホッとした。

卓球部

漫画の世界だとバドミントン部に入ると思うが現実はそうではなく、あまりのレベルの違いに自分にはバドミントンは向いていないと思っていたので入部は考えなかった。

暫くは部活には入らなかった。

その間、何が物足りなさを感じるとともに、取り残されてしまった感じがしていた。

ふとあることを思い出した。

小学生の頃に公民館で卓球をしていた。

同級生だけではなく上級生や下級生とも行っていたが負けたことがなかった。

卓球なら楽しくなるのではないか?と考えて入部を決意した。

卓球部も、最初は基礎トレーニングと玉拾いからだった。

それとは別に台をセットしたり、片付けることもしていた。

部長の卓球が変わっていた。

シェイクハンドグリップで卓球台から徐々に離れていき、球を切るかのようなスイングで打ち返すと、ゆっくりと球が返っていく。

その後、部長はカットマンというスタイルだと知った。

なかなか、打たしてはもらえなかったが、素振りまでは行なえるようになっていた。

そして、大会が行われるとの連絡があった。

確か大会は新人戦だったと思うが、素振りしかしていない自分は当然、応援のみ。

場所も忘れてしまったが、バスで行く必要があるような遠い学校の体育館で行われた。

卓球の球は軽いので風の影響を受けることから窓や通風口を全て閉め切って行うので、暑かった。

見事1回戦で敗戦した。

突然、顧問の先生が変わった。

卓球部の顧問は、高齢の方で、あまり厳しくないタイプだった。

このため練習もあまりハードなものではなかった。

練習が「緩い」ので、卓球部に入ると楽できるから入部したという人もいた。

それが、定年を迎えるということで若い先生が顧問になった。

ところが、新しい顧問は前の顧問とは違って見るからに怖い。

そして、見た目通り厳しい指導を行う人だった・・・

これまでは、1年生は基礎体力づくりということで、卓球台の前に立たせてくれなかった。

しかし、新しい顧問は、そんな壁を取っ払って一年生でも実力や素質を感じたものをレギュラー選手にしていくと公言した。

実力を見たいとのことで部員全員が二人ずつ打ち合いをしていくことになった。

顧問の先生が終了と言うまで続けなければいけない。

ずっと基礎体力づくりと素振りに球拾いだけの1年生と、ずっと台を使っての練習をしていた上級生では差があり過ぎるので、結局は上級生が選ばれて1年生からは選ばれるはずがないと考えていた。

このため、顧問に良いところを見せようという気持ちはなくなり、久しぶりの卓球を楽しもうと普段通りにしようと思っていた。

このため、このときの自分の相手のことはよく覚えていなかったが、前後に揺さぶられた記憶だけがある。

同級生ならそんなことをするはずがないので上級生だったのだろう。

最初は揺さぶられていたので、自分の得意技を出すことにした。

打ち合いでありポイントを取るのが目的ではなかったので封印していた。

得意技というのは、相手にクロスに打つと見せかけて、ストレートで打ち返すというもの。

公民館レベルでは、打ち返せるものはいなかった。

しかし、さすが中学の卓球部。

始めて打ち返された・・・

その後も、前後の揺さぶりが続いたので、こっちも相手を前に出させてやろうと、強く返さずに突っつくように相手のコートの前の方に落としてやった。

相手が慌てて出てきて辛うじて打ち返してきた球は浮き気味だったので相手にめがけて思い切り打ち込んだ。

その瞬間、顧問の先生が終了を告げた。

久々に卓球ができて楽しかったと思った。

自分の目から見ても部長、副部長は際立っていたし、その他のレギュラー選手も選ばれるのは間違いないと思っていた。

しかし、自分の名前が部長、副部長の次に呼ばれたので騒めきが起きた。

何より自分が1番、驚いた。

練習が終わり顧問に呼ばれて言われたのは、突っつきを練習しろというもの。

突っつきというのは自分が選考会で行なった相手のコート前にチョコンと落とすこと。(この時、初めて知った)

次の日から自分の相手は顧問で突っつきを繰り返し練習させられた。

そのおかげで、順調に実力をつけていった。

夏休みも、お盆(8月13日~15日)以外は、毎日が練習だった。

8月に入ってすぐに、部活が終わって家に帰る時に友達と偶然会って明日プールに行かないか?ということになった。

夏休みだし、1日くらい休んでもいいだろうと思って顧問には連絡なしで練習を休んでしまった。

次の日に練習に行くと顧問から「もう来なくても良い」と言われた。

今、考えれば、やる気を確認したかったのだと思うが、その時は素直だったので、言葉通りに受け取ってしまって、卓球部をクビになったのだとショックを受けた・・・

帰宅部

そして、自分は帰宅部になってしまった。

最初の1か月位は、とにかく悔やんだ。

なぜ、練習を休んでしまったのかと悔やんだ。

しかも無断で休んだのだから、100%自分が悪い。

取り返しのつかないことをしてしまった・・・

これも漫画だと顧問に謝罪に行って、もう一度、チャンスをくださいと懇願するところだと思う。

しかし、自分はそうはならなかったので結局は漫画やアニメの主人公のような器ではなかったということだと思う。

だから、あの時、卓球部を辞めていなかったら・・・ということは自分には考えることはできない。

仮に続けていたとしても、卓球で成功するようなことはなかったと思う。

甘さが人生を変える

中学時代は、野球に始まってバスケットボール部、卓球部と自分の甘さで人生を転がり落ちていったように思う。

大きな挫折を味わったことになる。

一つだけ、良かったと思えるのは、どうすれば良かったのか?ということを考えるようになったこと。

今回、全てが自分の「甘さ」によるものだったと思う。

野球は、坊主頭で断念、バスケットボールは友達に誘われるまま流されてしまった、卓球も1日位休んでも良いだろうという甘い考え。

「甘さ」は、自分のためにならないことを、何となく感じていた。

何かを判断する時に「甘さ」について考えるようになった。

失敗を早くしたことで「甘さ」が自分の人生を変えることを考えることになった。

逆に考えれば、中学時代の挫折があったので、今があるのかもしれない。

中学時代に挫折を経験していなければ、もしかすると今が転がり落ちた地点だったかもしれない。